何気なく関西の地図を広げて眺めていると、境界線に囲まれた不思議な土地がぽつんとあることに気付く。土地の一部が行政区分を飛び越えて存在する「飛び地」だ。明治政府による土地台帳整備や、河川の流域変更、新田開発などで全国各地に生まれた。和歌山県北山村のように、村全体が県境を越えて飛び地になっている地域もあれば、寺の境内が飛び地になっているところも。大阪(伊丹)空港に至っては、飛び地の中に飛び地があるというレアな「二重飛び地」もある。関西は飛び地の宝庫。飛び地の成り立ちはさまざまだが、古くから続く村同士の因縁が横たわる場合もあり、おいそれと境界線を引き直せない事情もあるようだ。(大竹直樹)
岸和田市にある貝塚市
「飛び地だなんて思わんかった。岸和田に家を買ったと思ったら貝塚やった」
飛び地と知らずに引っ越してきた倉原道夫さん(63)が振り返る。JR阪和線東岸和田駅から車で約10分。大阪府岸和田市のほぼ中央に位置する新興住宅街の一角は、約7年前まで貝塚市の飛び地だった。
旧貝塚市清児(せちご)新町地区(約3万4千平方メートル)だ。13年程前に貝塚市から転居した川口浩次(ひろつぐ)さん(70)は2階建て住宅を新築して登記する際、初めて飛び地だったことを知った。
自宅が飛び地にあることで最も面倒なのが、郵便や宅配便の受け取りだった。
「今、清児にいますが、お客さまのお宅はどの辺りになりますか?」
自宅は岸和田市の中にあるのに、貝塚市清児地区に迷い込んだ宅配業者からこんな電話がかかってくるのは日常茶飯事。配達時に不在だった場合は、貝塚市内の郵便局や配達センターまで荷物を受け取りに行かねばならなかったという。
市役所だけでなく、選挙の投票所も自宅から離れた貝塚市内。飛び地住民の苦労は察するにあまりある。
悲願の飛び地解消
清児新町は明治4(1871)年の廃藩置県以来、長らく雑木林だった。
貝塚市政策推進課の坂本修司課長は「江戸時代に貝塚の人々が新田開発したために飛び地になったのではないか」と推測する。
平成7年以降宅地化が進み、住所をめぐる混乱も増加した。8年6月には、貝塚市内に同名の町名がある「清児」と区別するため、「清児新町」と町名変更したものの混乱は続いた。