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ボヤン・クライツァとは? わかりやすく解説

ボヤン・クライツァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 07:33 UTC 版)

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ボヤン・クライツァ (1977)

ボヤン・クライツァクロアチア語: Bojan Kurajica1947年11月15日 - )は、クロアチアボスニア・ヘルツェゴビナ(旧 ユーゴスラビア)のチェスグランドマスター。

リュブリャナ生まれのスプリト育ち[1]。1965年に世界ジュニア選手権で優勝し、国際マスターになった。1966年にザグレブに移り、1972年にザグレブ大学哲学部を卒業[1]、1974年にグランドマスターとなった。1976年のウェイク・アーン・ゼーチェス大会で好成績を記録[1]。1979年にチェスクラブのŠKボスナからオファーを受けサラエボに移るまで、ザグレブでプレイした[1]チェス・オリンピアードには1980年のバレッタ大会と84年のテッサロニキ大会にユーゴスラビア代表として出場、うちバレッタ大会では団体で銅メダルを獲得した。

ユーゴスラビア崩壊後はボスニア・ヘルツェゴビナ代表として1992年から06年の計8回オリンピアードに出場、うち94年のモスクワ大会では団体で銀メダルを獲得した[2]。2005年12月にはソリンの第13回ソリナ・トーナメントで優勝[3]。同年、国際チェス連盟(FIDE)トレーナーのタイトルを授かった[4]。2006年現在、サラエボとスペインサンタ・クルス・デ・テネリフェに居を構えている[1]

2010年5月現在のFIDEによるイロレーティングは2548。

脚注

  1. ^ a b c d e Kalanj, Mirko (2006年10月28日). “Povratak šahovskim korijenima (PDF)” (Croatian). Vjesnik. 2010年5月15日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ Bartelski, Wojciech. “Men's Chess Olympiads: Bojan Kurajica”. OlimpBase. 2009年7月23日閲覧。
  3. ^ Crowther, Mark (2005年12月19日). “TWIC 580: 13th Salona Tournament”. London Chess Center. 2010年1月4日閲覧。
  4. ^ Arbiters - Trainers: Bojan Kurajica”. World Chess Federation. 2011年6月6日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年7月23日閲覧。

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