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戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場

戦争から生き残り、日本へ帰国しても精神病を患ったとなると一家の恥とされ、故郷に帰れず入院したまま戦後の日本を過ごす兵士たちも多くいました。自身も元復員兵の父を持つ埼玉大名誉教授の清水寛さんに、戦時中の経験によりトラウマを抱え苦しんだ兵士たちの話を聞きました。

戦争で心を病み、70年以上が経っても入院したままの日本兵たちがいる。1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦。戦後は、今も続いている。

絶望的な戦場に投入されて亡くなった日本軍兵士は、200万人以上。生き残った人たちも、身体や心に大きな傷を受けて帰国した。

兵士を苦しめた精神疾患

いまで言うPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされた元兵士も多かった。

なかでも、病院暮らしを余儀なくされ、社会復帰できないままになってしまった人たちの存在は、あまり知られていない。いまだに入院中の人だっているにもかかわらず、だ。

精神疾患などで入院した元兵員、8千人分のカルテを分析した埼玉大名誉教授の清水寛さんはBuzzFeed Newsの取材にこう語る。

「戦地の加害経験などによって精神を病んだ人たちは、『戦争神経症』と呼ばれました」

清水さんによると、敗戦直後までに入退院した日本陸軍の兵士は約2万9200人。その半分にあたる約1万450人が、さまざまな精神疾患に苦しんだ。

軍部は、国府台陸軍病院(千葉県)を中心にその対応に当たった。1940〜45年にかけては、いまの東京都小平市など3カ所に療養所が設置されている。

それほど、兵士たちの精神疾患は重大な問題だったのだ。

子どもを殺した記憶

清水さんが分析した当時のカルテである「病床日誌」のうち、1372人が「戦争神経症」だった。カルテには、たとえばこんな記載がある。中国に派遣された30歳の男性だ。

精神分裂病 昭和十九年二月八日病名決定

「同僚に悪口を云われる様な気がし 誰か跡をつけられて人に会ふのが恐ろしくなり……目や鼻のない坊主の姿が見へて来た」

「女や男の泣声が聞こえたり、聖徳太子の声も聞こえる」

「まさにPTSDの症状だと言えます。私たちが戦争神経症と判断したうち、1割以上がこの症状でした」

なぜ、彼らは「戦争神経症」に悩まされたのか。清水さんは、6つの類型があると指摘する。

  1. 戦闘恐怖(戦闘行動での恐怖・不安によるもの)
  2. 戦闘消耗(行軍など、戦闘での疲労によるもの)
  3. 軍隊不適応(軍隊生活への不適応によるもの)
  4. 私的制裁(軍隊生活での私的制裁によるもの)
  5. 自責念(軍事行動に対する自責の念によるもの)
  6. 加害による罪責(加害行為に対する罪責感によるもの)

そうして、さまざまなトラウマに悩まされている兵士たちの姿が、カルテからは浮かび上がる。

「12歳くらいの子どもを突き殺した。かわいそうだと思ったことがいまでも頭にこびりついている」

「部落民を殺したのが脳裏に残っていて、悪夢にうなされる」

「子どもを殺したが、自分にも同じような子どもがあった」

「付近の住人を殺した。夢の中で殺した領民が恨めしそうに見てくる」

ただ、公的に残す資料であるカルテには、軍事機密としてそれらの言葉が載らない場合も多かった。日本軍が残虐行為をしたと、記録に残さないためだった。

「にもかかわらず、これほどの数が残されていた。ということは、それだけ多くの人たちがトラウマに悩まされていた証拠とも言えるのです」

帰ることのできない故郷

1964年に施行された戦傷病者特別援護法に基づく共同通信のまとめによると、最多の1978年度には、1107人の元日本軍関係者が精神疾患の治療をしていた。

「戦後、家族が病院に入れた身内を引き取らないケースもありました。病気は治っていても、そのまま入院させられたのです」

「身体障害者は名誉の負傷となり、家族も堂々と胸を張りました。一方で、精神を病んだ兵士は家の恥となり、隠される存在となってしまった。そうして戦後も故郷などには帰れず、『未復員』のまま一生を終えた人がいたということになります」

