
DXを阻害するものとしてやり玉にあげられる、行政機関の「神エクセル」。
神エクセルとは、マイクロソフトの表計算ソフト「Excel」を、神=紙に印刷した際の体裁を整える目的で使用した書類のことだ。
セルの結合が多用されているため、データの抽出や、再利用がしづらいことがデジタル活用の観点で問題とされている。
とくに、役所の文書で多用されている印象があるが、そもそもなぜ「文書の体裁を整えるのにWordではなく、Excelを使う」ようになったのか。
その経緯を知る、元大阪市職員で現在はフィラメント社長の角勝(すみ まさる)さんに話を聞いた。
神エクセル登場の背景に「ワープロ」

角さんは1995年から2015年まで20年間、大阪市役所に勤務。役所の文書作成の道具が、ワープロからPCへと置き換わっていった1990年代の終わりから2000年代の初めにかけて、民生局の庶務課庶務係として文書整理や法務、備品管理などを担当していた。
角さんは役所の業務の傍ら、後に「神エクセル」と呼ばれるものが誕生していく様子を、まさに最前列で見ていたという。
「当時の大阪市役所では、シャープの『書院』というワープロが圧倒的なシェアを誇っていました。
しかし、2000年代に入っていよいよ生産が中止されることになり、パソコンへの置き換えが急速に進んでいったのです。
文書作成用のソフトとしては『一太郎』(ジャストステム製ワープロソフト)もありましたが、主にWordが使われるようになっていきました。
ただ困ったことに『書院』でできていたことの中に、Wordでは再現できないものがあったんですよ」(角さん)

自治体などの行政機関では「文書主義」が基本。ありとあらゆる手続きが、文書なしでは進まない。
そのために、どのような文書をどのように作成し、どう使ってどう管理するのか。約束事を定めた「文書事務の手引き」のようなルールブックが、どこの役所でも作成されている。
その中には例えば、「数字2桁なら半角、1桁なら全角」といったものや、文字をどう割り付けるかなど、文書の体裁についても事細かに記載されているという。
「例えば、役所から公的に発出する文書には鏡文(表紙)を添えるというルールがあり、そこには作成年月日と文書ごとに固有の文書番号を記載しなければなりません。
文書事務には、この2つを『同じ幅に割り付けなければならない』という決まりもありました。この均等割り付けが、当時のWordでは難しかった」(角さん)
ほかにも、申請書類などに名前などの記入スペースを設けたいときに、「書院」ではスペースキーを叩くだけで均等なスペースを空けることができたが、Wordではスペースの調整が難しい、思うようにできないことが度々あったという。
そうした中で「文書事務の手引き」に則った体裁で文書を作成するために、「まさに現場の知恵というか、苦肉の策として編み出されたのが、Excelのセルを使った『均等割り付け』であり、セルを方眼紙のように活用したレイアウトだった」と角さんは振り返る。
当時「神エクセル」はUX向上のために生まれた
では、そもそも「文書事務の手引き」ではなぜ、事細かな体裁まで規定されているのだろうか。
もちろん、誰が担当になっても変わらず、統一した文書をつくれるようにということもあるだろうが、角さんは「来訪者のユーザー体験(UX:ユーザーエクスペリエンス)」を例に挙げる。
「例えば、市民に申請書などを書いてもらうときにも、書式が統一されていた方が現場の職員も説明がしやすい。細かい規定は、申請書などを書いてもらう際の体験を向上させるためと、言えるかもしれません」(角さん)
しかし、そういった評価基準はDXを促進させようという現代とは合わないのではないかとも指摘する。
「今、求められているのは、紙中心から、デジタル中心の体験への移行です。
入力機器が紙とペンではなく、パソコンやスマホや通信を主体とした形態に変わっていくこと。そのための新たなルールを定めることではないか」(角さん)
DX促進の鍵は「やり過ごすインセンティブ」の解消
ただし、そのためには「強力なリーダーシップが必要」ともいう
神エクセルがさまざまな制限の中でルールを守るために、創意工夫がされた結果だったとしても、それが現在に至るまで引き継がれてきた背景には、「やり過ごすインセンティブ」があったことは否定できないと角さん。
「先日、国土交通省の統計不正の原因を指摘した第三者委員会のレポートで、問題を先送りする意識=やり過ごすインセンティブがあったという指摘がされています。
神エクセルの問題もまさにそうで、文書事務の手引きに則ったドキュメントフォーマットが、担当者のソフトウェア資産として、継承されていったんです」(角さん)
こういった資産はやノウハウは、それなりの手間暇と工夫(スイッチングコスト)をかけて置き換えられてきた。ただ、こうしたドキュメントフォーマットは、「やり過ごすインセンティブ」によって脈々と引き継がれてきた。
そのレガシーが今、結果として役所のDXを阻害しているのは事実だ。
だからこそ「デジタル化へのトリガーは、現場ではない誰かが引く必要がある」と角さんは言う。
「適切な法改正やガイドラインの提示など、リフレームのトリガーを引いてくれる。そういうことをデジタル庁にはぜひ期待したいですね」(角さん)
角 勝(すみ まさる):株式会社フィラメント 創業者・CEO。新規事業開発支援のスペシャリストとして、上場企業を主要顧客に、前職の大阪市職員時代から培った様々な産業を横断する知見と人脈を武器に、事業アイデア創出から事業化までを一気通貫でサポートしている。オンラインとオフラインを問わず、共創型ワークショップや共創スペースの設計・運用にも実績を有する。経産省の人材育成事業「始動」のメンターも務めるなど、関わった人の「行動の起点をつくる」ことを意識して活動している。CNET JAPANにて「新規事業開発の達人たち」「コロナ禍で生き残るためのテレコラボ戦略」連載中。1972年生まれ。関西学院大学文学部卒。