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作家の読書道 第264回: 増田俊也さん

2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』で『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞してデビュー、2012年に『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション大賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞、また北海道大学柔道部を舞台にした自伝的小説『七帝柔道記』とその続編『七帝柔道記Ⅱ』が人気を博している増田俊也さん。幼い頃から知識欲旺盛な本の虫だった増田さんが、その時々で影響を受けてきた本とは?

その1「本と自然が好きな子供」 (1/10)

  • 七帝柔道記 (角川文庫)
  • 『七帝柔道記 (角川文庫)』
    増田 俊也
    KADOKAWA
    1,012円(税込)
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  • 七帝柔道記II 立てる我が部ぞ力あり
  • 『七帝柔道記II 立てる我が部ぞ力あり』
    増田 俊也
    KADOKAWA
    2,200円(税込)
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――いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしております。

増田:小学校の2年生くらいから学校の図書室で本をたくさん借りてました。でも最初に大きな影響を受けた本はクラスの友達が家から持ってきたバージェス・アニマル・ブックスというシリーズです。すぐにそれにはまってしまい、図書室で繰り返し読みました。アニメになった「山ねずみロッキーチャック」の原作です。アニメのほうも好きでしたが、原作本のテイストはアニメとかなり違うんです。動物寄りというか動物学寄りというか、地下のトンネルを逃げるネズミとそれを獲ろうとするキツネの駆け引きとか。アニメに出てくるキツネのレッドのようなキャラではないんです。後に動物生態学に興味を持ったのにも影響があるし、空気感作りとかで僕の他の小説のバックグラウンドのひとつになっています。それからポプラ社の伝記シリーズ。ガリレオとか石川啄木とかコロンブスとかたくさんありましたよね。そらからまさに全盛時代になろうとする少年漫画誌、「マガジン」とか「チャンピオン」とか「ジャンプ」とか「キング」とかを貪るように読んでいました。もちろん他の作家さんたちも挙げられている、子供向けにリライトされたコナン・ドイルとかモーリス・ルブランとか江戸川乱歩。

――シャーロック・ホームズとかアルセーヌ・ルパンとか少年探偵団とかですね。

増田:ええ。それを小学校2年生から3年生、4年生の中頃まで読んで、5年生くらいからぼちぼちと大人版、日本語版の原本に移りました。公立の図書館で大人版のホームズや横溝正史さんとか借りて。友達のT君という子と一緒に事件や人物の表を作ってシャーロキアン気分になってました。もちろん小学生だからシャーロキアンなんて言葉は知らないですが、子供も研究オタクにしてしまう力がドイルにはあるんでしょうね。大人版はルビがないから当時はわからない漢字だらけでしたが前後関係から読み方を類推して読んでいた。大人になってパソコンで文章を書いていて、漢字を変換しようと思ったらできなくて、それで初めて間違って読みを憶えていたと気づくこともあります。でもこれは英語で単語の意味を類推しながら読むのと同じですよね。だから長じてから英語を読むときに役立ちました。
勉強は比較的好きだったんですけれど漢字の練習とか九九とか、そういう単純作業は面倒に思う子供でした。後に中卒で大相撲へ行く同級生がいたんですけど、小学生のとき彼と2人だけ授業後に残されて九九の練習させられたりしてたのを覚えています。それでも馬鹿らしくて最後までやらなくて、逃げ回って、今でも最後まで九九が言えません。

――小さな頃から本を読むのが好きな子供でしたか。

増田:小学校入ったときはもう「趣味は読書」という感じでした。当時、小学校の図書室でいちばん本を借りていたから、おそらく相当読んでいたんだと思う。1日1冊読んでた。だって当時の子供はほかにやることがなにもないもん。インターネットがない時代だから知識を得るのは本だけでしょう。図鑑も好きでした。図鑑の写真やイラストを見て解説を読んで本物を想像したり空想したりするのが好きだった。だから外で遊んでる時間以外は本を読むか漫画を読んでるかアニメを見てました。

――あ、アニメもご覧になっていたのですね。当時好きだった番組は。

増田:当時リアルタイムでいちばん衝撃を受けたのは「アルプスの少女ハイジ」です。あれ、崖の上のシーンから始まるでしょう。オンジの家の辺りが切り立った崖だらけなんですよ。ネットなんかない時代だから当時の子供はアルプスの写真すら見たことがない。それをアニメーションでいきなり見せられて衝撃を受けました。しかもカメラのアングルがカメラマンが落ちそうなアングルで撮る感じなんです。巧いですよね。

