口碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:57 UTC 版)
高知県の各地に白鳳地震の地変や津波に関する口碑が伝わる。しかし、その多くが後世の宝永地震後から明治時代にかけて書き記されたもので、「五十余万頃」という膨大な数字に驚いて誤解したと思われ、大言壮語や信頼し難いものも少なくない。白鳳地震により陥没して土佐湾が生じたと解釈するのは誤りとされる。 「白鳳地震陥没の地面は、東の方室戸岬より西の方足摺岬に達する一大地積にして黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡に分石高二十六万石程の地なり」。黒田、黒土、上鴨、下鴨の四郡は黒田郡あるいは黒田郷と呼ばれる。「陥没の音が京都まで聞こえた」。 「昔、大良千軒、小田千軒などといえる繁栄の市あり、白鳳地震の時陥没して今海底に帰せり。」(高岡郡、吾川郡南部海浜に残る言い伝え) 「昔白鳳の前、須崎の海上に大坊千軒と称する繁栄の浦あり一日漁人其浦にて奇異なる人魚を獲たりしが浦中の一少女がこれを舐ぶりしに成長し極めて長寿を享け諸国を遍歴し若狭の国に留まり八百歳の齢に達し為に八百比丘尼の名を獲しが後に土佐にかへり産土神なる鴨社に石塔を寄進せり大坊の浦の大震の時海底に帰せしが鴨社の石塔は今に現存せり」(高岡郡多之郷村) 「高知市街の入口なる浦戸港の北方を孕(はらみ)という。距離六、七町の小海峡をなす。白鳳大変の時、大浪南方より打寄せ、この山脈を蹴破りて小海峡をなせしが、当時その打欠ぎたる山の一部をば、なお浦勢にて北に押流し、孕より二十丁程北方に坐らしめたり。これ今日の比島なり。」
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