18歳で引かれる分断線
岡山県の公立高校、いわゆる進学校ではなく、生徒たちの進路は就職と進学で50:50にわかれる高校である。4年制大学進学は少数だ。教室の一角で女性教員は1時間ほど生徒とその母親を説得していた。
「いまの成績なら国公立大学の進学を狙えますよ。どうですか」
「はぁ。いやまぁ大学ですか……」
「いけるなら大学を狙ったほうがいいですよ。その先の可能性も広がります」
「はぁ。でも先生、あと4年も勉強するんですか?」
普通に考えれば、地方で国公立大学を卒業すれば、就職やその先の進路で可能性は広がる。この教員が以前、勤務していた進学校の生徒たちなら、親も含めて二つ返事で目標として決まるような大学だ。それでも、反応は薄い。
そこで、気がつく。この生徒の親や親族に、大学へ進学した人はいない。進学校の生徒たちとはその時点で、価値観に根本的な違いがある。大学進学のイメージがわかず、高校と同じような教室で勉強する生活があと4年続くと思っている。
教員はBuzzFeed Newsの取材にこう答える。
「進学校の両親はほとんどが大卒。この学校はシングルの家庭も多いし、親もほとんどが高卒。親の収入と学力格差が比例する問題はよく言われるけど、文化の違いもありますよ」
「大卒の家庭は大学のメリットを知っている。だから、最初から子供も進学させようとしますよね。でも大学のメリットを知らなかったら、進学のための貯蓄だってしない。学力以前に選択肢から消えるんですよ……」
大卒と非大卒 それぞれ偏った「日本」が見えている
「トランプ大統領誕生の背景には社会の分断が〜」。散々、こんなセリフを聞いた。「分断」をまったくひとごとのように語っているが、日本にも分断は存在している。最大の分断、それが学歴だ。
大卒は大卒同士で、非大卒はそこでかたまり、それぞれまったく違う文化のなかで生活をしている。いってしまえば、違う日本社会で生きている。自分とその周囲の視点だけでみる「日本」はかなり偏っている可能性がある。
「日本社会をケーキで例えると、下半分はスポンジケーキで、その上にミルフィーユがのっているんですよ。下は非大卒で、上は大卒ですね。大卒の人たちは細かい階層にわかれていて、どこの大学を卒業したかを学歴だと思っているんですね。それは『学校歴』であり、学歴ではありません。大きな勘違いです」
「学歴分断社会」などの著作がある、大阪大の吉川徹教授(計量社会学)はこう語る。吉川さんは、格差社会を読み解くための大規模面接調査「SSPプロジェクト」を率いるこの分野の第一人者だ。
大卒は勘違いしがち、学歴=学校歴ではない
吉川さんの話をもう少し細かく見ていこう。大卒組は学歴をこんなイメージでとらえている。
「1番上には海外有名大や東大がいて、その下に早稲田大や慶応大があって……。自分はどこの階層にいるのかな」。ミルフィーユのように偏差値別に大学名が並んで、自分は何番目の層、ランクにいるかを気にかける。
「社会にでれば学歴は関係ない」という言葉もミルフィーユの階層での話だ。ミルフィーユの中での学歴と、社会的な地位とが逆転したとき、この言葉はリアリティーを持つ。しかし、その下にスポンジケーキがあることは見えていない。
学歴分断は、ミルフィーユのなかで生活する人たちが、スポンジケーキの存在を無視したときに起こる現象だ。
吉川さんは高卒(=非大卒。データ上、専門学校卒を含む)と大卒の間にある分断を「ガラスの天井」と呼ぶ。
「日本社会を調査データからざっくりと見ていくと、2人に1人は非大卒です。大学の定員もありますので、今後もこの数字は大きく変わることはないと予想します」
出席した結婚式、そこが大卒ばかりなら偏った人間関係になっている
「では、この記事を読む方の周囲はどうなっているでしょうか?75〜80%の大卒は大卒同士で結婚し、高卒は高卒同士で結婚する。いま日本で進んでいるのは、大卒夫婦の子供は大卒に、高卒同士は高卒にという流れです」
例えば、結婚式を想像してほしいと吉川さんはいう。招待された式で、大卒ばかりが集まっているのか、高卒ばかりが集まっているのか。双方、バランスよくいるのか。
「ある式場で一つの部屋は大卒ばかり。もう一つの部屋は高卒ばかり。そんなことが現実に起きているわけです。それは、昭和の時代と異なり、学歴が再生産されるようになったからです」
学歴が再生産されていく
かつて、昭和の時代には、自分たちは高卒でも、子供には大学をでてほしいというインセンティブが働いた。それは、社会全体が好景気で、上り調子だったからだ。
