富田町 (愛知県)
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とみだちょう 富田町 | |
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富田支所周辺の様子 (1978年 - 1987年頃) | |
廃止日 | 1955年10月1日 |
廃止理由 | 編入合併 富田町、南陽町、山田村、楠村 → 名古屋市 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 海部郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 12.60 km2. |
総人口 | 11,201人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 名古屋市、海部郡南陽町、蟹江町、七宝村、大治村 |
富田町役場 | |
所在地 | 愛知県海部郡富田町大字戸田字一番屋敷15[2] |
座標 | 北緯35度08分26秒 東経136度48分46秒 / 北緯35.14044度 東経136.81272度座標: 北緯35度08分26秒 東経136度48分46秒 / 北緯35.14044度 東経136.81272度 |
ウィキプロジェクト |
現在の名古屋市中川区の西部に該当し、おおよそ庄内川の西岸の地域である。現在は一部に名古屋市中川区富田町として地名が残っている。詳しくは中川区を参照。
沿革
- 1906年(明治39年)7月1日:海東郡万須田村、赤星村、戸田村、豊治村が合併。海東郡富田村新設。村役場は大字春田が指定地とされたが、新築が間に合わず、当初は大字戸田に仮役場が置かれた。
- 1909年(明治42年)4月1日:大字戸田横井角十郎所有地に富田高等小学校仮校舎が開校。それまで富田村児童は蟹江高等小学校に通学していたが、これによりその不便が解消された。
- 1913年(大正2年)4月1日:海東郡と海西郡の区域をもって海部郡を設置。住居表示が海東郡富田村から海部郡富田村に変わる。
- 1944年(昭和19年)2月11日:富田村が町制を施行して富田町が発足。
- 1952年(昭和27年)3月:名古屋市周辺18町村の町村長と名古屋市側代表をもって名隣会と称する親睦団体が創設。
名古屋市への編入問題
- 1953年(昭和28年)9月1日:町村合併促進法が公布される。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
廃止時の大字
- 江松(えまつ)
- 包里(かのさと)
- 供米田(くまいでん): 熱田大神に供する米を収穫する地域であることからこの名が付いたという説がある
- 助光(すけみつ)
- 千音寺(せんのんじ): 地内にある行雲寺の別名「千手観音寺」の略称であろうとしている
- 長須賀(ながすか)
- 戸田(とだ): 桑添等を植えるために民家に賜った田を戸田ということから、桑園が多かった一帯を戸田と名付けたという説がある
- 富永(とみなが)
- 新家(にいえ)
- 服部(はっとり)
- 春田(はるた):「はるだ」即ち、治田、墾田の意であるという説がある
- 伏屋(ふしや): 当地が伏屋(布勢)氏の所有田であったという説や、旅人のための宿である布施屋を建てたことによる説、傾斜地を意味する「ふせ」が変化した説などがある
- 前田(まえだ)
- 松下(まつした)
- 万場(まんば)
- 榎津(よのきづ): かつて存在した「江奈津」と称する港に由来する
出身有名人
廃止時点の交通機関
鉄道・バス
道路
※現在当地を南北を貫く国道302号(名古屋環状2号線)は、いまだ開通していなかった[注釈 2]。
脚注
注釈
出典
関連項目
- 富田町_(愛知県)のページへのリンク