写真:浅井 みら野
地図を見る太陽の島と対をなす月の島。伝承によると太陽の島は南米最大の帝国を築いたインカ帝国初代皇帝のマンコ・カパックとその妹であり妻でもあるママ・オクリョが太陽神インティによって誕生した場所。
太陽の島は月の島に臨む場所に位置し、そのため太陽の島が重要視されるにつれて月の島も聖なる島という地位を確立していきます。
写真:浅井 みら野
地図を見る月の島へはチチカカ湖に面しているボリビア国境の町コパカバーナ(Copacabana)から。多くのツアーが太陽の島観光を主流にしており、その中で月の島も行くツアーを選びます。
コパカバーナから船で片道約1時間半の道のり。景色が変わらず、永遠とも思える長旅になりますが、それに対して太陽の島と月の島はたった15分で行き来できる距離。いかに2つの島が密接しているかが道すがら実感できます。
写真:浅井 みら野
地図を見る月の島で最大の見どころがイナクユ(Inakuyu)という遺跡。35もの小部屋が設けれた大規模な遺跡で、島の中央に鎮座しています。
アンデス地域に暮らす先住民族アイマラ族の言葉で「イナ」は女性、「クユ」は囲われた土地という意味。その名前の通り、月の島の住民は女性だったといわれ、ここは神殿と修道院の2つの役割を果たしていました。
写真:浅井 みら野
地図を見る遺跡は中庭を中心に小部屋が三方に並んでいます。東西の扉周辺には直線を駆使した幾何学模様が施され、どことなく女性的。
スペインがこの地を制した後、コパカバーナやクスコは都市の大改革を強いられますが、インカ時代の栄光をかき消すように襲った西洋化の大波も孤島だった月の島までには及びませんでした。そのおかげで遺跡も良好な保存状態を維持でき、今日も私たちはインカ時代の余韻を感じられます。
写真:浅井 みら野
地図を見る遺跡は「月の神殿」とも呼ばれ、太陽神インティの妻である月の女神ママ・キルラを祀るために建立されたといわれています。
当時、島で暮らす住民は厳選され、特定の身分を持つ女性のみでした。高位な女性が巫女になる知識を身に着けていたり、皇族の女性が教育を受けていたりしたとも。島に上陸できる男性もインカ皇族のみが許されていたため、遺跡は「太陽の乙女が暮らす宮殿」とも認識されていました。
春分の日になると、遺跡では皇帝の加護を願う儀式も執り行われていました。その神秘的な雰囲気を味わおうと、今でも春分と秋分の日を狙って旅行客が訪れます。
<イナクユの基本情>
アクセス:港から徒歩約18分
写真:浅井 みら野
地図を見る太陽の島から7km、チチカカ湖から4kmと常に見守れる位置にあった月の島。その立地だけでなく、女性たちの暮らしを守っていたのが水域です。太陽の島と月の島の水深は270m近くあり、チチカカ湖でも深いエリア。月の島は天然の要塞という一面も兼ね揃えてました。
その土地柄に目を付けられ、皮肉にも20世紀中盤はボリビアのアルカトラズ島さながら監獄として犯罪者や政治犯が収容されるのはもっと先の話になります。
写真:浅井 みら野
地図を見る時代ごとに翻弄された月の島にとって、日に数回の観光客が訪れ、ごく少数の家族が暮らしている今の状態が一番静かで穏やかな時なのかもしれません。
太陽の島が暖かく賑やかな陽だとすれば、まさに月の島は穏やかで悠々とした陰といえる存在。今日も、この地域でよく見かける女の子のおさげ髪をチチカカ湖から吹く風が静かに揺らします。
太陽の島に近かったために数奇な運命を辿る「月の島」。インカ帝国が巨大化すればするほど、太陽の光を受けて輝く月のように島は神聖なものと化していきました。
時の流れでインカ帝国は滅亡という終わりを迎えますが、太陽が沈むと同時に訪れるのが夜と月の時間。静寂な島では今もインカ文明の名残りを語り続けています。ぜひ訪れた際は、悠久の景色と歴史が共存する世界観を味わってみてはいかがでしょうか。
2021年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/12/3更新)
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