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公開日:2024年7月12日

『虎に翼』の家族とジェンダーから見えるもの。家制度の亡霊と、「いま」を描く物語(評:竹田恵子)

NHKの朝ドラ『虎に翼』は、戦前から戦後にかけての昭和の法曹界を舞台に、日本で初めて女性で弁護士となった主人公・寅子を中心に激動の時代を描いた作品。ダムタイプをはじめとするアートや、ジェンダー/セクシュアリティの視点からポピュラーカルチャーにおける表象について研究してきた竹田恵子が本作をレビュー。

『虎に翼』第6話 ©︎ NHK

「家族」を描くドラマとして

まさか、自分が朝ドラを毎日観見るようになるとは思わなかった。でも面白いから見てしまう、NHKプラスで。みなさんも、ですよね。 みなさんもご存じのとおり、2024年4月から朝の連続テレビ小説として放映されている『虎に翼』は、日本では最初の女性弁護士のひとりをモデルにした猪爪(佐田)寅子(ともこ)の物語である。 このドラマをフェミニズムに関係ない、という人はいないと思う。法律、憲法、人権といった多様な視点から語ることができるから、私よりよほどうまく語れる人はいくらでもいると思う。ただ、私はこの物語がもっとも中心的に描こうとしているものとして「法」のほかに「家族」があるのではないかと思う。だがその前に、少し本ドラマの根底にある姿勢のようなものについて書いてみたい。

見えないことにされてきたもの

ドラマを見始めたときにまず思ったのは、このドラマは男性を敵とするものではなく、一部のエリート女性のみを称揚するものでもない、ということだ。この物語は、見えないことにされている人たちやなかったことにされている苦しみを描いてきた。

たとえば寅子たちが法律を学ぶ大学の同窓の女性たちには朝鮮人留学生(崔香淑)、華族の一人娘(桜川涼子)、弁護士の妻(大庭梅子)、貧困のうちに育ち、家族に売られそうになって逃げてきた男装の女性(山田よね)がいる。一見恵まれた立場の者にもその人なりの地獄があり、苦しみがあることが丁寧に示されている。また、寅子の親友で兄嫁となった花江は、作劇上、重要な役割を果たす。

寅子は家族に恵まれ、優秀で積極的だが、生理が重く4日は寝込む。涼子は一人娘で、家を継ぐためには結婚しなければならない。何もかもに完璧を求められ、酒に溺れる母親から逃げられない。香淑はおそらく朝鮮では上流階級だが、日本では差別があるなか、留学生として頑張っている。梅子は弁護士の妻で3人の息子がおり、金銭的には何不自由ないように見える。しかし夫や息子、姑に虐げられていることがわかる。

私が好きなのは第3週第14話~第15話だ。山田よねは、壮絶な生い立ちから「戦おうとしない女」がどうしても甘く見えたのだろう。「恵まれたおめでたいアンタらも大概だが、戦いもせず現状に甘んじるやつらはもっと愚かだ」と言う。そこへ寅子が「いくらよねさんが戦ってきて立派でも、戦わない女性たち、戦えない女性たちを愚かなんて言葉でくくって終わらせちゃ駄目」と返し、「みんなつらいなら、私はむしろ弱音、吐くべきだと思う」と話す。それからよねには「そのまま嫌なかんじ」でいるように、と言うのが良い。いくら恵まれていて優秀でも、弱音を吐くしつらいこともあるという部分が可視化されるだけでなく、怒っている人に対してトーンポリシング的に「もっと感じよく」などと言わないところが良いと思う。

男性も一枚岩ではない。絵に描いたような保守主義者もいれば、寅子を優しく力づける猪爪家の書生で、のちに夫となる優三もいる。寅子の級友である花岡は、当初は「尊敬すべき女性」と「尊敬しない女性」を分けて、後者を見下した態度を取っていたが、のちに改心する。

寅子を明律大学女子部に誘い、法の道を薦めた穂高教授は、一見リベラリストでやっていることは立派だ。しかし寅子が妊娠し仕事との両立で悩んでいたときには、妊娠の事実を上司に話してしまい、寅子に弁護士を辞めるように言い、寅子を怒らせてしまう。穂高のような態度は、家父長的温情主義と訳される、パターナリズム、平たく言えば「大きなお世話」である。それでも穂高は寅子の尊敬すべき師匠で「根っからの嫌なやつ」のようには描かれない。当たり前だが人は多面的なのだ。

