その1「第1次ミステリブームと歴史小説」 (1/7)
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
行成:たぶんこれかな、と思うのは「ノンタン」シリーズ。2歳とか2歳半くらいに読みました。親がわりと本を買ってくれたので、これも買ってもらったんだと思います。そこから幼稚園に入るまでの間は図鑑をいっぱい見ていたらしいんですけれど、その記憶はあまりなくて。幼稚園に入ってからは、星座の図鑑をすごく読んでいたのを憶えています。八十八星座、全部憶えていました。
――実際に星空を見上げて眺めるのが好きだったのでしょうか。
行成:どちらかといと、実際の星空よりも神話のほうが好きだったんですよ。星座にまつわる神話から入って、ギリシャ神話やローマ神話も好きでした。
小学校に入ると、たしか1年生の時に読書感想文コンクールで何か賞をもらったのは憶えています。『ファーブル昆虫記』の感想文で、ふんころがしの話について書いたような気がします。
――その頃から自分は本が好きだとか、作文が得意だなといった感覚はありましたか。
行成:いいえ、まったくなかったです。ただ、うちはテレビや漫画やゲームは規制されていて、本だけ無制限でなんでも読んでいいという家でした。なので小さい頃は基本的に、活字を読むしかエンタメを摂取する方法がなかったんです。
――そんなにテレビ制限されていたんですか。
行成:小学校1、2年の時はまだ見ていたんですけれど、3、4年になると、土日は見てもいいけれど平日は午後7時以降の夜の時間は週に30分と制限されました。夕方5時くらいの再放送アニメやドラマは見せてもらっていたと思いますが、夜は、母的には「勉強の時間」という位置づけだったと思います。夕食時はテレビはほぼつけてもらえないので、本を読みながらご飯を食べるのが習慣でした。
30分というとアニメ1本分なので、厳選しなくてはいけなくて。それで「聖闘士星矢」を見ていました。それが夜の7時からの放送だったんですが、途中でなぜか7時半から放送されていた「ついでにとんちんかん」というギャグマンガのアニメに乗り換えた記憶があります(笑)。
――小学生時代は、図書室でいっぱい本を借りていたのですか。
行成:そうですね。小学校中学年くらいの頃に古典ミステリにはまりました。母がパートに出ていたんですけれど、そこのクリスマス会かなにかで、子供向けの南洋一郎訳の怪盗ルパン全集の『怪盗紳士』 をもらってきたんです。そこからルパンにはまって、シリーズ全巻をばーっと読んで、江戸川乱歩の子供向けの少年探偵団のシリーズを読むようになって。この時、明智小五郎が出ているのだから少年探偵団シリーズだ、と勘違いして、『蜘蛛男』『魔術師』といったグロ乱歩にも手を出したり、名探偵ものだと思って金田一耕助シリーズの『獄門島』『八つ墓村』なども読んでしまい、当時は結構トラウマでした。
自分の中では、それが第1次ミステリブームみたいなものでした。ただ、シャーロック・ホームズは読まなかったんです。ルパンから入ったので南洋一郎版の『怪盗対名探偵』を読んだんです。講談社文庫版だとタイトルは『ルパン対ホームズ』で、それも読みましたが、ホームズがめっちゃ嫌な奴なんですよね。すごく皮肉屋というか。それで、ホームズは読まなかったです。
他に、小学校低学年から中学年にかけては海外児童文学もよく読んでいました。ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』やマーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』シリーズ、文学ではヘミングウェイ『老人と海』、『武器よさらば』、カフカ『変身』など。
あとは、日本の古典~近代文学系ですね。『源氏物語』、『枕草子』、『土佐日記』、『蜻蛉日記』などの現代語訳、江戸時代の読本では『東海道中膝栗毛』、『南総里見八犬伝』、『四谷怪談』『仮名手本忠臣蔵』など。近代文学は芥川龍之介の初期の「蜘蛛の糸」、「羅生門」、「鼻」、「芋粥」などの寓話系のもの、あとは太宰治、夏目漱石、石川啄木、宮沢賢治とか。好きだったのは、壺井栄の『二十四の瞳』、山本有三の『路傍の石』。『路傍の石』はたぶん、1964年版の映画が人生で初めて号泣した映像作品だったと思います。
小学校高学年の頃、なぜか当時流行ったシドニィ・シェルダンも読んだと思います。『ゲームの達人』、『明日があるなら』、『真夜中は別の顔』とか。
それと、なぜか父親が持っていた村上龍の『限りなく透明に近いブルー』も読みましたが、意味は半分ほどしかわからなかったかと。
ちょっと変わっていたのが、学校で横山光輝の『三国志』がすごく流行っていたことですね。なんですけれど、自分は漫画を読めないので話についていけない。それで親に「読みたい」と言って買ってきてもらったのが、吉川英治の『三国志』でした。吉川英治歴史時代文庫の33巻から40巻で、それも読みました。
――子供向けのものではなく、いきなり?
