中居正広氏の問題にみる「示談」の根本的誤解…「中居氏の示談には意味がある」と刑事弁護士が語る理由
昨年末に発覚した元SMAPの中居正広氏の「女性トラブル」は、中居氏本人が芸能界引退を表明するにとどまらず、フジテレビをはじめテレビ業界全体を揺るがす事態に発展している。一方で、中居氏が女性側と行った「示談」の内容や示談金の額、示談がもつ効力について、憶測も含んだ様々な言説が飛び交っている。
たとえば、「示談が成立したのに外部に話が漏れたのは相手方が悪い」「示談が成立したのだから中居氏は責任を果たしたはず」「示談金の額が法外だ」などの論調がみられる。また、中居氏本人も当初「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」とのメッセージを発していた。
しかし、刑事事件を多数担当し、さまざまなケースで示談書の作成に関わってきた杉山大介弁護士は、世の中に「示談をすれば責任を問われなくなる」などの“誤解”が流布していると指摘する。そして、示談が果たす役割は「時と場合によって変わり、限定的なものにすぎない場合もある」と述べる。示談とは法的にみてどのような意味を持つのか。解説してもらった。(本文:弁護士・杉山大介)
“私”が示談の意味を解説しようと思った理由―中居氏との「縁」
私は中居氏とはささやかな「縁」がある。私が初めてテレビに映って全国のお茶の間に顔面を晒したのは東京大学の法科大学院生だったとき、テレビ朝日の番組「中居正広の身になる図書館」の「東大生のノートは汚い」という仮説を検証するVTRにおいてであった。「ノートの目的は自分の理解を助けることなので、自然と、自分だけが理解できれば必要かつ十分だと考え、ノートが汚くなる」といったお話だった。
当時、一介の学生として、汚いノートを片手に刑法の学説を語っていた私は、 今では刑事弁護を主な仕事とする弁護士になった。そんな私が「示談の法的な意味」をきちんと説明するのも一つの縁だろうと考え、本稿を執筆することにした。
私が皆さんにお伝えしたいのは、「示談は魔法の手段ではない」ということである。
示談は「当事者」を拘束する「契約」でしかない
刑事事件に関する示談であっても、まず大事なのは民法、特に契約法の大原則だ。示談は、何らかの事項について双方が合意して解決を行う「和解契約」である。したがって、そもそも「契約」のルールに沿った効果しか持っていない。
契約が拘束するのは当事者だけだ。当事者の「約束」がルールの根源なのだから、示談書という書面の上に「約束をした」と署名した人たちに義務は発生するが、それ以外の人には効果がない。
今回の事件で言えば、中居氏と相手方が合意した時点で、フジテレビ内部の複数人がいずれかの当事者から相談を受けていたといった情報が明らかになっている。
当然、合意時点でそのことはわかっていたはずなので、そもそも示談だけでは事件の完全な秘匿を期待できるわけがない。だから、今回情報が明らかになったことは、「示談の意味がなかった」ということにはならない。
示談には意味があるし、その意味は示談の内容次第なのである。
示談に定めるルールは、当事者双方が合意する限り自由に作れる。たとえば、私は過去に、民事上の解決をする一方で「犯罪ではなかったこと」を相互に確認する内容も入れた示談書等を作ったことがある。また、特定の条件が守られなかった場合に約定の金銭が支払われないよう、抑止力を働かせる内容の示談書も作成したことがある。
もちろん、内容次第では相手方に応じてもらえないケースもあるだろう。しかし、お互いが約束して契約をするのであるから、その時点で何が期待でき、あるいはどのようにして期待を実現するか考えて合意をするのは、示談において当たり前である。
示談は「起訴しないこと」を約束するものではない
中居氏の示談に意味があったとする説明の中には、「刑事罰を回避できた」ことを挙げるものも見受けられた。これは、二重の意味で間違っている。
第一に、中居氏が行った行為が刑事罰に相当するかは、現時点で全く明らかではない。「9000万円も払ったのだから重い犯罪だったのだ」といった推測は全く理に適っていない。そもそも、前記のとおり示談は「当事者の合意」によって成立するものであって、何らかの法論理に従って金額などが定まってくるわけではない。たとえば、日本の民法において「~をしたら慰謝料9000万円に相当する」といった基準は存在しない。
そのため、金額から「刑事罰に相当する行為」や「重大な非違行為」などを推認するのは間違っている。
なお、私は、本件での「9000万円」という数字は、仮にその額が事実だったとしても、民事・労働法的な分析からすると全く高くはないと評価している。なぜなら、相手方が事件をきっかけに仕事を続けられなくなったことと、得られたはずの将来的な収入金額などの背景事情から導かれたものと考えられるからだ。
第二に、「示談をすれば刑事罰を回避できる」というのも間違っている。世にはびこる示談についての一番の誤解だが、回避できる場合が「ままある」だけで、示談は不起訴を約束するものではない。
たとえば、凶悪な集団レイプの事件などで、示談によって加害者が「許される」と非難する声があがることがある。しかし、私が強く指摘したいのが、示談によって多くの性犯罪は許されているわけではないという事実である。現に、示談があっても起訴される事件は存在している。
