事の発端は、4月28日発売のビッグコミックスピリッツ誌に掲載された「福島の真実 その22」において、主人公の山岡士郎とその父親の海原雄山が福島取材から帰ってきたら体がだるく、鼻血が出たというものです。
あまりにもショッキングな描写だったためか、1ページだけが切り取られた画像がインターネット上に出回り、そこだけを見て叩くという人も多く出ました。でも、1ページだけを見て作品のことについてあれこれ言うことはするべきではないと思います。
そこで、美味しんぼ全体の歴史を振り返り、何故美味しんぼが福島のことを描いているのか、今回のシリーズはどのような流れだったのかを見ていきたいと思います。
なお、美味しんぼの第○話という表記は雑誌掲載時のものです。単行本では全て1巻ごとに「1話」「2話」と付け直されています。さらに複数回に渡る話では「2話その1」「2話その2」と表記されます。今回の「福島の真実」編は第604話にあたり、それがその24までの24回に渡って掲載されたものです。以降の表記では、「福島の真実」編以外では単行本何巻何話と記載しています。
●「日本全県味巡り」からドキュメンタリー志向になった
多くの方が美味しんぼは山岡士郎の「究極のメニュー」と海原雄山の「至高のメニュー」の対決の物語と思っていることでしょう。それは間違いではありませんが、正確とも言えません。
この対決は15巻1話「究極VS至高」から始まりました。
ちなみに究極のメニューは1巻1話「豆腐と水」から登場します。東西新聞100周年記念事業として、後世に残す文化遺産としてのメニューを作るという目的で始まりました。そのためのテストが豆腐と水の味比べであり、合格したのが山岡と栗田だったのです。
この対決は、47巻3話「結婚披露宴」における山岡と栗田の結婚披露宴で、究極のメニューと至高のメニューの完成発表会として一区切りします。ここまでで27回戦ありました。
ここで、金上社長という美味しんぼ史上最悪の強敵が現れます。金上に対処するために対決はしばらくお預けになり、再開したのは59巻2話「対決再開! オーストラリア」です。
そして、67巻5話「真の国際化企画」において、東西新聞の新企画「日本全県味巡り」が登場します。国際化を進めるためには外国のことを理解しなければならない、食文化を通じて読者に外国文化の理解を深めてもらうための作業をしろという大原社主。それに対して「本当の国際化は、国内の理解を完璧にしてこそのこと。日本の全県、すべての地域。
山岡の意見が通り、さらには海原雄山も巻き込み、この後究極のメニューVS至高のメニューに「日本全県味巡り」という要素が加わるのです。
日本全県味巡りでは、各県へ実際に取材へ行き、実在の人物が登場し、その地域の郷土料理を振る舞うという話の流れが定番化しました。ここから美味しんぼはドキュメンタリー色を強めていきます。
ブログ「雁屋哲の今日もまた」でも、「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」の目的は、日本の各地の伝統料理、伝統文化を記録し、後世に伝えること。若い人達にその価値を認識して貰い、自分たちの祖先の残した尊い財産を受け継いで貰うことと明言されています。
究極のメニューが後世のために食文化の極みをメニューとして残すというコンセプトであることと、日本全県味巡りが失われつつある日本の豊かな郷土料理・伝統を記録に残すということは、何も矛盾せず、同じ方向を向いています。そうして、各県に緻密な取材を行い、その成果をマンガにする味巡り編がスタートしました。
2014年5月現在では、合間に味巡り以外の究極VS至高を挟みつつ、これだけの県を巡っています。
71巻1話「日本全県味巡り大分編」
75巻2話「日本全県味巡り宮城編」
77巻5話「日本全県味巡り大阪編」
80巻2話「日本全県味巡り山梨編」
84巻1話「日本全県味巡り富山編」
87巻3話「日本全県味巡り高知編」
98巻1話「日本全県味巡り長崎編」
100巻1話「日本全県味巡り青森編」
103巻1話「日本全県味巡り和歌山編」
109巻1話「日本全県味巡り島根編」
ちなみに102巻1話「究極と至高の行方」にて、山岡VS海原の構図は一段落。後継者の飛沢VS良三の戦いへと移り、山岡と海原両名はアドバイザーとしてそれぞれをサポートしています。
日本全県味巡り編の最大の問題は、郷土料理を紹介・記録に残すという色が強くなりすぎてしまった結果、ストーリーが弱まったことでしょう。
なお、この時より美味しんぼは取材期間を一定以上とるようになり、休載が目立つようになりました。1つのシリーズために休載して取材を行い、単行本1冊分の連載をしてから単行本を出し、また取材のために休載の繰り返しです。今回の「福島の真実」編が終わった後に休載をするのは、今までの美味しんぼと全く同じ既定路線であり、言論封殺等ではありません。
●被災地への取材はいつから?