さらに、男性に課せられた「男らしさ」の荷を降ろさせる展開もある。寅子の弟は本当は勉強が好きなのに、男だから家族のために働こうと思い詰めていた。しかし寅子に勉学の道に戻るよう薦められる。(この後の展開にも触れたいし、男性性についてはもっと書きたいが別稿に譲る)

社会の構造、家族

本当はAをしたいがBを選なければならず苦しむ人がいるのは「構造」の問題であり、この「構造」に苦しんでいるのは一部の女性だけではない。ここで構造というのは、結果として作りあげられてしまった大きな社会のシステムのことを言う。構造のなかのどこに位置づけられるかによって見える世界に限界もあるが、広い視野を獲得しようと努力することはできる。

若くして結婚することが女の幸せといわれた時代に目一杯働きたかった寅子の物語は、「家族」と「仕事」を往還し、「家庭裁判所」へと舞台が移っていく。 私が言う「構造」、これをもっとも身近に体現しているシステム(制度)が「家族」である。

私は、『虎に翼』の第1週、寅子が母たちの「スン」、つまり賢く、家庭内ではあれほどの裁量を持ち、準備を進めてきた母たちが、結婚式などの公の場面ではそんなことはなかったかのように父親たちを持ち上げて澄ましていることに怒りを抱いたという描写に参ってしまった。男女の役割分担ができているから良いという問題ではない。物語は明らかにそのようには描かれていない。これは見えないことにされている問題を抱える人たちの物語なのだから。大日本帝国憲法のもとで1898(明治31)年に制定された明治民法の「家族」には、年長の男性である「戸主」に家族のメンバーを統率する強い権限があった。これを「家制度」という。家の財産、家屋、土地や墓は戸主が所有し、妻は法律上、財産や親権を持つことができなかった。誰と結婚するか、どこに住むか、仕事を持つか、そういったことは戸主の許可なく自由にはできなかった。簡単にいえば、家のために個人がいるということになる。そしてこの戸主が持つ財産や家屋をすべて相続することができるのは長男だった。本妻でなく妾側に認知された男児がいた場合、本妻の娘ではなく妾の息子に譲られた(岩間ほか 2015)。

家制度の亡霊

第二次世界大戦後すべての国民の平等を掲げた日本国憲法ができた。それに伴い民法も男女平等になったのだから、安心だ、という話にはならない。第13週(2024年6月24日~6月28日)の放送では、寅子の級友で弁護士の妻、三児の母親であった梅子の夫の相続の問題が描かれる。当初、梅子の夫の愛人が相続を主張していたが、遺言書の偽造が発覚する。次に長男夫妻が父の財産のすべてを相続したいと主張するが、梅子の姑に当たる長男の祖母が、長男夫婦に老後の面倒を見てもらうのを嫌い、三男と梅子に世話をさせる代わりに多めの財産を相続させることを主張する。 梅子の息子たちや姑は好き勝手なことを言う。梅子に相続を放棄せよと迫り、梅子が改正民法に則り相続を放棄しないと宣言すると、姑の介護を押し付ける。そもそも、相続と介護はバーターではない。

この梅子の立場を「いまでも時々見るな」と思った人は多いのではないか。それには理由がある。 じつは日本は、1970年代終わりから「日本型福祉社会」という方向性で国内の福祉制度設計をしている。これは企業と家族で育児や家事などのケアを行え、という体制である。かなり大胆に分類すれば、政府諸国で福祉を担う北欧や、市場で福祉を担うアングロサクソン諸国とはまったく異なるものなのだ。この体制では、企業は稼ぎ主の男性の雇用を維持し、その男性を通じて家族を援助することで、家族の生活を安定させるという戦略を取る(大沢 2007;筒井 2015)。

そして、家族のなかでケアの役割を担ってきたのは主に女性である。主婦が大衆化して多数派になるのは、第二次世界大戦後の高度経済成長期だ。梅子や花江のような存在は高度経済成長期のサラリーマンを支えた、まさに賃金を支払われない労働(家事・育児・介護)の担い手であった。寅子は女性だが、まさに当時の(現在もか?)サラリーマンのように働きづめだ。寅子が男ならば「男だから仕方がない」となりかねないが、一家の大黒柱が女性であることで、見えない労働の理不尽さが目立つ構成になっているところが見事である。