示談が成立した性犯罪事件が「不起訴」になる“本当の理由”
私に言わせれば、性犯罪で不起訴になるのは「示談が成立したから」ではない。起訴した場合の「公判が維持できない」からだ。
刑事裁判では検察側は有罪を立証しなければならず、被告人の自白のみでは有罪とはできない(刑事訴訟法319条2項参照)。そうすると、性犯罪では被害者の証言が証拠として大きな役割を果たすので、被害者が裁判所に出廷できなければ有罪の立証ができない。
一方で、性犯罪では被害者が受ける心理的負荷などへの強い配慮が求められる。いくら犯罪があったとしても、当事者が事件を終わらせると宣言し、裁判所への出廷を望まないのであれば、検察官は無理やり被害者を裁判所の法廷に連れてくることはできない。これが不起訴の背景にある理由である。
私は、この理屈を裏付けるようなケースも目撃してきている。たとえば、示談金を受け取り「相手方を許す」とは示談書に書いていても、特に法廷で証言することにも抵抗がないという人について、起訴されたケースを知っている。
また、盗撮事件や児童ポルノ事件などは、そもそも立証に被害者の証言が不要なことも多いので、犯行態様が悪質なケースでは、示談をしていても起訴されることもある。
もちろん、こういう事案でも、示談によって不起訴を導く手段はある。事実を確認したり、刑事事件とすることすら求めないという被害者の意思を反映させたりした条項を織り込んだことによって、不起訴になったケースを経験している 。
刑事事件で示談を行ったとしても、それにより不起訴になるか否かは、示談の内容次第なのである。
示談は実刑回避を約束するものではない
示談をする意味として、「減刑」の効果を挙げているものがある。これは正しいが、補足が必要だ。
示談において下げられる刑には限界がある。懲役3~4年ぐらいの犯罪で示談によって刑務所へ行くのを回避できる可能性は十分あるだろう。一方で、懲役7、8年の事件では、どれだけお金を積んでも、示談で実刑は回避できない。
刑法には、「懲役○○年以下」といった法定刑が定められている。その中で、実際にいくらの数字を当て込めるかについて、一応の論理構成が存在する。
たとえば、皆さんが裁判員として裁判に参加することになれば、「犯情」による枠決めと、「一般情状」による枠内の調整という仕組みの説明を受けることになるだろう。
要するに、「犯情」というものでおおまかな懲役刑の枠が決められ(「懲役4~6年」など)、「一般情状」でその中のどこに位置づけられるか決められる(「4年なのか6年なのか」など)という思考プロセスだ。ここで、示談は基本的に、反省の姿勢などと同様に「一般情状」に位置づけられている。
「犯情」という、行為・結果・動機経緯という犯罪の本質的な部分で下される重い評価について、反省の姿勢などによってカバーされるのには限度があるというのだ。
そして、刑法の仕組みとして、執行猶予を付けられるのは懲役3年以下の時だけである。そうすると、「犯情」の段階で懲役4年以上の評価が出てしまう事件では、いくら示談をしてお金を積んでも、実刑は避けられないのだ。
私は過去に、拘置所で「弁護士に言われるがまま千万円単位のお金を払ったのに、実刑判決を受けた」という人と、控訴するかどうかを話すため面会をしたことがある。その人が実際に犯罪をしていたのか、私にはわからない。ただ、示談の仕組みを全く理解していない弁護士の言葉に従って、何ら示談の意味を理解しないままに示談金だけ支払い、一方で事実に関する主張をできていないのは、不憫に思った。
刑事裁判においても示談の意味はあるが、その効果には限界があるということだ。
問題は「示談によって個人の責任が果たされたか」ではなく…
刑事事件といえばとりあえず示談とばかりに、示談という言葉は世間一般にも知れ渡っている。
中居氏の事件に絡んでも、聞きかじったにすぎない「示談」という言葉をもとに、色々なことが語られている。しかし、一口に「示談」といっても、突きつめるとこれだけ考えることがあり、事案ごとに意味が異なる。
最後に私がコメントとして添えておきたいのは、中居氏は「示談を済ませた」ということである。その意味は、ここまで述べたように「中身」を見てみなければ厳密に把握できないところもある。ただ、少なくとも相手方の女性に対して、金銭の支払いを行い、慰謝をしたのは事実だ。
さらに、芸能活動をやめて公の場に出てこなくなるのであれば、これ以上個人として能動的にとれる「責任」は存在しないだろう。少なくとも、司法官憲でもない他者が強いることのできる義務はこれ以上存在しない。中居氏は、行った示談において認められる効果は享受して良いし、その示談には意味がある。それ以上の効果を期待することができないだけだ。
その上で、中居氏本人の「全責任は私個人にあります」との言葉に反するが、本件はどう考えても、一人の危険な個人がいたから起きた問題には見えない。中居氏は、もともと構造的に存在していた問題に対して、何ら自らを律せず、深い考えもなく、胡坐をかいて便乗していただけではないか。
フジテレビが、ようやく本格的な第三者委員会の設置にまで動いたようなので、この事件を機に、構造的な問題が解明され、少しでも社会的な力関係を理由に不幸になる人が減ることを願うばかりである。
- この記事は、公開日時点の情報や法律に基づいて執筆しております。
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