大名の家族の暮らしとは 資料で読み解く展覧会、彦根城博物館

小西良昭
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 大名の家族はどんな日常を送っていたのか――。彦根・井伊家に伝わる資料で読み解く展覧会が、滋賀県彦根市彦根城博物館で開かれている。殿様と家族、女性たち、家臣らの暮らしぶりをたどる。

 10代当主の井伊直幸(なおひで)(1731~89)は、正室、3人の側室を含む女性計25人との間に47人の子をもうけた。歴代で最も多く、大名家維持への意思がうかがえる。この時代を軸に展示する。

 当主は江戸と彦根を1年ごとに行き来し、正室や世継ぎ(世子(せいし))と当主の女子は江戸に、世子以外の男子(庶子)は彦根に住んだ。離れて暮らす家族は贈答や手紙でつながっていた。

 庶子は武術や学問を修め、彦根城表御殿で儀礼に参加して第二、第三の藩主候補として教養を積んだ。

 正室は世継ぎを育てたほか、将軍家や大奥と文通で交際した。

 「井伊御系図聞書(ききがき)」は系譜の伝聞記録で、正室や側室、子の出自や名を詳しく記す。側室以外に当主の子を産んだ奥女中らの名も小さく記されている。

 重要文化財「丑為歳暮御祝儀被下置(うしのせいぼのごしゅうぎとしてくだしおかる)」は、役人に贈った歳暮の帳面。庶子が住む広小路屋敷(今の彦根東高校敷地内)に勤めた者らが対象で、養育係や女中、武芸稽古をつける藩士、医師ら77人に上る。品物は塩ダラ、美濃紙など。

 正室の梅暁院(ばいぎょういん)の手紙は、直幸の九男、又介が元服に先立つ半元服(13歳ごろ)を迎えたことを祝う内容。「ははより」と記し、実の母でなくても成長を気にかけていた。

 重要文化財「表御殿図」は、江戸後期の彦根城表御殿を儀礼や政治の場「表向(おもてむき)」と藩主や女性らの生活の場「奥向(おくむき)」に色分けする。彦根城博物館はこの御殿跡にある。

 12月24日まで。会期中無休。一般700円、小中学生350円。

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