前回Firefox 4のリリースに先駆けてMozillaの中の人にインタビューを行い、ブラウザの将来像についていろいろと話を伺うことができました。Geckoエンジンやスクリプトエンジンを改良し、さらにはGPUによる支援機能を搭載する......。そこには、今後普及してくるであろうリッチコンテンツの登場に備え、HTML5などの新しい技術に対応すると同時に、ブラウザの高速化を急ぐ開発者の姿がありました。

その一方で、東日本大震災の影響で、日本語版のリリースが遅れていたInternet Explorer 9が、ようやく4月26日0時に公開されます。RC版では前評判通りに大幅な高速化を実現していた同製品は、一体どんなWebの未来像を見据えているのでしょう? 今回は日本マイクロソフト株式会社のWebプラットフォーム推進部でUXエバンジェリストを勤める春日井良隆氏にお話を伺ってみたいと思います。

 

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編集部:Internet Explorer 9は、どのようなコンセプトで開発されたブラウザなのでしょうか?

春日井:今回の開発を行うに当たって、弊社ではユーザー調査を綿密に行いました。ここから導き出されたのが、洗練、高速、信頼、相互運用性という4つのキーワードです。このうち、洗練とは主に操作性の改善ですね。統計を取ってみるとPCの利用中で、実に57%もの時間がWebの閲覧に費やされていることが分かりました。ユーザーはブラウザーが使いたいわけではなくて、「Webが見たい、Webが使いたい」わけですから、いかに快適に操作できるか? という点にはとても配慮しました。

編集部:これからはWebのコンテンツがアプリ化していくということでしょうか?

春日井:これまでWebは閲覧するものでした。いわば受け身です。しかし、クラウドの普及に伴ってデバイスが多様化し、これからはWebを能動的に利用するシーンが増えてくると思います。アプリケーションのWeb化はさらに加速していくはずです。

編集部:Internet Explorer 9もこうした流れを意識して開発されているのでしょうか?

春日井:ものすごく意識しています。例えば、Windows OSでアプリを起動する場合、タスクバーから起動するユーザーが9割近くいらっしゃいます。

編集部:ようするに、Windows 7のタスクバーに登録したアイコンであったり。従来であればクイック起動バーを利用しているユーザーが非常に多いと。

春日井:その通りです。そこで、Webサイトへのタスクバーからアクセスできれば利便性が高まるのではないかと考えました。これが「ピン留め」と呼んでいる機能です。Windowsのジャンプリストと連動させることで単なるショートカットではなく、Webサイトの中でもアクセスしたいページ、たとえば、投稿ページやカートですね、それに過去に閲覧したページの履歴を動的にリスト表示させることもできます。

編集部:これは同じWindows 7を利用していても、ほかのブラウザではできない機能になるのでしょうか?

春日井:Internet Explorer 9ならではの新機能です。Webがアプリケーションに近づいていることを、象徴するような機能ではないでしょうか。実際のところ、ユーザーはWordも、Photoshopも、Yahoo!も、ぐるなびも同列に捉えてますから、使用頻度の高いものがタスクバーにまとまっていることは、利便性を高められるはずです。

編集部:現時点でジャンプリストと連動するようなサイトは、国内でどのぐらいの数があるのでしょうか?

春日井:だいたい30件ぐらいでしょうか。実装はとても簡単で、コードも数行で済みますので、ぜひ実装して頂きたい機能です。

編集部:Internet Explorer 9ではインターフェイスが非常にシンプルになっています。これはユーザーのリテラシーが向上したせいもあるのでしょうか?

春日井:むしろ、初心者の方ほど使いやすく感じられるのでは無いでしょうか。メニューやボタンが煩雑に並んでいると、操作に迷うこともあるので、シンプルな使いやすさを重視しています。後は、単純にサイトの表示領域を広くしたのも、今回のバージョンの特徴ですね。実は現時点でInternet Explorer 9は、FirefoxやGoogle Chromeなどと比較しても、もっとも表示領域が広いブラウザなんです。このためにインターフェイスもかなり見直しをしていて、例えばURL欄と検索欄を一つにまとめたり、タブもその横に並ぶようにレイアウトを変更しました。

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編集部:以前より公開されていたRC版を使ってみると、動作速度がかなり高速化しているのを感じられました。

春日井:Internet Explorer 9では、まずJavaScriptのエンジンを一新しました。また、最近ではWeb上で画像や動画を使う機会が増えているので、GPUによるアクセラレーション機能も搭載しています。とくにHTML5では<canvas><や<video>というグラフィカルな要素が増えていますし。これによって、あらゆるシーンでWebの閲覧を高速化することができました。

編集部:JavaScriptのエンジンを更新したことで、動作はどのぐらい高速化しているのでしょうか?