梅子は自分を縛ってきた「民法第730条:直系血族及び同居の親族は、互いに扶(たす)け合わなければならない」を逆手に取り、息子たちに姑を任せて家族から自由になる。その梅子が花江に「良い母になんてならなくていい」「自分が幸せじゃなきゃ、誰も幸せになんてできないのよ、きっと」と励ます場面は象徴的だ。

現在と未来の家族

日本は1985年、女子差別撤廃条約を批准し、同年に男女雇用機会均等法が成立したが、同時に労働者派遣法と第三号被保険者制度も成立していることはいくら強調してもしすぎることはない。建前上、女性も男性と同等に働くことができるようになったものの、同時に妻がサラリーマンである夫の扶養に入れば税制上の優遇措置が受けられるようになった。このような税制の設計は1980年代を通じて「家庭基盤の充実」を掲げて漸進的に行われ、「男性稼ぎ主」と「主婦」というモデルが優位となった(大沢 2007)。労働者派遣法は、非正規雇用の派遣社員でも働くことのできる職種を増やす規制緩和によって、雇用の安定性を奪った。

また、男女雇用機会均等法以降も女性が「男並み」に働いてこそ一人前、という規範はなかなかなくならず、男性の労働強度は相変わらず高いまま、さらに家事や育児の負担も減ることはない。いまや、家族は機能と期待を積まれ過ぎた箱舟である。

もうひとつ、強調したいことがある。この物語はいまを描いている。舞台は戦前から戦後を描くが、日本国憲法の改憲の動きがあるなか、日本国憲法の朗読から物語が始まり、いまに通じる物語を描いている、ということだ。そして、自民党改憲草案には家族についても含まれている。自民党改憲草案の第二十四条は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」が新設となっている(自民党 2012)。

家族の助け合い、といえば一見美しいが、梅子の嫁ぎ先の例のように、現実的には弱い立場の者に家事・育児・介護が押し付けられるという側面を無視することはできない。現在でも妻に家事・育児が偏りがちなところにこの憲法が設けられたらどうなるだろうか。

不平等な関係は家族から始まり、不平等の再生産もそこで行われる。家族とはもっとも日常的なものでありながら、もっとも政治的なアリーナなのである。

まだ十分見えないもの

このように見えにくいものを可視化してきた物語が、まだ十分に描いていないものとして在日外国人のイシューがあると思う。日本国憲法が定める「法の下の平等」に在日外国人は含まれない。名前を日本人風に「香子」と変え、出身を明かさない崔香淑(香子)は今後どうなるだろう。筆者は続きを心待ちにしている。

*本論考は『虎に翼』前半部分の第13週放送分までに関するものである。

参考・引用文献

岩間暁子ほか(2015)「第2章「近代家族」の成立」『問いからはじめる家族社会学』有斐閣:23-48頁
大沢真理(2007)『現代日本の生活保障システム―座標とゆくえ』岩波書店
落合恵美子(2021)『21世紀家族へ[第4版]』有斐閣
自民党憲法改正実現本部(2012)「日本国憲法改正草案(全文)」(chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://storage2.jimin.jp/pdf/news/policy/130250_1.pdf)
海妻径子(2022)「新自由主義以降の家族規範の変容とグローバル資本主義の展開―フェミニズムの新潮流」二宮周平・風間孝(編著)『家族の変容と法制度の再構築―ジェンダー/セクシュアリティ/子どもの視点から』法律文化社:26-42頁
NHK『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 虎に翼 Part1』NHK出版
筒井淳也(2015)『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』中央公論社
清永聡(編著)(2023)『三淵嘉子と家庭裁判所』日本評論社
吉田恵里香・豊田美加(2024)『連続テレビ小説 虎に翼 上』NHK出版

竹田恵子

竹田恵子

たけだ・けいこ 東京外国語大学世界言語社会教育センター 専任講師。EGSA JAPAN代表。博士(学術)。 専門はジェンダー/セクシュアリティ研究。主著に『生きられる「アート」:パフォーマンス・アート《S/N》とアイデンティティ』(ナカニシヤ出版、2020)、『ガールズ・メディア・スタディーズ』(分担執筆、北樹出版、2021 )、The Dumb Type Reader(分担執筆、Museum Tusculanum Press、2017)などがある。