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ホンダ・R125とは? わかりやすく解説

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ホンダ・R125

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 00:06 UTC 版)

R125(アール125)は、かつて本田技研工業が製作したオートレース競走車であり、日本メーカーとして初めて日本国外でのオートバイレースに出場した車両である。


注釈

  1. ^ 当時はまだ舗装されたサーキットがなく、公道などを使用したレースも稀だった。
  2. ^ 1954年11月に開設された大井オートレース場を除きオートレースは昭和30年代までダート走路だった。
  3. ^ 現在のJKA
  4. ^ 当時レース名は『サンパウロ市制400年記念祭国際オートレース』などと訳されていた。
  5. ^ 他3社は新明和工業(ポインター)・みづほ自動車製作所(キャブトン)・モナークモーター(モナーク)[3]
  6. ^ この時点では稲垣国光・杉田和臣・田村三夫・山中(西方)義治らも選ばれていた[4]
  7. ^ 1953年に発売されたドリーム3E型。ただしギアは3E型の3速ではなくE型・2E型からの2速が搭載された。
  8. ^ のちに第1期のロードレース世界選手権およびホンダF1にも係わる[9]
  9. ^ 日本のライダーとしては1930年マン島TTレースを現地の車両で完走した多田健蔵に次ぐ。
  10. ^ サンパウロ側が「参加車両は売却できる」という条件も伝えていた[4]

出典

  1. ^ a b c d e f 『 『語り継ぎたいこと』 チャレンジの50年 総集編『大いなる夢の実現』 』- 世界一への挑戦状。『マン島TTレース出場宣言』”. 本田技研工業. 2016年2月28日閲覧。
  2. ^ 『定本 本田宗一郎伝』p.196
  3. ^ 『定本 本田宗一郎伝』p.198.
  4. ^ a b 『モーターサイクリスト』1954年1月号 p.65.
  5. ^ 『プロジェクトX 挑戦者たち 14』p.273
  6. ^ a b 『日本モーターサイクル史』p.35
  7. ^ a b 『本田宗一郎と「昭和の男」たち』pp.71-72.
  8. ^ 『二輪車産業グローバル化の軌跡』pp.25-27.
  9. ^ 『浜松オートバイ物語』 p.128.
  10. ^ 『浜松オートバイ物語』 pp.130-131.
  11. ^ 『定本 本田宗一郎伝』p.201
  12. ^ a b 『草創期ホンダのオーラル・ヒストリー』pp.93-95.
  13. ^ 『本田宗一郎と「昭和の男」たち』p.75,77.
  14. ^ 『定本 本田宗一郎伝』p.200
  15. ^ 『Honda Motorcycle Racing Legend vol.3』pp.12-13
  16. ^ 『オートバイ・乗用車産業経営史』p.190


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