春日井:ベンチマークソフトSunSpiderで測定したところ、前バージョンに比べて約18倍ほどの高速化を実現できました。また、GPUの支援機能もデフォルトで有効になっているので、例えば動画を再生するような場合には、すぐにレスポンスの良さを体感していただけると思います。ボタンを押せばすぐに再生が始まりますし、高画質な動画でもコマ落ちなどを心配せずに済みますね。

編集部:従来ですと回線速度は十分でも、PCやブラウザの性能がボトルネックになっていた部分が解消されたということですね。

春日井:最近ですとPCの性能が良くなっているので、皆さん何でもサクッと表示されることに慣れているわけです。ちょっとでも動作が遅いとユーザーの滞在時間に関わってくるので、それがメカニズムの遅れだとしたら問題がありますよね。

編集部:このタイミングでGPU支援機能が実装されたのは、IntelのCPUにGPUが内蔵されたことも大きいのでしょうか?

春日井:それも一つの要因ですね。今では大体8年前までに発売されたPCであれば、ほぼ100%の確率でGPUが内蔵されています。であれば、もっとGPUを活用すべきだろうと考え、今回の実装に踏み切ったわけです。

編集部:現在、Webアプリの形で提供されているコンテンツは、過去のブラウザで利用してみても、あまり動作が重いという印象は受けません。しかし、今回Javaスクリプトのエンジンが改良されたことで、今後もっとリッチなコンテンツが提供される可能性があるのでしょうか?

春日井:JavaScriptはこれからが本当の出番ではないでしょうか。

かつては、さほど取り沙汰されることの少なかったJavaScriptは、Ajaxで脚光を浴びて、HTML5の登場によって再び注目されています。

HTML5についてはいろいろな見方がありますが、よく言われる<canvas>や<video>は、その全体像の10%ぐらいに過ぎません。HTML5の本質は、HTMLでWebアプリケーションを構築すること。HTMLで構造を作って、CSS3でレイアウトを整えて、で、JavaScriptで制御する。今後のWebのスタンダードな姿になる思います。だからこそ、JavaScriptの処理速度は重要になってくるんです。例えば、何かのボタンを押した際に、それに対する応答速度が遅いのでは致命的ですよね。

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編集部:現時点で新しいJavaScriptのエンジンの速度を体感できるようなコンテンツはあるのでしょうか?

春日井:弊社で用意している「Internet Explorer Test Drive」というサイトはWebデベロッパやWebデザイナーのようなWebの作り手に向けたサイトです。HTML5やCSS3の実装のほか、パフォーマンスのデモもたくさんありますので、IE9に限らず、あらゆるWebの作り手に見てもらいたいです。

編集部:今後は新しい技術やブラウザの開発を受けて、どのようなコンテンツが登場することになるのでしょうか?

春日井:対コンシューマーで言えば、例えば、ユーザー参加型のキャンペーンサイト、プロモーションサイトなどでしょうね。先ほどの話とかぶりますが、これからのWebは見るだけから、積極的に使いこなすようになると思いますので、クイズやゲームを通じて、ターゲットに能動的に働きかけるコンテンツが増えてくると思います。

Webアプリが増えるのも間違いないでしょう。アプリというとPCにインストールして使うものでしたが、一種のサービスとしてWeb上でデジカメで撮った写真を編集すると言う使い方は増えてくるはずです。極端な話、ローカルに何もデータがなくてもいい時代がやってくるかもしれません。まぁ、クラウドという言葉を聞かなくなったら本物でしょうね(笑)。

編集部:従来のソフトがWebアプリに切り替わることで、ユーザーにはどんなメリットがあるのでしょうか?

春日井:データがデバイスに紐付けされることなく、その時に一番使いやすい端末で閲覧や編集できるようになるのが大きいと思います。後は、ソフトを提供する側のメリットもありますね。例えば、ソフトをユーザーにバージョンアップしてもらうのは、提供側にとって非常に大変なことなんです。バグフィックスのためのアップデートも、サーバー側にプログラムがあれば簡単ですし。それを意識させないのは、ユーザーにもメリットがあると思います。常に最新版のプログラムを利用できるわけですからね。

編集部:端末を選ばないということは、互換性の問題からも解放されるかもしれませんね。

春日井:ただ、現段階ではHTML5の実装はブラウザによって異なるのが現実なので、本当の意味での互換性を実現できるのはもう少し先になると思います。

冒頭にお話しした、IE9の相互運用性の中には「Same Markup」、つまり、マークアップが同じなら、どのブラウザでも同じようにレンダリングされるべきという考え方があります。その意味で、HTML5とその関連API、CSS3、SVG、JavaScriptなどの実装については、マイクロソフトという一ベンダーが勝手に実装していくのではなく、W3Cなどの標準化団体が策定した仕様を実装していくことが大前提になっています。これはこの前、発表があった「Internet Explorer 10 Platform Preview」でも同様です。MSも変わったんです(笑)

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編集部:昨年末にGoogleがWebアプリのマーケット「Chrome Web Store」を開設しました。マイクロソフトでも、このようなWebアプリに特化したマーケットや、ポータルを運営することは考えられますか?

