脳裏に焼き付く、せなけいこさんの「おばけ」 斬新さと温かさで魅了

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山内深紗子
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 「私のおばけたち。どうぞよろしくね」

 2015年5月。せなけいこさんに、神奈川県逗子市の自宅でお話を伺ったときのこと。ベレー帽をかぶったせなさんは、本で埋め尽くされたアトリエで、自作について、まるで我が子を紹介するかのようにこう話した。

 今月23日、92歳で亡くなったせなさんの作品には、おばけがよく登場した。

 両手を広げ、ちょっぴり笑みを浮かべた真っ白いおばけが、真っ暗な背景に浮かんでいる――。おばけというと、せなさんが貼り絵で表現した、このおばけを連想する人も多いのではないだろうか。一度見ると、記憶に残り続ける不思議なインパクトがある。

 代表作の「ねないこ だれだ」は、夜更かししている子が、おばけの国へ連れて行かれてしまうお話だ。1969年の初版で、累計351万5千部のベストセラー。いまも読み継がれている。

 意外にも、発売当初の読者の反応は様々だったそうだ。

 絵本は「よなかに あそぶこは おばけに おなり おばけの せかいへ とんでいけ おばけになって とんでいけ」という言葉で終わる。

 「大人は『怖すぎる』『奇妙ね』っていう微妙な反応でしたよ。でも子どもは違った。長男に聞いてもワクワクするよって言ったの。最高ね」と、せなさんは振り返っていた。

「頑固者だったのよ」 志つらぬき37歳でデビュー

 東京都生まれ。本や音楽を愛した両親のもとで育った。本棚には、のちに師事する童画家・武井武雄による「おもちゃ箱」もあった。

 絵が大好きで美術大学への進学を希望していたが、母は「堅いお仕事」に就いてほしいと反対した。だが、志は揺らがなかった。

 「私ね、頑固者だったのよ」(せなさん)。現在のお茶の水女子大学付属高校に入学した後、絵描きを志す覚悟を固めた。在学中に「これからは自分で働きますので、お金は一銭もいりません」と両親にたんかを切り、卒業後は日本銀行で働き始めた。

 19歳のとき、武井武雄の弟子になった。仕事の昼休みには、自作の名刺を持って出版社を回り、スケッチを見せた。雑誌の挿絵や紙芝居などの仕事で腕を磨いた。

 トレードマークの貼り絵は、セロハンを使った紙芝居を制作していた兄弟子の作品にヒントを得たという。「私は武井先生より不器用だから貼り絵を選んだの。でもそれが自分の世界観をうまく表現してくれました」

 「絵を一生の仕事に」と24歳の時に日銀を退職し、31歳で落語家と結婚。絵本を手がけたのは、子どもを出産したあとだった。

 結婚翌年に生まれた長男は、ディック・ブルーナの「うさこちゃん」シリーズが大好きだった。しかし、本が高価でたくさん買うことはできなかったため、「続き」を作ってあげることにした。

 最初に選んだテーマは、にん…

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この記事を書いた人
山内深紗子
デジタル企画報道部|言論サイトRe:Ron
専門・関心分野
子どもの貧困・虐待・がん・レジリエンス