1915年:再着手
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「弦楽四重奏曲第1番 (オネゲル)」の記事における「1915年:再着手」の解説
ハリー・ハルプライヒによれば、オネゲルの両親への手紙を見る限り、1915年の3月に作曲は次の段階へ進んだと考えられる。同年の11月に、これものちに改稿されることになるフィナーレの初稿が完成したが、まだ中間楽章を欠いていた。1916年3月、オネゲルは両親への手紙で「アダージョ」の作曲中であることを伝えている。「ヴァンサン・ダンディの指揮法の授業を受けていますが、とても面白いものです。(...)今月はいくつか旋律を作って、弦楽四重奏曲のアダージョを書いています」。4月にル・アーヴルを訪れたオネゲルはアダージョ楽章を完成させ、5月2日にパリへと戻った。シャルル=マリー・ヴィドールのクラスに四重奏曲を持ち込み、その際の印象を6月18日の手紙で両親に綴っている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}四重奏をヴィドールに見せるとすぐには受け入れられない様子でしたが、とても古風な人だからよく理解できることです。彼はこれが巨大すぎると考えて(第二主題が二度目に出てきたときには、展開が終わったものと考えていました)、和声を見て「顰め面」をしているようでした。アダージョはとてもポリフォニックかつ多調的で、彼に楽しい15分間を過ごしてもらうことはできないでしょう。それでも彼は良い人で、いつも最後に君は才能があると言ってくれます。
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