春日井:恐らく、それも必要になると思います。いつ、というのはお話できませんが、何かしらポータル的なものを作るのは考えられますね。

編集部:Officeについては既にWebアプリ版の「Office Web Apps」が提供されています。このようなWebアプリをマイクロソフトで開発するケースもあるのでしょうか?

春日井:マイクロソフトはソフトベンダーなので、それもあると思います。ただ、マイクロソフトでは根幹的に、「我々がプラットフォームを用意するので、パートナーのみなさん、ISVさんや開発会社さんやデザインハウスさんやシステムインテグレーターさんは、その上で作るアプリやコンテンツ、サービスでビジネスをしてもらって、ともに成功していきましょう」と考えているので、自ら開発すると言うよりは、パートナさんに作っていただくことを大切にしたいと思います。マイクロソフトの一種のDNAだと思ってください。

編集部:例えば、Windows LiveがWebアプリに近づいていく可能性はあるのでしょうか?

春日井:それはもちろんです。既に多くのサービスがWebアプリ化していますし、最近、Windows Live Essentials 2011という無償のアプリケーションパッケージを出しましたので、ぜひ使ってみてください

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編集部:最近ではトラッキングプロテクションが注目されています。Internet Explorer 9にも機能が搭載されていますが、今後マイクロソフトでは、この技術をどのように取り入れていく予定なのでしょうか?

春日井:興味深い機能ですよね。MSNを運営しているマイクロソフトとしても、非常に考えさせられる技術なのですが、やはりプライバシーを守りたいというニーズは多いと考えております。一方で、ユーザー特性をリサーチしたいという需要もありますので、今回のような実装をすることになりました。デフォルトでは機能がオフになっているので、利用したい方は設定を変更していただきたいと思います。

編集部:ユーザーに機能を利用する選択肢を与えた形にしたということですか?

春日井:ユーザーの中には履歴情報などを知られても構わない人もいると思うんです。なので、関係者の意図を考えた上で、今回のような形を取らせていただきました。

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編集部:Internet Explorer 9はWindows XPでは利用できませんが、この最大の理由は何なのでしょうか?

春日井:技術的な理由ですね。GPUによるレンダリングにはDirect2DDirectWriteというAPIを利用しているのですが、これをサポートをしているのがVistaからなんです。

編集部:例えば、GPU支援機能だけをオフにしたバージョンのInternet Explorer 9を提供するという考え方は無かったのでしょうか?

春日井:どこかで過去のバージョンとの決別が必要だと思うんです。過去と決別して、新しいOSに最適化することで、そのOSがサポートしているハードウェアの能力を最大限に引き出して、パフォーマンスに転化できますし、セキュリティ対策という面でも万全を期せます。

編集部:Windows XPのユーザーに対して、Internet Explorerのサポートは今後どのようになっていくのでしょうか?

春日井:IEのサポートは、実はそれが動作するOSのサポートサイクルに準拠する方針になっています。なので、Windows XPで動くInternet Explorer 8であれば、XPと同じタイミングまで、Vistaで動くInternet Explorer 8は、Vistaと同じというポリシーです。


編集部:Internet ExplorerはWindowsに標準で搭載されていますが、汎用性や公共性などを意識して開発していることは、ほかにも何かあるのでしょうか?

春日井:Internet Explorerがほかのブラウザと違うことのひとつは、企業ユーザーの比率がとても高い点です。企業の導入はみなさんが考えている以上に開発したソフトやサイトの検証が必要になりますし、大きな会社だとソフトのバージョンアップを行うのも、大変な手間になります。そのため、互換性の解決や検証作業の効率化には、弊社でも十分な注意を払っています。

例えば、互換モードを利用すれば、旧来のバージョンのようにレンダリングを行うことができます。後は、意外と知られていないのですが、マイクロソフトではIEAK (Internet Explorer管理者キット)も提供しています。例えば、システム管理者がいるような会社だと、Iドメインは特定のものを使用して、ツールバーの使用は禁止......などと、特定のルールを設けている場合も多いんです。IEAKはこうした規定に沿って、Internet Explorerのカスタマイズを行うためのツールで、パッケージしたものを管理している組織に向けて一斉に展開、管理できるので、社内での環境を取りまとめることができます。

また、IEAK以外ではブロッカーツールというソフトも提供しています。Windows Updateで自動的にIE9にアップデートされることを防ぐ機能です。ただ、実際には社員によって、IE9になっている、IE8のままという状態はIT管理者からするととても困るので、そういった自動アップデートを防ぐことができます。

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編集部:マイクロソフトさんの方でアップデートを禁止するツールを作っているというのも、なかなか違和感がありますね(笑)。

春日井:そうですね。なので、逆にアピールさせてください。それだけユーザーのみなさまの希望を汲み取っているんだと(笑)。

編集部:企業や一般ユーザーではなく、Webの開発者には、Internet Explorer 9はどのような評価を受けているのでしょうか?

