《36人が死亡し、32人が重軽傷を負った令和元年7月の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人罪などに問われた青葉真司被告(45)の公判が6日開かれ、被告人質問に先立って、負傷者の意見陳述が行われた。重度のやけどにより49回手術を受けたという従業員は「鏡を見たときの絶望。地獄のような手術。この体で生きていくことがつらい」と陳述書に記した》
◇負傷従業員(匿名、検察官が陳述書代読)
「私は京都アニメーションの製作マネジャーです。(事件発生日の)7月18日午前10時半ごろは第1スタジオ1階で仕事をしていました。
被告を4メートルほど離れた場所で見ました。当日は庭の管理の業者が出入りしていたので、(被告の)赤い服を覚えています。ガソリンをまきながら『クソが!』と叫んでいました。
ガソリンを全身に浴び、目に入ったガソリンをふいたとき、体が大きく揺れ、耳が聞こえなくなって、爆発だと気づきました。
とりあえずここから逃げなければと、窓から飛び降りました。外に出ると被告と目が合い、殺されると思いました。手足が血まみれで走れない。もう終わりかと思ったのですが『助けてください、助けてください』と声が出ました。搬送された救急車で意識を失いました。
9月29日に目が覚めると、熱傷は合計で(全身の)94%になっていました。ICU(集中治療室)で5カ月過ごしました。20回皮膚移植をしました。
痛覚を感じないことが多く、もろいところはちょっとしたことで血が出ます。
奇跡だと言われました。手術を49回受けました。今後も増えていくかもしれません。右手人差し指を切断しました。手足切断の可能性もあったので、不幸中の幸いでした。
入院当時、39~41度の熱がありました。汗腺がなく、熱が上がりやすいため体温が高く、保冷剤や扇風機で体を冷やしていました。(外気温が)23度以上あると体に負担があるため、外に出ることは普段ありません。
夫に他のスタッフのことを聞き、もう会えない人がいると聞きました。自分より若く、才能のある従業員が亡くなり、自分が生き残った。現在も精神科のカウンセリングで、生きている罪悪感について話します。
鏡を見たときの絶望、太陽をまっすぐ見ることができず、これから生きること。地獄のような手術、リハビリを行うこと。生き残ったこと、この体で生きていくことがつらい。靴下も自分ではけない。
後輩の遺族に会いました。『応援しています。私たちの希望です』と、右手を握ってくれました。あの後輩に恥ずかしくないように生きようと思いました。今も復帰のめどはたっていません。
京都アニメーションで検索すると、作品より事件のことが出てきます。
作品は、多くの努力でできています。たくさんの人に夢と希望を与え、被告も感銘を受けたはずです。被告はだれのせいにもせず、反省し、責任をとってほしいと思います」