美味しんぼで環境問題に本格的に取り組んだのは101巻2話「食の安全」からでしょう。それまでにもたびたび環境問題について取り上げられた回はありましたが、ここから長くまとまって語られるようになりました。
何故美味しんぼで環境問題に取り組むのか。ブログから引用してみましょう。
美味しい食べもの、安全な食べものは、健全な環境有っての物だと思う。
その健全な環境を破壊する物に対しては、「美味しんぼ」を書いてきた人間として異議申し立てをする必要がある、いや、義務がある。
「食」のための健全な環境のために、美味しんぼでこそ取り上げなければならないという問題意識からきているのです。環境問題への提言は、104巻1話「食と環境問題」、105巻1話「続・食と環境問題」と続きました。
そして108巻1話「被災地編・めげない人々」が出ます。これは東日本大震災から3ヶ月後に、実際に取材をして出会った現地の人々を訪ねるという企画。日本全県味巡り青森編で協力した齋藤博之氏の案内で被災地を巡り、日本全県味巡りに登場した人や、陸前高田にあった醤油の八木澤商店、86話3話「わざわざ!?焼き魚」に登場した店などを尋ねます。
被災地の青森や宮城へ取材に行ったこと。環境問題を考える上で原発問題についても取り上げていること(104巻1話「食と環境問題」その8、その9で青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場問題について取り上げています)。そういったことが合わさり、110巻1話「福島の真実」編へとつながっていくのです。
●「福島の真実」編は結局どうだったのか
大きく話題になったのはその22の鼻血からです。鼻血までの流れを簡単に説明します。
・東日本大震災の後、6回福島の取材に行った
(その過程で山岡は自らのルーツが福島にあることを知り、父・海原雄山と和解したりもした)
・福島の食べ物の安全性についての取材を行い、安全が証明されている食べ物を食べないともったいないと主張
・福島第一原発を見学
・福島から帰ってきた山岡に鼻血と倦怠感
この後に医者に行くも、はっきりと「福島の放射線と鼻血を関連づける医学的知見がない」と言われます。
それどころか、井戸川氏と荒木田岳氏(福島大学行政政策学類准教授)は「もう福島には住めない」とまで言い切ります(その23)。
そして、実際に福島から避難した人などに取材をし、最後は会津若松で会津藩が幕府の巡見使のために用意した料理を食べ、終了します。
そこで出た結論としては以下のようになっています。
・井戸川氏や荒木田氏は「福島にはもう住めない」と言っている
・だが、放射能に対する認識や郷土愛、経済的な問題などで福島を離れられない人は大勢いる
・福島の危険性について言葉を控えるのは良識とされているが、それは偽善ではないか
・福島の人たちに危ないところから逃げる勇気を持って欲しい
・それを全力で支援することが我々にできることではないだろうか。
・国に対し、住居、仕事、医療など個人では不可能なことを補償するように国に働きかけたい
これについては、一見正論に見えるけれども、前提が間違えていると言えるのではないでしょうか。つまり、井戸川・荒木田両氏の言う「福島にはもう住めない」という発言が、間違えているということです。これは鼻血よりも大きな問題です。
もちろん住むのに危険な区域はあるでしょう。でも、福島全域が住めないというわけではないはずです。その前提を間違えた上での話の展開は、やはり風評被害を助長したと言われても仕方ありません。
この号では異例の事態として、有識者からの意見を募り、また編集部の見解が掲載されています。
『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見、編集部の見解
このような意見の場を設け、きちんとした見識を持った人の意見を記載するのはすばらしいことだと思います。ただ、ちょっと批判と賛同の意見のバランスをとろうとするあまりか、過去に科学的に正しくないトンデモを吹聴したことで話題になった人物の意見まで記載したのは良くないことだと思いますが……
いずれにせよ、ようやくこれで「福島の真実」編が一段落つきました。作品の批評や、記載されている内容の是非については、これからしっかりと行っていくべきでしょう。1ページだけを見て批判した人は、是非とももう一度全体を読んで(おそらく来月か再来月には111巻が出ると思われます)から考えてはいかがでしょうか。センセーショナルな「鼻血」に惑わされずに、しっかりと読み、議論を行っていきたいと思います。
(杉村 啓)