伊勢街道の音頭
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古市の「伊勢音頭」とは別に、「伊勢音頭」と称するものが江戸時代に現れている。西沢一鳳の『皇都午睡』初編上の巻(嘉永3年〈1850年〉成立)には「伊勢音頭」と題して以下の文を載せる。 「伊勢街道の音頭といへば、大坂出てから早玉造、笠を買なら深江が名所…奈良より青越、山田、松坂、津、椋本、窪田、関より大津迄、宿々駅々音頭あれども、委く諷ふ者なし。よふよふ伊勢の豊久野銭懸松よ(下略)、坂はてるてる鈴鹿は曇る(下略)など、人口に唱へり」 また『守貞謾稿』の「伊勢音頭」の項には、古市の「伊勢音頭」について解説した後、「…又京坂等より参宮の道中、唄ひ行く小唄あり、是をも音頭と云は是歟非歟、後考すべし」とあり、その「小唄」の例として「大坂はなれてはや玉造り、笠をかうなら深江が名所、ヤアトコセーヨウイヤナ、アリャリャ、コリャリャ、ソリャナンデモセー」のほか、「伊勢へ七度熊野へ三度」と「伊勢は津でもつ」の唄をあげている。 この『皇都午睡』初編と『守貞謾稿』に出てくる「伊勢街道の音頭」および「小唄」が、現在民謡として唄われる「伊勢音頭」の源流と見られ、民謡「伊勢音頭」も同様の歌詞の形式で「やとこせ、よいやな、あらら、これはいせ、よいとこいせ」という合の手が入る。「伊勢街道の音頭」がいつの頃より起こったものか明らかではないが、文政5年(1822年)の序文がある俗謡集『浮れ草』には「国々田舎唄」のなかに、「勢州川崎節」と称して「大坂放れて早玉造り 笠を買なら深江が名所 ヤアトコセイヨイヤナ アリヤヽコノなんでもせへ」という唄を収めており、少なくともこれ以前に世に知られ唄われていたのは確かである。 「伊勢街道の音頭」は、願人坊主の大道芸であった住吉踊りにも使われている。『守貞謾稿』には住吉踊りについて、「其唱歌多くは参宮道中にて京坂人の唄ふ所の章句を用ひ…」とあり、また文政11年(1828年)11月、江戸市村座で上演された顔見世狂言『重年花源氏顔鏡』(かわらぬはなげんじのかおみせ)のうちの一幕「栄華の夢全盛遊」に住吉踊りがあり、 「高いなァ山から谷底見れば、ヤトセイヤトセイ、瓜や茄子の、やんれ花盛り。ヤアトコセ、ヨンヤナ、アリャリャ、コレワイナ、このなんでもせ」 という歌詞で踊る。これにより文政の頃までには、住吉踊りに「伊勢街道の音頭」を使うようになっていたことが知られる。現在も上演される天保2年(1831年)3月江戸中村座初演の『六歌仙容彩』の「喜撰」にも、以下の歌詞で住吉踊りを踊るところがある。 「難波江の片葉の芦の結ぼれかかりアレハサ、コレハサ、とけてほぐれて逢ふ事もまつにかひあるヤンレ夏の雨、ヤアとこせ、よいやな、ありゃりゃ、これわいな、このなんでもせ」 伊勢音頭は「荷物にならない伊勢土産」ともいわれ、各地で伝わり作り替えられ普及した唄や踊りがある。主に祝い歌として祭などの伝統行事、通過儀礼の席で唄われる事が多い。なお伊勢にはほかに「伊勢道中唄」という唄がある。「明日はお立ちか、お名残惜しや…」と始まるもので、「伊勢街道の音頭」より歌詞は長く形式が異なる。歌詞の中の「六軒茶屋」とは松坂にあった茶屋のことである。
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