テレビをつければ、どこのチャンネルでも緊急特番を組んでいる。数々の伝説を持つあのテレビ東京でさえ、通常放送を取りやめたことで、人々を驚かせている。
今回の災害の影響で、ここ数日に予定されていた様々なイベントが中止になった。中止の決定にはそれぞれの事情があるのだろうし、そうしたことで被災者が救われる場合も少なくないはずだ。ただ、いまは非常時だからすべての娯楽は自粛せよ、と強要するような意見には、どうしても違和感を覚える。
地震が発生したその日。東京・九段会館大ホールでは、夕方から「唐山大地震」の試写会が行われる予定だった。
ただ、3月26日からの一般公開は予定通り実施されるものと期待していたのだが、14日になってやはり公開の延期が発表された。わたしは1月に行なわれた試写で見て、そのあまりの完成度の高さに驚愕していただけに、この公開延期は本当に残念でならない。
同時に公開が中止となったクリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」は、たとえ悲惨な大津波のシーンがあったとしても、監督のこれまでの実績を加味して「ヒューマニズム溢れる傑作」との評価がなされている。だから公開中止を嘆く声も多い。けれど、まだ公開もされていない「唐山大地震」は、そうした評価を与えられる機会を失い(たとえ延期の後に公開されたとしても)、このまま埋もれてしまうような気がしてならない。
この映画は、地震の悲劇を興味本位で取り扱ったものではない。自然災害が人間の生活を破壊することの恐ろしさと、それを乗り越えて生き抜こうとする人間の力強さを真正面から描いた、災害映画史上まれに見る大傑作だ。いま、まさに被災して、避難生活を送っている方々にこれを見ろ、などと言うつもりはないが、被災地から遠く離れた場所にいる人たちには、ぜひ見てほしい。
そのために、あえてこんな状況のときに「唐山大地震」のレビューを書くことにする。
舞台は中国河北省唐山市。石造りの家が並ぶ町に、父と母と幼い姉弟の4人が暮らしていた。
1976年7月28日の夜、マグニチュード7.8の直下型地震が唐山市全域を襲った(これは「唐山地震」として現実に起こったこと)。幼い姉弟は、両親の留守中に二人で寝ていた。
突如襲いかかった地震に家は激しく揺れ、いまにも崩れんばかりの状態だ。そこへ戻ってきた両親。子供を助けるため、真っ先に母が飛び込もうとするが、父がそれを突き飛ばし、代わりに自分が揺れる建物に突入する。と同時に建物が崩落し、父は崩れてきた建物に押しつぶされてしまう。幼い姉弟も、瓦礫の下で生き埋めになった。
地震が収まった後、救助隊が助けにやってくるが、思うように救助は進まない。大きな瓦礫が娘と息子の両方へのしかかっており、どちらか片方の側しか持ち上げることができないのだ。
時間が経つほど二人の子供は衰弱していく。迷っている暇はない。追いつめられた末に、母親はまだ意識がある子供の方を──息子を助けてくれと、力なくつぶやく。
無事に息子は救助された。片腕はつぶれていたが、命は助かった。母は、娘を見捨ててしまった罪悪感を胸にため、息子を連れてその場を去る。あとには、瓦礫の下から引き出された娘の遺体が父の横に並べられていた。
それから数時間後。死んだと思われた娘が目を開いた。
「──息子を」というあの言葉。
もう、ここまでのドラマを見せられただけで、同じ年頃の娘を持つわたしは身体の震えが止まらなくなってしまうのだが、これはまだ導入部でしかないのだ。ここから、母親に見捨てられた思いが忘れられない娘と、娘を見捨てた罪悪感で自分を苦しめ続ける母、という2つの人生が、平行線を描きながらたっぷりと描かれていく。どれだけたっぷりかというと、驚くなかれ32年だ! 上映時間は2時間15分だけど、それぞれの生活ぶりを驚くほど丁寧に描写しているので、本当に32年間、彼女らの人生を見守り続けているような気持ちになる。
唐山での大地震は現実に起こったことだけれど、映画に登場するこの家族の人生はフィクションだ。そしてフィクションは、ときに現実よりも大きな衝撃で迫ってくる。
テレビを見ていると、「建物がガラガラと崩れる瞬間」や「津波が町を飲み込む様子」や「コンビナードの炎上」といったものが延々と映し出され、いたずらに恐怖心を煽っている。これは何のために放送しているのだろう? 誰のために放映しているのだろう?
いまマスメディアが行なうべきは、悲惨な状況をお茶の間に提供することじゃない。
災害の恐ろしさを伝えることが報道の役目じゃない。そんなことは“フィクション”が引き受ければいいことだ。そのために映画がある。(とみさわ昭仁)