第10回「お荷物」だった鉄道貨物 物流新時代で脚光も進路見通せず
国鉄が1987年に分割民営化されてJRになった時、地域で分割されずに「全国一括」で残された会社がある。JR貨物だ。
年1回発行される「貨物時刻表」(鉄道貨物協会)を開くと、北海道から鹿児島県まで、毎日400本以上の貨物列車が行き交っていることがわかる。最も輸送距離が長い列車は、札幌発福岡行き。約2170キロを37時間かけて走る。
長距離列車の多さは貨物部門の特徴の一つだった。「貨物列車の平均輸送距離は900キロ。旅客列車とはまったく違う世界があった」。JR貨物相談役の田村修二さん(75)は、民営化で分割されなかった理由をそう話す。
地方路線を中心に今後の鉄道網のあり方を模索するため取材を重ねた連載「分岐点」。記者たちはその過程で、各地のローカル線の現場を訪ね、関係者に話を聞きました。本編には盛り込み切れなかったそれぞれの鉄道の話を紹介します。
JR貨物によれば、積み荷は宅配便の荷物から紙、焼酎に至るまで多種多様。列車が載せるコンテナには箱形だけでなく、石油製品などを積むタンク型もある。ジャガイモやタマネギが入った北海道からのコンテナもあれば、川崎市では家庭ごみを運ぶのにも使われているという。
ただ、国鉄の経営が悪化し分割民営化が議論された80年代、貨物部門は国鉄の中の「お荷物」と受け止められていたという。
輸送力増強から一転縮小、廃止論も
現在のコンテナ貨物列車が、列車単位で拠点となる貨物駅間を結ぶのに対して、かつての貨物列車は全国各地の駅を発着し、車両ごとに行き先も違っていた。途中の操車場で車両を行き先ごとに切り離しては並び替える作業が生じ、人手も時間もかかった。
JR貨物の元関西支社長で鉄道貨物協会の神立哲男理事長(69)によると、戦後の経済成長とともに増強されてきた輸送力も、国鉄の経営悪化やオイルショックの影響などで、70年代には「聖域」ではなくなり縮小を強いられた。
車社会の到来とともに、社会における立場も変化した。75年には、国鉄職員に認められていなかったストライキ権を求める「スト権スト」が起き、国鉄の貨物輸送が8日間ストップ。だが、トラック輸送が代役を果たし物流にあまり影響がでなかったことで、「国鉄貨物は国民の信頼を失い、凋落(ちょうらく)の一途をたどった」(田村さん)という。
貨物特有のコストも問題視された。東海道や東北、上越など新幹線の開業に伴い、開業前に通っていた路線(並行在来線)は特急列車が廃止されて収益が下がった。一方で貨物列車は引き続き並行在来線を利用したため、線区ごとの収支でみると、貨物列車が走るためにかかるコストが、経営の足を引っ張るようになっていた。
国鉄民営化を推し進めた「国鉄改革派」には、こうした旅客部門にも影響を及ぼすコストを、貨物部門がすべて担っても生き残れるなら続ければいいと、暗に廃止を主張する人もいたという。
結局、貨物部門も民営化され…
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