「長崎の証言の会」証言誌編集長・山口響さん寄稿
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に間もなく、ノーベル平和賞が授与される。
ロシアによる対ウクライナ戦争は、核兵器使用の可能性を高く保ったまま開戦から3年の時を迎えようとしている。パレスチナ・ガザ地区に対する核兵器使用を肯定する声もちらほらと聞かれる。しかし、「日本被団協がノーベル平和賞を受賞」との報が飛び交う中で、核兵器使用の決断ができる指導者はそうそういない。「核兵器は絶対に二度と使われてはならない」というノルウェー・ノーベル委員会の強い意思は、核使用への強い制約として働く。
ただし、賞などというものに対する他人の注目はしょせん瞬間風速的なものだ。実際、「この20年でノーベル平和賞を与えられた個人・団体を10以上挙げよ」と言われたら、答えに窮する人は少なくないのではないか。
賞の直接の当事者でない者の記憶はそのぐらい移ろいやすいものだということを前提として、ここでは、「祝賀」ムードからは一歩身を引き、「被爆者の声」なるものを私たちがどう考えるべきかを示しておきたい。
というのも、ノルウェー・ノ…