3 庭園都市江戸・東京 渋沢栄一物語「明治政府・東京を救った七分積金」
Aug 22, 2019
3 minutes
しち ぶ つみきん 東京を救った「 七分 積金」とは
「七分積金」を理解するため 、あらためて江戸 時代の社会の仕組みを見ておきたい 。 尾藤正英 『江戸時代とはなにか』によれば 、 江戸幕府 260 年の安定した社会はいわゆる「分・役」の明確な 身分区分と、その役割と責務が課せられた社会 構造で支えられてきたと整理している 。その分と役 割は「武士 : 石高に比例して人 、 武器を準備し 、 戦時に兵を率いて主君に従軍する義務 、 農民 : 保 有する農耕地の石高に応じた米など年貢として 納める義務 、 町人 : 町の構成員として各種の「役」 を負担する義 務を果たすことで成り立ってきた社 会である」と紐解かれている 。
さて 、 江戸の土地はざっくり見て武家地 :6 割 、 寺社地 :2 割 、 町人地 :2 割からなる 。 七分積金 の主役である 2 割の町人地の管理運営の仕組 みについて見ると 、 江戸幕府からの命令を伝達 する町年寄 (3 人 )と 、その下に町名主(23 組合 、 専業で原則副業は禁ぜられ給金は町入用から 支出 )、 さらにその下に家主層が配置され末端の 実務を運営していた 。いわゆる「五人組」のこと で、 役人との連絡 、 町内設備の点検など町政を 担った。
町人が負担「 ちょう にゅう よう町 入 用 」
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