先日の「激☆店」で桃井はるこがゲスト出演していたときに、自分の方がオタク知識豊富なので男性が萎縮してしまうみたいな話を語っていた。
このあたりを引き合いに出さなくてもオタクとしての力量においては強い弱いという差が確実にあり、一般的な力関係と同じく強い方がすごかったりもする。
では、「オタクとして強い」というのはいったいどういった基準でなされているのだろうか。パッと思いつくところでは如何に「コア」で「ディープ」であるかといったところだろうか。
最近では「オタク=消費者」となりつつあるので、どれくらいオタク文化を消化しているかといった量的計測もできるような気がする。
しかし、それらの計測化はあくまでオタクジャンルが同一である場合にのみ適用されるのではないだろうか。昨今のオタク業界は細分化し、ジャンルは多岐にわたるようになった。そこに誤解が生じる可能性が大いに含まれている。
そんな状況を鑑みて、より正確な計測化ができるような基準を提案してみたい。
オタクとしての経済力
最も明確で決定的な力量として現れやすいのが「趣味に対してどれだけお金を使えるか」であろう。趣味にお金を使えれば使えるほど、より多くのコンテンツやグッズを入手することができる。
絶対的な力差として現れやすいし計測もしやすいけれども、質的なものは含まれていない。故に経済的に有利な状況であったとしても必ず優れているとは限らない。
ただし、経済力は全ての基本として他の要素に影響を与える事になる。
オタクとしての収集力
オタクとしてオタクな物をどれだけ持っているかという「コレクション性」に対する数値化である。
コレクションの数というのは経済力に大きく影響される、また最初から数量化されているためわかりやすいという一面を持っている。
故に対一般的な情報としては経済力と収集力がオタク力として語られる事が多いが、オタク界では「コレクター」として別枠扱いされている。
もちろん収集力として数量のみが扱われるわけではない。
「集めているから凄い」というわかりやすい見解から「誰も持っていないようなレアな物を持っているから凄い」という視点に移動したとき、オタク側の世界として語られる。
オタクとしての情報力
オタクたる物オタクジャンルについてよく知っていなければならない。「あ、それ聞いたことある、知ってる知ってる」程度の知識ではオタクとして認められない。
みんなが知っている事を知っていた程度ではオタクとして強くは無い。
情報を得るためには経済力が必要ではあるが、インターネットと大衆情報交換場の出現で、経済力とイコールではなくなった。ただし、「面白いらしいよ」という伝聞情報と「面白かったよ」という体験情報には決定的な重さの差があるため、経済力に裏付けされた情報はより強力である場合が多い。
みんなが知らない様なことまで知っている、というところが重要なのだが、それを数量化する場合には二つの軸があると思われる。それは「広域性」と「専門性」の二つである。様々な事を幅広く知っているということと、一つのことをより深く知っている事は分けて考えた方が良い。
異なる二軸であるので単位としては分けた方が良い様に思われるかもしれないが、本当に優れた物であれば「広く深く知っている」といった風に兼ね備えているので、二軸を持ったスカラー値とベクター値で分析するのが良いと思われる。
オタクとしての非汎力
ここまでにも「一般」と「オタク」という対峙が出てきたが、オタクと呼ばれるためには大多数と同一ではいけない。エッヂにいるからオタクとされるのであり、その立ち位置が普通になってしまったらもうオタクではなくなる。
故にオタクはエッヂの位置を認知し、その位置に立ち続けなければならない。
そのエッヂは汎化された要素の中にはない。汎化要素から逸脱している事が前提条件ではあるが、誰の共感も得られないような位置であっては評価できる人がおらず逆に弱まってしまう。
逸脱している必要はあるが、オタクの立つエッヂというのはこれから波が訪れる場所である。如何にしてそのエッヂぎりぎりまでよれるかといった、バランスを見ながらの逸脱なのである。
オタクとしての広報力
オタクを語る際に意外と意識されていないのが、他への影響力であると思われる。優れたオタクは自身の中で完結させず、他へ影響を与え続ける物である。
例えば優れたコンテンツに出会い感動したとする、その後それを「他人にも勧める」という行為に及ぶ事が多い。そのときに如何に上手に勧める事ができるか、布教することができるかといった能力の事である。
優れたWEBページ作成者はこのお勧めの仕方がとてもさり気なくて巧い。
布教活動自体は共感性集団の構築という行動だが、その行動様式自体もオタクとして重要な要素である。
オタクとしての創造力
オタクとコレクターの境が認識上明確とされていない場合、オタクは消費を続けるだけの存在とされることが多い。それが転じて生産が行えず文化的消費を過度に行う存在であり、社会的不要論へと過激に飛躍される場合もある。
だが、実際オタクは生産的である場合の方が多い。
このあたりの見解は様々な食い違いが生じそうなので軽く流して置いておくことにする。
オタクの中にあって、コンテンツを創造できる者は圧倒的に強い。他が共感できるようなコンテンツを自身で作りだせる事は、次の波を自身の手でコントロール出来るかもしれないからだ。
何もオタクが創造し生産するのはコンテンツだけとは限らない。WEBサイトでの感想もそうだし、ファンのコミュニティであったりもする。広報力を高めるために創造する事も多い。
ここでは「オタク力」を 6つに分類して、強弱の定義を行った。
この 6つをダイアグラム化し、より大きな円形となった者がオタクとして優れているのではないかということを提案したい。
実際に計測、評価するためには数値化できる具体的な標準指標が必要となるがそれは他者の考察に委ねたいと思う。
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