いまよりも次の世代で社会は良くなる、ならば子供には学歴をつけさせたほうがいい。しかし、現状はどうだろう。昔は少なかった大学も増え、大卒人口も増えた。なにより親も高学歴化し、大卒のメリットを知った世代が増えた。
「大卒というのは、18歳からの4年間で1000万〜1500万円くらい自分に投資をして、将来の成功のためのチケットを買うこと」だ。
最初から子供に投資をするメリットを感じないーーあるいはできないーー家庭もある。そこで生まれた子供には親の学歴を超える動機はない。そんな子供の割合が高いのが、高卒親の家庭になる。
吉川さんは親子で大卒、親が高卒→子供が大卒、親が大卒→子供が高卒、親子で高卒——の4類型にわけて比率を分析している。
今後はこんな風に推移するというのが吉川さんの予想だ。
- 親子で大卒⇨35%
- 親が高卒→子供が大卒⇨15%
- 親が大卒→子供が高卒⇨15%
- 親子で高卒⇨35%
ちなみに、小中学校から受験をさせる家庭は大卒親家庭が圧倒的に多いという。早くから子供に投資し、大卒という切符を早めに買うというのが動機だろう。
低学歴は自己責任、というウソ
分断線が見えてくると「自分の学歴は自分の努力だけでつかみとったもので、低学歴は努力不足」という考え方がとても陳腐に思えてくる。そもそも、勉強に対する動機付けがまったく違う。
自分の学歴は、たまたま、そういう環境に生まれたことに大きな要因がある。
「非大卒を低学歴ってバカにしたように言うでしょ。あれはとても信じられない話です。大卒エリートは大きな枠でみたときに、どういう環境で自分が育ってきたか、を考えないといけない」
「学歴分断線は、経済力、文化、政治参加にも影響を与えています。繰り返される格差社会論は、私の考えでは学歴分断のいろいろな側面を語っているものです」
過去分も含めた大規模な社会調査から見えてくるのはこんなデータだ。まず、非大卒は、雇用や景気の影響を受けやすい。
昭和の昔、「金の卵」といわれた高卒者にはこんな道が用意されていた。
大手の製造業、鉄道、電力やガスなどインフラ企業が用意した寮に大量の就職者とともに入る。ホワイトカラーが管理を担当し、ブルーカラーとして手を動かすのは高卒組。年を重ねると、社内恋愛やお見合いで結婚し、社宅に住み、家族が増え、やがて家を買う……。
中間層というのは「金の卵」的ブルーカラー労働者を指していた。しかし、いまは大卒ホワイトカラーが中間層だ。高卒ブルーカラーは下に押し下げられている。
ロスジェネ世代(バブル崩壊後、就職氷河期に直面した世代)以降は、うまく就職できても、景気一つで離職の危機にさらされる。
「格差」を押しつけられる高卒 下流、絶望……
少し古いが2005年にあった大規模社会調査プロジェクトの時点で、自分を「下流」だと答える若者のうち、非大卒は実に7割を占めている。非大卒、非正規、低収入……。経歴と実際の収入が下流意識と密接に結びつく。
「先が見通せないなか、若者たちは履歴書を何枚も書く時代に入っているんですよ。そこで高校の名前を書く。同じくらいの年齢なら、大卒のほうが優先して入っていく現実を何度もみせられるでしょう。自分は下層だと思うことは不思議でもなんでもない」
意欲の格差、希望格差と呼ばれた現象も学歴分断で説明ができる。
同じ調査で、自分が頑張っても社会はよくならない、と答えた層は、「収入」や「正規社員/非正規社員」の違い以上に「大卒/非大卒」の違いで、明確な差がでている。
つまり、非大卒ほど、社会に対して絶望している。
政治参加にも影響している。大卒層は政治参加への意欲も高いが、「非大卒・低収入層」は政治参加への意欲が飛び抜けて低い。
一番、救われないといけない層なのに、彼らは政治からもっとも縁遠いところに置かれている。これも、生まれ育った環境影響が強いことを考えると、一概に自己責任とはいえない。
強みを手放す社会
こうした傾向は2016年も変わっていないだろう。いまの社会は、ケーキで例えるとこうなっている。
ミルフィーユ層は会社もしくはグローバル化した経済のなかで、ポジションをつかもうと椅子取りゲームをする。その下のスポンジ層では、流動化が進み、必死に職を得ようとしているが、振り落とされていく人が続出する。スポンジケーキはスカスカになり、やがてミルフィーユ層も沈んでいく……。
「日本経済の強みとは何かを考えると、私はボトムの高さにあったと思うんです。高卒だって世界的にみれば決して学歴としては低くないわけです。彼らが手を動かしているから、大卒は別の仕事に専念できた。いまの社会は日本経済の強みを手放していますよね」
学歴で分断から共生へ どの「格差」が問題なのか?
