今さら説明するまでもないと思いますが、上海アリス幻樂団とは人気同人ソフト「東方Project」の制作サークルです。「東方Project」は少女をキャラクターに用いた弾幕シューティングゲーム……と言い切れればいいのですが、それ以外に横スクロールアクションや音楽CD、コミックや小説など幅広く原作が展開してしまったので、今ではZUNさんがやっていることの全部がそれ、と言うほうが正しくなっています。ZUNさんがどういう経緯で東方Project制作に踏み切り、現在もそれを作り続けているのか、という話は長くなるので、ぜひ上記の本を読んでもらいたいと思います。コミケ直前になって突然「KADOKAWAが東方公式マガジンを出す」という情報が流れてファンの間に動揺が走っているようですが、この対談を通じて僕が思ったことは「何があってもZUNさんは変わらないから大丈夫」ということでした。そのへんの理由も、同書の記事を読んでもらえればわかると思います。
というわけで本の宣伝でした。あとはよかったら、僕の話を聞いてもらえますか?
僕のtwitterアカウントは@from41tohomaniaといいます。見ての通り「41歳で東方を知って死ぬほどはまりました」という意味です。まずはその話を聞いてください。
始まりはニコニコ動画でした
僕が東方projectに出会ったのは、2008年のどこかでした。
経緯は本当に憶えていないのですが、そのきっかけは憶えています。
ニコマスの中にim@sの星井美希が大好きなwhoPという動画の作り手がいました。その方の星井美希動画が大好きで僕は毎日のように閲覧していたのですが、その中に「美希は大変なダンスを踊っていきました」という作品が含まれていました。三角の魔女帽をかぶった星井美希が、アップテンポの振り付けでなんだかめまぐるしい曲を踊っているだけの動画です。僕はなぜかそれが気になってしまい、元ネタはなんだろうと検索をかけました(ご存じない方のために書いておくと、ニコマスというのは「ニコニコ動画」で「アイドルマスター」のキャラクターを使ったMAD動画のことです)。そこで僕は、初期ニコニコ動画のミリオン作品である「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」の存在を知りました。東方Projectとの初遭遇です。
「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」は音楽サークルiosysの作品で、東方Projectの『東方妖々夢』3面、道中曲の「ブクレシュティの人形師」とボス曲「人形裁判〜人の形弄びし少女」をアレンジした曲です。いわゆる電波ソングで、その後周辺ジャンルを巻き込んでたくさんのMADが生み出されましたので、東方に関心がない方もどれかはご覧になっていると思います。
ご存じの方には説明するまでもないことですが、東方Projectの母体である上海アリス幻樂団は、原作の二次利用や同人活動について一定のルールを設けています。
そういう意味では、僕は完全なにわかです。でも「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」で東方を知ってしまい、僕はある衝動を抑えきれなくなりました。
この世界に没頭したい。二次創作物だけではなく、原作も含めて「東方Project」のすべてを知りたい、という思いでした。
僕がエキレビ!に参加したのは東方のため
ますます個人的な話に傾いていくことをお許しください。
僕はエキレビ!発足時のライターではありませんが、編集担当をしているアライユキコさんとは縁があって知己を得ており、機会があったら執筆の場を提供してもいい、とのオファーを受けておりました。それまでネット媒体での執筆経験がなかった僕がエキレビ!参加を決意した理由は一つです。
「もしかするとこういう人目につく場に書いていると、いつかZUNさんにインタビューする機会が回ってくるかもしれない」
僕が始めてエキレビ!に原稿を書いたのは、2010年12月27日のことでした。この時期にはすでにずぶずぶに東方にはまっており、それなしでは一日を送れないような生活をしておりました。最初に書いた記事は「公務員と漫画家、今後の人生を考えたらどっちが楽しいかな(まことじvs.春原ロビンソン対談 前編)」というものです。
それ以降も何度か東方の原稿は書かせてもらいました。エキレビ!という公器で、ファン層は広いにしても同人ゲームのことを書いてもいいのかわからず、手探りで最初に書いたのが2011年1月31日の「東方、知ってますか? 起源は1996年、超有名同人ゲームを徹底解説!」という記事です。このときはとにかく、一人でも多くの人に東方Projectを知ってもらいたくて、用語や概念の説明で敷居が高くならないように気をつけて書きました。もしかすると原作だけではなく二次創作も説明するといいかもしれない、と思いつき、自分の好きなニコ動の「東方手書き劇場」リストをつけたのもこの回です。これには賛否両論があり、親しみやすいという声と同時に、原作よりも先に二次創作を紹介するのは筋が違うという声も多数いただきました。それはもっともだと今は思っています。
僕は東方でシューティングを初めてクリアした
その次に書いたのが2011年2月15日の「東方は、人生に大事なことを教えてくれる(キリッ」という記事でした。これは前回の反省から、二次創作についての記述を一切廃し、東方の根幹である弾幕シューティングの攻略についてのみ書いた記事でした。
