さまざまな事情で親がいない、親と共に暮らせない子どもたちが入所する児童養施設には、全国で2歳から18歳まで約2万7000人が暮らしている(2018年厚労省調査)。
子どもたちは18歳になれば施設を出て行かなければならない(※)が、そのほとんどが就職を選ぶため、大学進学率は全国平均50%前後に対し、10%超にとどまっている。
なぜ彼女ら彼らの多くは、進学ではなく圧倒的に就職なのか。周囲の流れに逆らって、児童養護施設で暮らしながら大学進学という道を選んだ2人の学生を取材した。
※ 必要があれば、満 20 歳に達する日まで措置を延長できる(児童福祉法第 31条第 2 項)
「高校生の学びは一生のために必要なもの」
現在関東地方に住む19歳のリナさん(仮名)は、国立大学の医学部に現役合格を果たし、医学を志す大学1年生だ。リナさんは幼い頃から両親の離婚や母親の逮捕など、不安定な家庭環境で育った。
高校進学とともに児童養護施設に入所した。
リナさんが育った施設で高校生たちは、職員から「バイトをしなさい」「卒業後は就職をしなさい」と、普段から言い聞かされていた。
高校1年生の時、担任教師との面談で、リナさんは「私は進学せず就職します。卒業後の経済的自立のために卒業までに100万円貯めないといけないので、バイトをたくさん入れます」と宣言した。
しかし、その時担任は「高校生の時の学びはあなたの一生のために必要なものだ。100万円なんてすぐなくなるけど、知識は減らない。今は勉強しなさい」と強く言った。
「その言葉が衝撃で、私の意識を大きく変えました。あの言葉がなかったら、今の私はないと思います」
施設の職員の反対を押し切り、バイトはほぼせずに、部屋にこもって勉強した。
職員からは「部屋にこもるな、外に出てきて他の子と交流しなさい」と怒られたが、夜遅くまで勉強に励んだ。施設では午後6時半の夕食までに帰らなければならない規則があるが、生徒会の会合があると嘘をついて、学校に残って勉強することも多かったという。
「合否の早く出る私大に行くべき」という圧

志望校を決める時期になると、リナさんは必死で、お金のかからない大学を探した。そこで見つけたのが国立大学の医学部という道だった。
国立大学の場合多くは寮があり、奨学金も受けやすい。また、担任の「あなたなら絶対受かる」いう言葉が決め手になった。
しかし、施設の職員からはどうしても大学に進学するというなら「私立大学の指定校推薦」と言われていた。
施設の子どもたちは親がいないため、奨学金を受けられるとしても、学費も生活費も自分で賄わなければならない。進学先が決まっても、保証人の関係で賃貸の家探しに難航する場合も多い。
そのため、進学先を早く決めて入学までに、まとまったお金を貯める必要がある。入学前の期間にアルバイトなどで収入を得るためにも、施設の職員は合否の結果が早く出る私大の指定校推薦を勧めるケースが珍しくないのだ。
私立は国立の倍費用がかかるのに……
「私は流されやすいので、最初は確かに私立大学の指定校推薦のほうが決まるの早いもんな、と納得しかけていました。しかしよく考えると、私立大学は国公立大学の倍以上の学費がかかります。費用を計算して、これは無理だ、と考え直しました」
3年生になると、平日は9時間、休日は16時間勉強する毎日を送った。
そして2020年の春、合格発表の日を迎える。担任の先生とパソコンの画面を見ると、そこにはまさに自分の受験番号があった。
施設では誰も予想していなかった、国立大学医学部の現役合格だ。
「 受かっている自信はなかったので、喜びより驚きの方が大きかったです 」
早すぎる自立で選択肢が限られる

「児童養護施設から大学に進学するのには、世間に知られていないハードルが多く存在します」
現在、医大生となったリナさんは語る。
もちろん施設にもよるが、リナさんの育った施設では大卒者という前例がなかった。
18歳になれば施設を離れ、経済的に完全に自立しなければならない。進学しても奨学金やバイトで学費をまかなえず中退するケースもあった。
「長い目で見れば、私立大学より国公立大学のほうが学費は安いし、授業料免除の制度も手厚いのに『早くお金を貯めるために早く日程が決まる私立を』との理由から、国公立が選択肢にすら入らない子が多くいるのには矛盾を感じます。退所=就職という概念も今後変えていくべきです」
「LINE交換しよう」が怖かった