では、どうしたらいいのか。いちばんシンプルな解は分断線を越えて、学歴をつけさせるというものだ。具体的には、高卒親→子供は大卒という層を増やすこと。
しかし、これは当然ながらうまくいかない。大学だって入学枠があり、みんなが大卒になれる社会は現実的ではないからだ。
例えば大卒親に子供が2人いたとする。子供を1人は大卒、1人は高卒にすることが、学歴再生産を手っ取り早く防ぐ方法だが、納得するだろうか?
吉川さんはこう主張する。
「私も子供が2人いますが、多くの大卒親も納得しないでしょう。問題は、大卒と高卒を上下関係でみることにあります、社会がうまく回るためには、私のような大学の研究者も必要ですし、ブルーカラー労働者だって必要なんです。同じ世代で、必要な仕事を分業している。こういう理解が必要です」
学歴をつければ格差は解消される。こうした主張は突き詰めれば、誰かが学歴によって割りを食う社会を肯定するということだ。
大卒が偉くて、非大卒は下——ではなく、翼の両翼と考える。大卒だけがうまくいく社会は、不安定どころか墜落しかねなない。
収入の大小ではなく、生活の基盤や安定が奪われるような格差を是正すること。これが必要なのだ、というのが、吉川さんの指摘だ。
キーワードは学歴分断社会から、学歴共生社会への転換だ。
「高卒者にだけ高いリスクを押しつける社会は、もう持たない」
「貧困と学歴が結びつくのは、学歴が足りないから、ではなく、貧困対策が足りないからです。そこを間違えてはいけない」
「格差も同じです。奨学金を出すのもいいのですが、生まれ育った家庭の文化的影響は0にはなりません。解決しないといけないのは、分断によって大卒だけが有利になる社会であって、全員が大卒になる社会ではないのです」
「例えば高卒の18歳を、いきなり流動化する労働市場にさらすのではなく、正社員として働いて、職能を身につけさせれば、社会にとって大事な力になります」
「求人を景気に左右されにくくするために、例えば企業が雇用したくなるインセンティブをもった政策をとる。必要なのは、昭和型雇用に代わる新しい雇用政策です」
分断もここまでくると、「高卒」というのは一つの「階級」、あるいはアメリカでいう「エスニシティ」に近いものに思えてくる。吉川さんの著作にある例え話が的確に現状をあらわしている。
「もし、アメリカで、業績不振を理由にリストラをするとき、白人は対象から外し、黒人やアジア系だけ契約を打ち切る。これは許されないだろう」
しかし、日本では学歴分断線を積極的につかって打ち切り対象者を決める。割りを食うのは、非大卒層だ。学歴分断を暗黙の了解にして、流動化を特定の「層」に押しつける。このままだと社会はますます不安定になっていく。
「繰り返しますが、学歴で上下をつけるのをやめるべきです。対策を考えるのは、大卒エリートの大事な役目ですが、そこで現実を見誤ってはいけないのだ、と強く言いたいと思います」
「高卒者にだけ高いリスクを押しつける社会は、もう持たない。特定の層だけが割りを食う社会から、共生への道を探るために知恵をしぼること。それこそがエリートの役目なのです」