僕は今年で47歳になりますが、実は東方Projectのwindows版第1作である『東方紅魔郷』をやるまで、1つのシューティングゲームをクリアしたことがありませんでした。ああいうものは反射神経の賜物であると思い込み、運動能力に恵まれていない自分には絶対無理だと思い込んでいたのです。ところが東方Projectについて調べていくうちに、思いがけないことがわかってきました。
シューティングゲームで大事なことは反射神経ではなく、むしろ余計な動作をしないようにする忍耐力である。
数多あるプレイ動画、攻略サイトを見ているうちに、そんなことが判ってきたのです。
だったらもしかしたら。
40歳までシューティングゲームをやったことがない僕でも、東方Projectの弾幕を避けることができるかもしれない。
そういう思いから『東方紅魔郷』を始め、ノーマルながら本当にクリアすることができました。その経験を元に「シューティングだから東方はやらない」と思っている人のために書いたのが上記の原稿です。よかったら、ぜひ読んでみてください。僕のような遅れてきたプレイヤーでも、東方は遊ぶことができるのです。初めて『東方紅魔郷』で6面をクリアしたときの喜びを、できれば1人でも多くの人に共有してもらいたいと思います。
MAGネットに出演したこと
話は前後しますが、エキレビに参加する直前の2010年夏、僕はNHKBSで放映されていたアニメ・ゲームの情報番組「MAG・ネット」に出演しています。毎回旬な作品を取り上げてゲストが語り合うという内容のもので、僕は文芸評論家の福嶋亮大さんとタブリエ・コミュニケーションズのやまけんさんと一緒に出演しました。もしかすると製作者側から求められているのは違うことだったかもしれませんが、僕は勇んで自作の資料を持って収録場所に臨みました。エクセルで作った攻略シートで、『東方紅魔郷』の各面のどこで決めボムが必要か、ちゃんとそこでボムっているか、どこで抱え落ちをしてしまっているかを1プレイごとに記録するためのものでした。それを公共放送で披露することの是非はともかく、僕は「こうすれば東方はプレイしても怖くない」というメッセージを伝えたくて仕方なかったのです。
そのことについては、先日の対談時に直接ZUNさんにお伝えすることができました。『コミケ40年史』を一部引用することをお許しください。
──自分の話しちゃいますけど、僕41歳で初めて弾幕シューティングやったんです。(中略)東方を見つけて41歳でやりたくなって、毎回プレイするごとにデータを撮っていって、「ここでボムを使って、ここで死んだ」というのをずっとやり続けたんですよ。
ZUN ああ。そうやってやればね、確実にクリアできますよ。(中略)そういう風にボムをちゃんと使っていけば。いわゆる攻略です。
──反射で使ってしまうんですよね。僕、自分で表作ったんですよ。「MAGネット」という番組に出たときにも見せたんですけど、エクセルで「ボム表」というものを作りまして。
ZUN ああ、「MAGネット」見ましたよ。視聴者が「この人おかしい人だ」って(笑)。
──それ、僕です(笑)。41歳だから、体が勝手に動いたりするんですよ。そうすると自機もヒュッて動いてどうしても当たるんですね。だから自分をデータ化しないとって。
こういうのを「我が人生に一片の悔いなし」と言うんだと思います。
僕は東方を利用したくなかった
いちいち書いていると長くなってしまうので省略しますが、そういう形で僕のエキレビ!と上海アリス幻樂団との関係は一方的にスタートしました。編集のアライさんとずっと言い合っていたことは「いつかZUNさんのインタビューをとれるようになろうね」です。
その機会を指を咥えて待っていたわけではありません。実はZUNさんが著書を出された際などに何回か挑戦していたのですが、タイミングが合わないなどの諸事情で、そのたびに実現しませんでした。これはきっと東方の神様(神綺様あたり)が「今のお前に神主を会わせても東方Projectにはなんのメリットもないからのう」と拒んでおられたのではないかと思います。それはその通りです。あるジャンルが好きだからと言って、誰もがそこに携われるわけでありません。一定程度の能力があり、貢献できるだけの何かがあって、初めてそこにいることができるのです。
何度目かのチャレンジを終えて僕は理解しました。「そうだ、今の僕は東方Projectに必要ではないんだ」と。そこで僕が始めたのはごく当たり前のことでした。東方の同人誌を作り、その活動を通じて自分が何かできることができるまで待とうと。そう決意したのは、2014年のことでした。その個人サークル「腋巫女愛」で最初に出したのは評論書でした。それから2冊の小説同人誌を出し、さて、3冊目を、と準備に入っているときに、ある筋を通して僕は仕事の打診を受けたのでした。
──コミケット準備委員会が40周年記念誌を出そうとしている。ついてはそのゲストにZUNさんを予定しているのだけど、プロのライターで対談の司会と記事構成をまとめられる人がいないか探している。よかったら相談に乗ってくれないか。
光速で「はい、やります」と手を挙げた瞬間でした。
今回のコミケ40年史で僕がライターを務めた経緯は以上です。「夢はいつか叶う」とか「諦めたらそこでおしまい」とか「40歳からでも人生はやり直せる」とかいろいろ教訓的なことを書こうと思えばできるのですが、やめておきます。言いたいことは一つだけです。
一人でも多くの人が東方Projectのファンになってくれますように。
それが遅れてきた東方マニアの心からの願いです。新作『東方紺珠伝』、楽しみですね。
(杉江松恋)