ここ数年、オランダは海外移住の候補地として注目を集めています。1つのきっかけとなったのは2014年12月24日のオランダ国内の裁判です。この裁判を経て、外国人が現地就労をする際のハードル(労働許可)が日本国籍保有者には不適用となり、日本国籍保有者であればオランダで自由に就労ができるようになりました。
ところが2016年6月、オランダ政府は日本国籍保有者に対して労働許可の制度が再適用される旨を発表しました。当初、再適用の開始は2016年10月1日とアナウンスされましたが、「産業界への配慮」という理由で2017年1月1日から実施となりました。
このような制度変更を経て現在に至るわけですが、日本国籍保有者の特権的な滞在条件の全てが撤廃されたわけではありません。「日本人に対するオランダの好条件は全て無くなった」とよく誤解されることもあるため、今回は2014年末からの約2年間で起こったことを振り返りながら、何が変わったのか・変わらなかったのかを詳しくまとめてみたいと思います。
日蘭条約の機能
2014年末から2016年末まで認められていた現地就労の自由には、オランダと日本の間で1912年に締結された日蘭通商航海条約(以下、日蘭条約という)が関係しています。日蘭条約は日本国籍保有者に対して最恵国待遇を保障しており、日本やオランダが第三国と結んだ有利な条件が日本・オランダの二カ国間に適用されます。これを言い換えると、日蘭条約の最恵国待遇は有利な条件をコピーして日本国籍保有者にも適用させる「複製装置」です。ただし、この「複製装置」が機能するためには元となる「素材」が必要です。
その「素材」の一つとして2014年12月24日のオランダ国内の裁判で確定したのが1875年に締結されたスイス・オランダ間で結ばれた友好条約です。スイス・オランダ間の友好条約は労働市場への自由なアクセスを含むと解釈されたため、スイス人に対する労働規制の不適用という「素材」が日蘭条約で複製され、日本国籍保有者もオランダで自由に労働ができるようになりました。
開いたパンドラの箱
2014年末の裁判の結果は日本国籍保有者にとって画期的であり、これを機に個人事業主のみならず、日系法人のオランダ進出も進みました。ただその一方で、司法やオランダ政府の側は非常に頭の痛い問題に直面することとなりました。
頭の痛い問題とは、「日本国籍保有者が労働許可なしで働けるのに、なぜ私たちはダメなのか?」という趣旨の裁判が他の国籍保有者関係で相次いだことです。特に政府と司法が苦しい立場に追い込まれたのは、EU新規加盟国(ルーマニア・ブルガリア)の国籍保有者の労働許可を巡る扱いです。
東欧からの労働力が西欧諸国に流れると国内雇用に影響が出るとの懸念から、新加盟国の国籍保有者は当初、EU市民でありながらオランダでも労働許可の取得が求められていました。この点を把握せず新規加盟国出身者を雇った雇用主は法律違反として非常に多額の罰金が課せられました。この罰金に対して起こされた裁判に日蘭条約と2014年12月24日の評決が関係します。
裁判で問われたことは、「2014年12月の裁判でEU市民ではない日本国籍保有者に労働市場への自由なアクセスが認められたのに、本来、最も有利な条件が適用されるはずのEU市民を雇ったことでなぜ罰金が発生するのか」というものです。結局その裁判は「これはこれ、それはそれ」といった形で終わったのですが、政府にとっても司法にとっても2014年12月24日の評決は今振り返ってみると開けてはならないパンドラの箱と映ったのではないでしょうか。
パンドラの箱を閉じる
「開いてしまったパンドラの箱を何とかして閉じられないか?」。EUの新規加盟国出身者の裁判を機に、オランダ政府はスイス政府と調整を始めたとされています。「複製装置」である日蘭条約本体に手をつけることは国会を巻き込む必要があることや日蘭交流の機運に水を差す懸念などからおそらく除外され、ターゲットはオランダ・スイス間の友好条約という「素材」に絞られました。
オランダ政府は国会などに報告することなく水面下でスイス政府と交渉しました。交渉の結果、スイス・オランダ間の友好条約の条文に明記されていなかった事項が書簡で「再確認」(「両国間で元からあった理解を改めて再確認した」と)され、政府がその書簡を官報に掲載して法体系に組み込みました。この「再確認」を経て、国内法(外国人労働力への規制を含む)に沿うことが滞在の前提となり、結果として労働市場への無条件のアクセスは制限されるに至りました。上流の「素材」が実質無効化したため、日本国籍保有者も労働市場への自由なアクセスを失う結果となった訳です。
オランダ政府の既成事実化は、同時期に日蘭条約を巡って別に進行していた裁判(日本国籍保有者はスイス人同様の移民局の申請手数料とするべきだという裁判。以下、手数料裁判という)の中でさっそく争点となりました。なお、手数料裁判が契機となりオランダ政府の動きを誘発したというわけではありません。これは、手数料裁判の中で政府側弁護士が「本件は引き金ではない」と明確に否定しています。政府側弁護士によると、オランダ政府を動かしたきっかけは日本国籍保有者の手数料という問題ではなく、先に述べたEU新規加盟国出身者の労働許可を巡る裁判だったとのことです(手数料裁判を担当した弁護士Julien Luscuere氏 からの聞き取りによる)。
オランダ政府がスイス政府と水面下で進めた方法は国会の場でも一時問題となりましたが政府側は批判をかわしました。また、手数料裁判の結果によっては日本国籍保有者にとって有利な条件が継続される可能性もあるとオランダの移民弁護士事務所(Adam & Wolf 移民弁護士事務所)が公表するなど裁判の行方に注目が集まりました。しかし、裁判所は2016年11月11日の手数料裁判の評決の際に2014年12月24日の評決とは異なる判断を下し、スイス・オランダ間の友好条約が日蘭条約の「素材」として使えないことで決着しました。これにより、政府が予定したとおり、2017年1月1日以降は労働許可の規制が日本国籍保有者に再適用されています。
残ったもう1つの「素材」とオランダ起業
ここまで、オランダの労働市場に自由にアクセスができなくなったいきさつを見てきました。日本国籍保有者の自由な労働市場へのアクセスはスイス・オランダ間の条約が「素材」として使えなくなったため終了となりましたが、1912年の日蘭条約自体は変更がなく、そのまま有効に機能しています。
そして、その日蘭条約は今も別の「素材」を複製しています。その「素材」とは、1956年にアメリカ・オランダの間で結ばれた友好条約です。この条約は、アメリカ人が相当額の出資(実運用的には4,500ユーロ以上)を自らの事業に対して行うことで、オランダでの長期滞在や配偶者や子どもを連れての滞在を保障するものです。日本国籍保有者も、日蘭条約の複製機能によりアメリカ人と同じ条件でオランダに滞在することができ、このメリットを利用して、2017年1月以降も個人事業や法人形態で新たにオランダでの起業に挑戦される方々が続いています。なお、2016年11月11日の手数料裁判の評決内容については複数の弁護士から強い批判が寄せられていたり、2017年5月現在も日蘭条約の「素材」が争点となる裁判が引き続き起こされていたりすることから、今後の日蘭条約の行方に引き続き注目が必要と言えます。
■参考資料
Julien Luscuere弁護士著“Magic escape of the Minister of Social Affairs in illegal employment cases”
日本国籍保有者に対する労働許可制度の再適用を巡る動きについて