――アルプスの切り立った崖と青空を背景に、ハイジが勢いよくブランコを漕いでいるオープニングでしたね。

増田:アングル。カメラワーク。シーンの見せ方というものを僕はあのアニメで体感的に知りました。完全に実写映画のカメラワークですよ。いまでも小説を書くときにカメラワークというのを無意識に使ってるのはあの衝撃があったからかも。プロットを作って構造を作って書き始める作家さんが多いと思うんですけど、僕は場面を描くところから始めます。アングル、カメラワークから入るんです。頭に浮かぶ映像のままに描いていきます。ハイジの影響じゃないかな。ローレンツのハイイロガンの実験みたいなもんですよ、生まれたときに見た動くものを親だと思うっていう(笑)。それがハイジのカメラワークだったのかもしれない。
毎回、TVの前に正座して妹と見入ってました。スイスなんて知らないし、海外の映像を見るといったら「野生の王国」や「驚異の世界・ノンフィクションアワー」で動物とか自然とかを見るくらいだったから、もう、衝撃でしたね。オンジの家が崖のところにあるじゃないですか。あんな崖の上に住んで落っこちないのかなと思った。チーズを暖炉で柔らかくしてパンにのせて食べるのを初めて見て美味そうって思った。カメラワークにしても、人間関係の描き方にしても、すごく影響を受けている気がします。宮崎駿さんとか高畑勲さんとか、現在の大御所たちがバリバリの若い頃みんな関わっていたんですよね。脚本も素晴らしい。子供向けではなく大人でもグッとくる複層的な物語にしている。オンジの心理とかもしっかり描いている。だから小学生の僕や妹だけじゃなく父や母も一緒になって泣いてました。当時、宮崎駿さんたちはスイスまで直接取材に行ってたと聞いてます。一流の制作陣の考え方にハイジというアニメを通して小学生時代に触れることができたことに感謝します。今、あのレベルの脚本のアニメってないでしょう。

――増田さんは子供の頃、インドアタイプでしたか、アウトドアタイプでしたか。

増田:さっきも少し言いましたが、もともとは勉強が好きな子供で、根本的にはインドアです。でも池とか川で泳いでいたからアウトドアでもありました。
親父が警察官で「勉強なんかしないで遊べ」というタイプだったんです。「もっと男らしくしろ」って。その後、あの頃の自分はその言葉に相当傷ついていたなと気づきました。僕は動物図鑑を見たり昆虫図鑑を見たり、小説を読んだりするのが好きだったんです。海外ものも6年生くらいでヘミングウェイとかを読んでいました。難しくて頭の中になかなか像を結ばなかったですけど、大人のものに触れることによって大きな刺激があったと思います。

――図鑑も好きだったんですね。

増田:読書については僕はいくつか柱があるんです。もちろん、『このミステリーがすごい!』大賞でデビューしたのでエンターテインメントはひとつの大きな柱ですけれど、もうひとつは、自然科学系のノンフィクションです。僕、中退ですけど大学は理系なんです。海洋生物系。北海道大学水産学部です。水圏生態系をやりたかった。とくに海洋動物生態学です。南極のペンギンにも興味はありましたけど、それよりも北極のホッキョクグマですね。あとセイウチとかアザラシとか。当時は地上波TVで観るか図鑑でしか見れなかったけど、あの氷の上や下に住んでること自体が驚異的だった。しかもあいつらでかいでしょう。泳いでる哺乳類のクジラとかシャチも含めて。もう驚異的な世界ですよ。いま考えてるだけでも鼓動が速まるくらい好きです。当時はもっと感覚的に地球が広かったんですよ。それに暑い場所と寒い場所の差が大きかった。だから子供にとって想像するだけでワンダーランドだったんですよ、地球そのものが。
動物そのものだけではなく学問としての動物学に興味を持ったのは、小学校6年の時に『有限の生態学』っていう有名な本と出会ってです。東北大学の栗原康先生の。中学でも高校でも大学でも読み直しましたが、これは名著中の名著です。最初子供には難解なところがありましたが、あそこから入ったのが僕が動物生態学に興味をもつ端緒でした。瓶の中に水を入れて外に置いておくと微生物とか繁殖してだんだんと生態系を作っていくんです。それで大きな池だって有限じゃないか、海だって有限じゃないか、地球だって有限だぞってことが、感覚的に理解できます。中学生くらいから地球環境のことを考えるようになったとき、すごくその考えが生きた。そして実はこの考えは、社会科学や人文科学にも流用できるというか本質を衝く考え方なんです。そういうものの見方があると知ったのがその本です。そして今に生きている。『有限の生態学』の小さな生態系を作ってその中の生態系の変化を細かく記述していく手法、実は小説の書き方と一緒なんですよ(笑)。
小説というのは、1冊のなかにひとつの生態系を作る作業なんです。その1冊分の人生なり出来事なりを時系列に記録したものなんです。でもその有限の世界に無限の大きさが潜んでいる。たとえば僕の『七帝柔道記』『七帝柔道記Ⅱ』なんかは北海道大学柔道部という20人とか30人とか40人とか非常に狭い世界の話ですけれど、組織の復活論が軸になってる。これは5万人や10万人の大企業と同じ組織論なんです。まったく変わりません。大きかろうが小さかろうが、そこにすべてが含まれるっていう考え方は僕は最初に『有限の生態学』で知りました。

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