精神疾患を治療するための入院先で死亡した元日本軍関係者は、計682人。厚労省の最新統計(2014年度末)では、13人が治療を続け、うち6人は入院したままだ。

清水さんは2002年から05年まで、かつては療養所だった福祉施設などを訪問。元軍人に面会した。

帰国後、復員することなく、入院したまま過ごす人たち。統合失調症と診断されたある男性は、「戦争で恐ろしいことがあった。支那人を銃剣で刺した。みんなで」と話していた。

男性は、故郷に帰りたいと言っていたという。「戦時期から時間が凍結していると感じました」

忘れることのできない記憶

入院をせず、トラウマを抱えた人まま生き抜いた人たちも、多かった。

清水さんの父親もシベリア抑留から帰国後、しばらく「異常」な状態が続いていたという。自分の名前を忘れたり、馬糞を「パンだ」と手に持ったりしていたことがあった。

強制労働や極寒、そして飢餓がその原因だったのではないかと指摘する。のちに治癒したものの、アルツハイマー型認知症になってからは、「ソ連兵が来るから逃げろ!」と夜中に叫ぶことがあったという。

私(籏智)がこれまで取材をしてきた元兵士たちも、同じだった。

いまだに夜中にうなされる人、機銃に撃ち殺された仲間達の遺体の「眼差し」を思い出してしまう人、スパムを盗むために殺した米兵の顔が忘れられないという人……。

みんな、70年以上前の記憶を、忘れることはできていなかったのだ。

思えば、私の祖父だって、そうだった。陸軍憲兵として満州の地を踏んだ人だったが、晩年、病床で朦朧とした意識のなか、こう叫んでいた姿は忘れられない。

「急げ、急げ!」「やめろ、放せ!」

ときおり軍歌を口ずさんだ祖父は、ずっとうなされていた。夢の中で戦争をしていたのだろう。

清水さんは言う。

「殺し、殺されるという場面を目撃した苦しみは想像を絶します。老いとともに症状が出てくることもあるのです」

「戦地に行った兵士は、二度苦しむことになるのです。1度は戦地で。そして2度目はトラウマによる苦しみです」

1人の自殺者の裏には

現代においても、戦闘行為とPTSDは深く結びついている。

米軍のアフガン、イラク派兵の現実を描いた「帰還兵はなぜ自殺するのか」によると、派兵された200万人のうち、実に50万人にPTSDの症状があるという。

自殺者は、毎年240人以上に上るという。アメリカでは、国をあげて治療プログラムや予防などの対策に乗り出している。

日本の陸上自衛隊でも、イラクやインド洋に派遣された経験のある56人が在職中に自殺したことが、2015年の政府答弁で明らかになった。うち、精神疾患を原因としたものは14人という。

ただ、この数字に関しては、防衛省の作成した資料を根拠に「一般成人男性より自殺死亡率は低い」とする反論もある

清水さんは、海外派遣された自衛隊員の自殺に触れながら、こうも語る。

「1人の自殺者の後ろ側には、精神的に問題を抱えた大勢の隊員がいるはずです」

政府は12月から、PKO任務で南スーダンに派遣される部隊に「駆けつけ警護」などの任務を新たに付与した。

実質、内戦状態にあるとも言われる南スーダン。ジュバでは2016年7月、数日間で300人以上の死者を出す大規模な「戦闘」が発生。自衛隊の宿営地の隣にあるビルでも銃撃戦が起きていた。

PKOに参加していた中国軍2人も死亡している。隊員たちの心の負担は、より一層大きいものになるだろう。

清水さんは言葉に力を込める。「同じことを繰り返してはいけない」