春日井:これは、Internet Explorer 8から実装した機能ですが、F12開発者ツールというデバッグ機能が標準で利用できるようになっています。この機能を利用すれば、例えばCSSを組み込んだ場合の表示を、ブラウザ上で個別にチェックすることが可能です。また、これは最近とあるWeb開発者さんに聞いた話なのですが、ネットワークの送受信の監視がほかの開発ツールに比べてよくできていると評価していただきました。どこのURLから、どのイメージファイルが、どのぐらいの時間でダウンロードできたかをチェックができるので、テスト結果に応じてファイルサイズを抑えるなどの対策を行うことができます。

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編集部:歴代のInternet Explorerには、何か受け継がれている思想や技術はあるのでしょうか?

春日井:Internet Explorer 6までは「マイクロソフトのWebブラウザ」だったんですね。それが、バージョン7からは「Web標準のブラウザ」に大きく方向性を変えました。7、8、そして今回の9とWeb標準への準拠の度合いが深まってきていることはお分かりいただけると思います。

編集部:標準化については他社に先んじているようなところはあるのでしょうか?

春日井:IE9は、Web標準なブラウザだと胸を張って言えます。マイクロソフトというと、どうしても帝国というか、MS独自仕様というか、そういうイメージがあると思うんです。ただ、繰り返しになりますけど、われわれも随分と変わりました。それはもう古いイメージです。そういった思い込みを外して、純粋にブラウザとして評価していただければ、あえてInternet Explorer 9をチョイスしていただく自信があります。

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編集部:Internet Explorer 9は既に世界中でリリースされており、日本でも以前からRC版が提供されています。その中で、特にユーザーの評価が高かった部分はどこでしたか?

春日井:マーケティング担当者としてはピン留め機能とか言わなければいけないんでしょうが(笑)。一番多いところでは、基本機能が良くなっているという評価を頂いてます。動作が快適で落ちないという基本的な部分が、Internet Explorer 9はすごく良くなったと。メニューにアクセスする際も欲しいという場所にボタンが設置されていて、押した後の応答性であったり、サイトが表示される時間も高速化されている。そういうブラウザとしての基本機能が底上げされているというのが、Internet Explorer 9のウリだと思います。

編集部:Internet Explorerは既にバージョン10の「Platform Preview 1」が公開されていますが、今後のブラウザの開発を行う上で、直近の目標としているものは何かありますか?

春日井:基本軸は今のバージョン9の延長で、新しいWeb標準への準拠の精度を上げ、基本性能を向上させるという流れから変わらないと思います。ただ、HTML5の多くの関連APIはというのは、まだまだ過渡期にあるんですね。Webアプリケーション系のAPIで、WebSocketFileAPI、データベース系のAPIは、IE9では敢えて実装を見送っていますので、そういった機能の実装が今後、追加されていることになります。

また、CSS3についても「MS~」というようにベンダープリフィックスを付けるものがありますが、本来ならブラウザを問わずに同じ動作をするのが当たり前ですよね? そうした理由から、Transitionのようなプロパティも、今回のバージョンでは実装を見送っています。これらはInternet Explorer 10をリリースするころには仕様が落ち着いていると思われるので、実装に向けての開発研究が進められているところですね。

編集部:それは細かいアップデートでは対応できないので、やはりバージョンアップということになるのでしょうか?

春日井:そうなると思われます。Internet Explorer 10のHTMLレンダリング機能をお試しいただけるIE10 Platform Preview 1を公開していますので、ぜひ使ってみてください。Platform Previewは最長でも12週間に1回のタイミングでアップデートしていく予定なので、Internet Explorerが今後どのような方向に進んでいくかを、掴んでいただくことができます。

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Internet ExplorerはWindows標準のブラウザなだけに、その基本機能が大幅に向上するというのは非常に魅力的ですね。なお、4月26日にはインストーラーのダウンロードが開始されるだけで、Windors Updateなどによる自動更新は行われません。興味がある人は公式ページにアクセスしてみると良いでしょう。

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(丸田鉄平)