「高齢者か若者か」は二者択一のわな 討論番組で大学院生が訴えた訳
NPO法人ボランティア・岩本菜々さん寄稿
先日、私は若い世代の貧困問題に現場で取り組む者として、NHK「日曜討論」の若者の貧困や少子化対策がテーマの回に出演した。
議論が中盤に差し掛かった頃、「少子化対策の財源をどうするか」という話題になり、大きなグラフが映し出された。そのグラフは、高齢者世代の社会保障費の給付額が大きく増え続けている一方で、児童・家族関係の給付額は、その10分の1ほどにとどまっていることを問題提起するためのものだった。このグラフを見た他の論者からは、高齢者への給付を抑えて子ども・若者に振り向ける必要性についての意見や高齢者への給付をどう減らすかといった提案が飛び交った。
あおられていないか
しかし私はこの議論のなかで、そもそも高齢者に給付するのか、若者に給付するのか、という二者択一で考えさせる、若者と高齢者の対立をあおりかねない番組の筋書きそのものに疑問を感じた。高齢者に対する給付額が増えているグラフを見ると、あたかも高齢者には潤沢に予算が振り分けられているかのように錯覚してしまう。また、団塊世代を「勝ち逃げ」できた世代のように表現し、世代間分断をあおるような論調は世間に根強い。
しかし、問題の本質は若者と高齢者の間の格差ではない。そもそも高齢者に対する社会保障も全く生存可能な水準とは言えず、高齢者世帯の中にも、膨大な困窮世帯が存在している。国民年金(基礎年金)について、40年間保険料を満額納めた人でも月6万6250円(2023年度)で、これだけで生活するには厳しい水準だ。体にむち打って働く「高齢ワーキングプア」は年々増えており、高齢者の労働災害も問題化している。私たちの労働相談の現場でも、70歳、80歳になっても働いている人から労災や過労死に関する相談が寄せられている。
こうした現実の中で高齢者への給付が多すぎることを指摘するのは「子どもを産むことで社会の役に立つ若者を支える代わりに、高齢者は死ぬに任せる」と言っているのと同義であるように感じた。そうした問題意識から、私は番組の中で「高齢者か若者か、という二項対立はわなだと思う」と訴えた。
そもそも「限られた財源の中で、誰に給付を振り分けるべきか」という、どちらか一方を助けるためにもう一方を犠牲にする「トロッコ問題」のような問いを番組を通して支援者やタレントに考えさせることに、どんな意味があるのだろうか? 最初から議論を「限られた財源の配分」という枠組みに閉じ込めることには「全ての人が生存可能な社会」を求める想像力を縮めてしまう作用があるのではないか。
「高齢者と若者のどちらを優…
【初トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら