これで世間に頭を下げずに済むと思った――。長男を殺された女性に事件当時の気持ちを尋ねると、返ってきたのは安堵(あんど)の言葉だった。怒りや悲しみの言葉を想定していた記者には真意をはかりかねた。取材を重ねて知ったのは、女性が歩んだ苦しい子育ての道のりだった。
2016年に起きた「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)の殺傷事件で、長男の山本利和さん(当時49)を失った女性(78)を今年の夏、取材した。朝日新聞の取材に応じてくれたのは初めてだった。
女性は地元九州で知り合った夫と21歳で結婚し、神奈川県内に引っ越した。23歳で長男を出産。約3400グラムの我が子は「かわいかったし、うれしかった」。
違和感を覚えたのは1歳半ごろ。言葉の発達が遅かった。友達の輪に入ろうとせず、小学校では授業中に外に飛び出した。先生や保護者から「クラスの勉強が遅れる」と言われ、頭を下げざるを得なかった。医師から自閉症と診断された。
「がまんがまん。人は成長とともによくなるから。元気であればいいなって」。時間が解決してくれると思っていたという。
しかし、現実は逆だった。年月とともに奇異な言動は激しくなった。周囲からは「気持ち悪い」と避けられた。
トラブルを起こしてほしくないと外出を制限すると、長男は家出した。ケーキ屋のショーケースにあった食品サンプルにかぶりつき、警察沙汰に。迎えに行き、また頭を下げた。
夫は出張が多く、長男は成人すると力に劣る母を殴るようになった。「もう嫌だと思ってしまった。私には面倒をみられないって」
1996年、やまゆり園に預けることにした。29歳だった。
2003年に夫が死去。長男に会うのは、月に一度の自宅での面会だけになっていた。
入所から20年。突如、長男の死を伝えられた。悲しみよりも先に、「これで世間に頭を下げずに済む」との安堵が心を占めた。
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「障害者なんていなくなればいい」
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