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おはよう 関東甲信越

  • 2025年1月5日

いとうまい子さん大学教授に「ヒューニング学」を指導 「不良少女と呼ばれて」が転機に 挑戦続ける理由は

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俳優、タレントとして活躍するいとうまい子さん(60)が、ことし4月から大学教授になります。

45歳のときに早稲田大学に進学。現在も研究室に所属し、抗老化について研究するなど、さまざまな事にチャレンジしてきました。

「アイドルが嫌で嫌でしかたなかった」若手時代に、転機になった出来事とは?
新たなことに挑戦を続ける原動力とは?
その言葉には、新たな一歩を踏み出すためのヒントがありました。

(首都圏局/ディレクター 阿部愛香)

いとうさんが大学で教える「ヒューニング学」とは

いとうさんは4月から、起業を目指す学生が通う情報経営イノベーション専門職大学(iU)の教授に就任します。

教えるのは、「ヒューニング学」という新たな学問です。

いとうまい子さん
「例えば高額な楽器でもチューニングをしないといい音は奏でられませんよね。人間も同じだと思っていて、間違った考え方にとらわれてしまうとどうしても自分が間違ったことをずっと考えて不幸な気持ちを引きずってしまうので、自分自身をチューニングしていけるようなスキルを身につけてもらいたいなって思います。

サラリーマンの方も自分の心を乱してしまう方が結構いらっしゃいますよね。私も過去につらい経験をしてきて、そして自分で自分の人生や気持ちを整えるスキルを身につけてきたので、社会に出てつらくなったときにはいつでも自分をチューニングできるようにするスキルを身につけてもらいたいなと思って、それを教えたいと思っています」

「アイドルが嫌で嫌でしかたがなかった」自らつかんだ不良少女役

1983年 NHK「レッツゴーヤング」

1983年に「微熱かナ」でアイドル歌手としてデビューしたいとうさん。デビュー翌年にドラマ「不良少女とよばれて」で演じた不良少女役が一躍話題となりました。

この役はいとうさんみずからプロデューサーに掛け合い、つかみ取ったそうです。

「(プロデューサーの)自宅の電話番号をその当時のカメラマンさんからいただいて、電話をかけて『やりたいです!』『もう不良役ができるならモヒカンでも坊主でも何でもやります』って言ったんですけど最初は断られまして。
1週間後にもう1回電話したら『まい子でやってみようかな』って言ってくださって」

なぜそこまでして不良少女の役を演じたかったのでしょうか。

「アイドルがすごく嫌だったんですね。というのも男兄弟の中で育っているのでかわいらしいことにすごく抵抗があって。これをやればアイドルじゃなく生きていけるかもしれないという思いがあって絶対にやりたいって思ったんですよね」

デビュー当時から、いとうさんは芸能界に流されず自分らしく生きていきたいと考えていました。

しかし、芸能界で自分らしさを貫き続けることが難しかった時期もあったといいます。

「デビューして5年くらいはものすごく自分らしくいられた。でも5年こえたころから自分を失って迷子になっていた時期が10年くらいありました。
認めてもらえないっていう思いで自分を失って。好かれたいがために自分が自分らしくない道をずっと歩いて、しがみついて生きていたような気がします」

そんないとうさんの考え方を変えたのが、兄の飼い犬のアトムくんでした。

「アトムくんを散歩に連れて行ったりしたときに、生きるってこれだ!ありのままでお世辞も言わずしがみつくこともせずに、楽しいとかうれしいとか悲しいとかそのとき、そのときの感情をそのまま表現するのが生きるってことだなって気付かせてもらって。

そこから私の中で『つらい』という感情がなくなって、吹っ切れて『楽しい』しかなくなっていった感じがします」

その後、俳優としてはもちろん、情報番組やバラエティー番組にも出演し、活躍の幅を広げたいとうさん。

45歳のときに早稲田大学へ進学しました。その動機は「恩返し」だったといいます。

「いろいろな方のご協力もあってこうやってお仕事できている、業界とかファンの方だけではなく、すべての方にありがたいという気持ちを伝えたくて恩返しがしたいなと思ったんです。

ずっと芸能界で、他の仕事とかやったことがなかったので、恩返しするというすべを自分は持ってなかった。じゃあみんなが行く大学っていうところに入って、それで何か見つけられたらいいなっていう思いでした」

いとうさんは大学で予防医学を学びます。その後、大学院に進学。ロボット工学を学び高齢者のスクワット運動を支援するロボットの開発を行いました。そして現在も大学の研究室に所属し、細胞学の観点から抗老化について研究を行っています。

いとうさんが開発した高齢者のスクワット運動を支援するロボット

「予防の大切さってところからのスタートだったんですが、いろいろと学んでいくうちに健康寿命の延伸がよっぽど大切だなっていうのを感じていたんですね。その間に父ががんになり、亡くなり、母もまたちょっと患って亡くなり、寿命と健康寿命ってより近い方が幸せに生きて、暮らしていけるなっていうのを実感しました。研究する機会を与えてもらっているので、健康寿命を延伸させる研究をしていきたいです」

好奇心のままに歩みを止めることなく進み続けるいとうさん。挑戦を続ける原動力とは?

「ダメかもしれないっていう思いを持った瞬間にじゃあどうやったら乗り越えられるかなということを考えるのが大好きなんです。その壁を乗り越えたとき、次に見える景色が楽しすぎてそれが原動力かもしれないですね」

挑戦の鍵は“楽しい”と“得意”の組み合わせ まずは軽く一歩踏み出して

いとうさんに2025年の抱負を書いてもらいました。

それは「活」のひと文字でした。

「私60年間なんとなくふんわりと生きてきたんですよ。今年は新しい活動も始まりますので、頑張って活動的に動けたらいいなと思って、『活』という字にしました」

最後に、2025年新たな一歩を踏み出したいと考えている人に向けてメッセージをいただきました。

「『好き』だけどうまくいかないとか『好き』が『嫌い』になることもあるんですよ。でも得意は多分一生得意。得意でワクワクする楽しめることを見つけたもん勝ちだなと思っているんですよね。

軽く一歩踏み出すと違う世界が広がってくるので、続けてみるといろんな違った出会いとか経験とか学びがあるので、さらに違う扉を誰かが開けてくれる。

でも『違うな』って思った時はすぐやめればいいんです。あんまり深く考えずそんな気持ちで一歩踏み出していくと違う未来が訪れると思います」

  • 阿部愛香

    首都圏局 ディレクター

    阿部愛香

    2023年入局。 周りを明るく照らすような雰囲気を持ついとうさん。言葉の一つ一つに前に進み続ける力強さを感じました。

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