18歳のマキさん(仮名)は2021年の春、児童養護施設を退所し、大学に進学する予定だ。親のネグレクトが原因で、2歳の時に関西地方の児童養護施設に入所し、その後16年間施設で過ごしている。
血のつながりのない子どもたちや職員に囲まれての施設での生活は、「常に誰かが一緒にいて季節ごとの行事もあって、寂しくなかった。世間のイメージとは違って楽しいものだった」とマキさんは振り返る。
しかし、やはり高校に進学すると、周囲との違いを感じ始める。施設育ちであることを友達に告げると、「かわいそう」と言われ、それ以降教師にさえ隠しながら生活した。
マキさんは最初、スマートフォンを持っておらず、ラインを交換しようといわれるのが怖かったという。
「施設で勉強していると浮いてしまう」

18歳での自立に向け、高校1年生からスーパーマーケットでバイトを始めた。最初は週5で5時間だったが、どんどんシフトは増え、途中からはほぼ週7で入っていたという。そのおかげでスマホを購入し、卒業を控えた今では150万円ほどの貯金がある。
マキさんは自分が育った環境から、「生い立ちに関係なく、自分のやってみたい気持ちや好きを全力でかなえられる環境を子どもたちに提供したい」という思いで、病棟保育士を目指すようになった。その夢を叶えるため大学進学を考えた。
しかし、施設の職員からは大学進学を反対されたという。
「施設で勉強していると、浮いてしまう。他の子どもたちから何やってるの?って言われてしまうんです」
塾に通う選択肢もなく、施設の本棚は児童書が中心で、参考書もなかったため、宿題以外に勉強する子はいなかったという。
また、施設の子どもたちが進路を相談するのは施設の職員だが、マキさんは、職員と信頼関係を築くにも難しさがあると言う。マキさんの施設では1年で職員が入れ替わる。子どもたちにはそれぞれ担当の職員がいるが、1年経てばまた変わってしまう。
生徒にかかる負担が大きくなる大学進学
それにしても、なぜここまで、児童養護施設の子どもたちは大学進学を阻まれてしまうのだろう。
施設側の事情について、至誠学園名誉学園長の高橋利一さんに話を聞くことができた。
「児童養護施設側としては、施設を出た後、専門学校・短大・大学への進学を応援しています。 理解のある支援者の方もたくさんいます。しかし、実際には課題が多く、 全ての施設が児童と夢を共に追っていけるような施設の体制になかなかならないのが現状です。
大学は入学してから4年間、卒業するまでにかなりの費用がかかり、卒業まで衣食住すべてを賄いながら、高額の学費がかかる大学に進学するのは、生徒にかかる負担が大きくなります」
入ったら終わりではもちろんない。
「大学に入ったはいいけど続けるのが大変で中退してしまったりすると、就職も選択肢が少なくなり、その後があまりいい流れになりません。18歳で児童養護施設を退所するまでに『自立=就業』することを勧める児童養護施設が多いのが実態だと思います」
本人たちの意思があれば、専門学校・短大・大学への進学を応援したいが、その後の人生を考えると、就職を勧めざるをえない。施設側の置かれた複雑な立場が垣間見える。
生まれた環境に左右されない学習機会を

現在25歳の筆者自身も精神障害者の父を持ち、家に学習環境がなく、制服をそろえることもできないような貧困家庭で育った。こうしたバックグラウンドから、「子どもの貧困」をテーマに執筆を続けている。
高校も大学も奨学金で通っており、経済的には親はいないも同然だった。それゆえ、普段の学習環境や、進路を決定する場面で、幾度となく、経済的格差からくる教育格差、選択肢の制限を感じてきた。
その点では、児童養護施設の子どもたちが置かれている環境はとても他人事とは思えない。
リナさん、マキさんのケースで見てきた通り、親がいない・親に頼れない子どもたちはただでさえ大学進学にかなり大きなハードルがある。さらにコロナ禍の今、入学資金、また入学後の学費や生活費をまかなうための頼みの綱であるアルバイトが激減している。
育つ家庭で圧倒的ハンデを持った子どもたちも、平等に学習に励み、進路を選択できるための、経済的支援が行われることを切に願う。
マキさんも現在、高校2年生の終わりから始めた飲食店のバイトのシフトが、コロナ禍で減らされ続け、最近では月に1回ほどになってしまった。
アルバイトが激減する中で困窮しつつも、この春から大学に進学するマキさん。それでも何一つ諦めていない。
「大学卒業第一号になって、施設の子たちの希望になれたらいいな。そして、児童養護施設について、もっと世間の人に知られてほしいです」
(文・ヒオカ)
ヒオカ:1995年生まれ。"無い物にされる痛みに想像力を"をモットーに、弱者の声を可視化するライターとして活動中。