年末恒例の「文芸対談」をお送りします。書評家の豊崎由美さんと杉江松恋さんが2022年の文芸界を回顧。純文学からエンタメ作品、海外文学まで膨大な小説の中から「オススメ!」の10冊をセレクトし、魅力を語り尽くしてもらいました。(以下、敬称略)
◆昭和文壇の終焉、エンタメ小説の曲がり角
豊崎 今年の文芸界の出来事で感慨深いのが、石原慎太郎の訃報です。昭和文壇の終焉 という感が強まりました。ほぼ解体されていたとはいえ、石原は文壇の象徴的人物として大きな存在でした。直後には、昭和の私小説を今に伝える形で作品を発表してきた西村賢太まで亡くなってしまい、象徴的だと感じました。
杉江 エンタメ界でも、ノベルス型の出版をけん引してきた西村京太郎が亡くなりました。手頃な読み物としてのノベルス・ミステリーは存在感を失いつつあり、より付加価値や重量感が求められる傾向にあります。エンタメ小説も曲がり角に来ている気がします。
豊崎 ここ数年の文芸批評は、フェミニズムとケアという二つのテーマが柱になっています。それ故か、今年は男性より女性の批評家の仕事が目立ち、鴻巣友季子、小川公代、水上文らが充実した批評を展開しました。私自身は文芸作品をジャーナリスティックな視点で読むことに抵抗もありますが、両テーマは今後も批評の軸になるでしょう。
杉江 旧文壇からの脱却という観点では、一穂ミチや凪良 ゆうをはじめ、出版社の公募新人賞の出身ではない作家の活躍が目立ちます。電子投稿媒体や文学フリマから活動の場を広げてきた作家も増えました。
◆融通無碍な語り…『水平線』
豊崎 各作品の話に移ると、日本語表現として断トツで素晴らしいと思ったのが滝口悠生 『水平線』でした。ある兄妹の不思議な体験を通じ、太平洋戦争の激戦地・硫黄島で生きた人々の姿を今によみがえらせる力作。東京五輪が開催された2020年と、コロナ禍で延期された20年という二つの異なる世界線で、兄妹はスマホを介して死者と会話し、祖父母らが経験した戦争を体感します。その融通無碍 な語りのテクニックに瞠目 し、最終章は感動で鳥肌が立ちました。
◆すばらしい1行…『小説家の一日』
杉江 私の今年の収穫は井上荒野 『小説家の一日』です。書くことを主題にした短編集で、どの作品もすばらしい1行がある。「緑の象のような山々」という書簡体小説では、終盤でタイトルに象徴される情景が出てきた瞬間、鮮やかな印象が刻みつけられます。全編を通じて不実な男に振り回される女性の話が多いのですが、書き方のパターンを変え飽きさせません。
◆忌むべき”物語”に立ち向かった…『曼陀羅華X』
豊崎 7月の安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、にわかに議論されるようになった旧統一教会の問題は、誰もがその存在を知りながら長い間放置されてきました。事件に接し、まず頭に浮かんだのが古川日出男『曼陀羅華 X』です。地下鉄サリン事件を起こした教団に拉致されて「予言書」を書かされた小説家らの視点から、オウム真理教による無差別テロという忌むべき”物語”に立ち向かった小説。過去ときちんと向き合わず、新しい問題にばかり目を向けていたらまた同じことが起きる。「忘れさせない」という役割を持って書き続けてきた古川の一つの成果と言える作品です。
◆70代にして新しい境地…『偽装同盟』
杉江 70代にして新しい境地を開拓しているのが佐々木譲 。これまで書き続けてきた警察小説の土台に歴史改変というSF的な着想を合体させ、今までになかった領域の社会を描いています。『偽装同盟』は、日本が日露戦争に負けてロシアに征服された世界を描いた前作『抵抗都市』の続編。ロシア革命の影響で日露同盟締結によってもたらされた偽りの平穏が揺さぶられる中、国際的で大きな策謀と小さな個人が起こした殺人事件の対比が誠実に描かれます。もちろん前作を未読でも楽しめます。
◆五感をフル稼働…『地図と拳』
豊崎 その流れで小川哲 『地図と拳』を挙げます。旧満州の架空の都市を舞台に、満州建国を経て日本の敗戦に至るまでの50年を重層的に描いた長編。小川はこの小説で戦中に起きたあらゆる事柄を相対化し、立場や思想信条の異なる大勢の登場人物の声に公平に耳を傾けます。五感をフル稼働して考え抜いている。これに直木賞をあげなかったら何にあげるの、というくらいすごい小説です。
◆人生というものを考える…『君のクイズ』
杉江 豊崎さんが選ばなかったら私が挙げていました(笑)。代わりに同じく小川の『君のクイズ』を。テレビのクイズ番組決勝の最終問題で、問題文が1文字も読まれていないのに一方の解答者がボタンを押し、正解する。やらせだと大炎上しますが、対戦相手の三島玲央だけは「ゼロ文字解答」が可能となった理由を冷静に検証していく。クイズを通じて人生というものを考える小説です。著者の頭には、どれだけ小説を書く力がみなぎっているのかと驚きます。
◆細やかな計算と巧緻なテクニック…『雨滴は続く』
豊崎 続いて西村の遺作『雨滴は続く』です。著者本人を思わせる主人公、北町貫多の人生のピースを埋めることができるのも今回が最後。貫多が職業作家になる過程と、女性2人を両てんびんにかける顚末 が描かれます。例によって貫多は「女性の敵」ぶりを存分に発揮。一方で、小説観や執筆方法も明かしています。自分の卑小さや下劣さを偽悪的なまでに描ききる西村の私小説が、いかに細やかな計算と巧緻なテクニックで成立しているか、よく分かる。未完なのが惜しまれます。
◆自虐的なギャグ、技巧の冴え…『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』
杉江 佐川恭一『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』も、ろくでもない願望や鼻持ちならない自意識を持つ男たちの短編集。表題作のやけに長いタイトル、主人公が異世界転生する展開ともライトノベルのパロディーです。自虐的なギャグが笑えるのですが、躁 状態の文章や随所に見える文体模写など、技巧の冴 えも見逃せません。
◆本を閉じることができない…『くるまの娘』
豊崎 昨年『推し、燃ゆ』で芥川賞を取った宇佐見りんが引き続きすごい。『くるまの娘』は17歳のかんこが主人公で、父母や弟らと祖母の葬儀に向かう車中泊の旅行での出来事を、一家の回想を交えて描きます。プロット的に目新しいわけではないのに本を閉じることができないのは、やはり文章。飛び抜けて個性があるし、比喩がうまい。これでま...
残り 2701/5402 文字
この記事は会員限定です。
- 有料会員に登録すると
- 会員向け記事が読み放題
- 記事にコメントが書ける
- 紙面ビューアーが読める(プレミアム会員)
※宅配(紙)をご購読されている方は、お得な宅配プレミアムプラン(紙の購読料+300円)がオススメです。
カテゴリーをフォローする
おすすめ情報
コメントを書く
有料デジタル会員に登録してコメントを書く。(既に会員の方)ログインする。