行成:はい。なので小学校3、4年生の時はちょっと理解できなくて、小学校5年生くらいになってからようやくがっつり読み出しました。学校の担任の先生に「貸してくれ」と言われて貸したりして(笑)。
――小学生にとっては難しい漢字や表現も多かったと思いますが、読めました?
行成:当時の本は後ろに索引みたいなものがついていて、難しい言葉を説明してくれていたんです。それで「刎頸の交わり」みたいな言葉を知りました。もちろん、読みが分からなくてすっ飛ばした漢字もありましたが。
――読んでみて、やっぱり面白かったですか。
行成:面白かったですね。やっぱりエンタメに飢えていたので(笑)。
たまに「読みたい」と言ったら親が漫画を買ってくれることもあったんですけれど、それが『キン肉マン』の第17巻 だったりするんです。それを何回も何回も読んでいました。ゲームもみんなが夢中になってやっている時は買ってもらえなくて、半年後くらいに親の気まぐれで「ドラゴンクエストⅢ」を買ってもらえて 、それをずっとやっていました。当時はファミコン全盛期で、その次の「ドラゴンクエストⅣ」は貯めたお小遣いで発売日にゲットしました。そのほかのソフトは、だいたい、誕生日かクリスマスにねだって買ってもらうか、自分で貯めたお小遣いで中古ゲームを買う、という感じでした。1989年には「ゲームボーイ」、1990年に「スーパーファミコン」が発売され、持っている友達も多くいましたが、それらは買ってもらえず、自腹購入もダメで、中学入学から高校卒業までゲームは禁止されます。
ゲームを買ってもらえなかった時期は、ゲームブックや攻略本をよく読んでいました。だから、「ゲームを持っていないのになぜか攻略法をよく知っている」ってことで、友達んちに呼ばれるんですよ(笑)。で、「そっちに行くとこれがあるよ」みたいなことを後ろから言っていました。
僕は一人っ子で家で遊び相手がいないので、小学生時代はそんなふうに、エンタメを全部本から吸収していました。あとはラジオとパソコンくらい。
――あ、パソコンはもう使っていましたか。
行成:小学校6年生の時に、貯めていたお年玉+親のお金で、自分専用のものを買いました。まだDOS/V の時代です。動機は不純でした。当時ってパソコンにバンドルソフトがついていて、それでゲームができたんです。中学時代に買ったパソコンには「信長の野望」がバンドルされていて、それで遊びながら吉川英治や山岡荘八といった歴史小説にはまっていきました。
流れとしては、学研まんがの偉人伝みたいなものを全部読んで、そこから歴史小説にいった、という感じだたったと思います。いちばん好きだったのは山岡荘八歴史文庫の『伊達政宗』でしたね。別に自分が生まれ育ったのが仙台市内だったからというわけではなく、無作為に読むなかで素直に面白かったんです。それに、小学校2年生の時に見た大河ドラマの「独眼竜政宗」の渡辺謙さんが格好よかった。
大河ドラマは日曜日放送なので見ることができたんです(笑)。3年生の時に放送された中井貴一さんの「武田信玄 」、4年生の時の大原麗子さんの「春日局」、5年生の時の西田敏行さんと鹿賀丈史さんの「翔ぶが如く」なんかも憶えています。
当時は、小説というと歴史ものやミステリとかのことだと思っていました。まだ現代小説という概念がなかったですね。読んだことがなかった。
――じゃあ、まだ全然、将来作家になろうということも思っていないんですね。
行成;まったく思ってないです。でも休み時間によく友達と漫画を描いたりしていて、物語を作るのはすごく好きでした。テストの答案用紙にいたずら書きをしたりもしていました。――行成さんは絵がお上手だそうですね。
行成:いや、そんなにうまくないです。ペン画というか、シャーペンでしか書けないですし。
いま思い出しましたが、小学校5、6年生の頃に、みんながゲームブックの影響を受けて、漫画を文章するってことをやり始めたんです。ノベライズというか(笑)。今でいうラノベみたいなものをみんなで書いていました。完成させられなかったんですけれど。
最初は手書きで書いていたんですが、父親からカシオワードHW-955をもらってからはワープロで書いていた記憶があります。ごついわりに画面が小さく、3行くらいしか表示できないやつでした。小6でパソコンも買いましたがプリンタがなかったので、執筆はその古めかしいワープロでやっていました。今のノートパソコンみたいな形状の、NECの「文豪」シリーズにあこがれていた気がします。
――当時、将来なりたいものってありましたか。
行成:将来の夢みたいなものは、幼稚園から小学校まで毎年変わるくらい適当なことを言っていました。
でも、中学2年の進路相談の時に、担任の先生になぜか「小説家になる」と言ったのを思い出しました。先生は「頑張ってね」と笑っていました。本気で小説家になるなどとは全然思っていなかったのですが、夏休みの宿題で創作文を書いたりしていたので、思い付きで言ったと思います。
――習い事やスポーツは何かやっていましたか。
行成:小学生の時は水泳を習っていました。喘息持ちだったので、サッカーや野球などはできなかったんです。あとは、近所の知り合いのところでお習字を習ったり、エレクトーン教室に通ったり。今はもう全然弾けないですけれど。
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