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広瀬久忠とは? わかりやすく解説

広瀬久忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 02:30 UTC 版)

1952年

広瀬 久忠(ひろせ ひさただ、1889年明治22年)1月22日 - 1974年昭和49年)5月22日)は、日本内務官僚政治家山梨県出身。

来歴・人物

山梨県[1]東山梨郡七里村(現甲州市)の県内有数の旧家である広瀬家に、父広瀬久政、母さとの長男として生まれる。

山梨県立日川中学校(現山梨県立日川高等学校)、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。文官高等試験を173人中32番目で合格[2]内務省に入省し、千葉県属を振出しに、1917年(大正6年)5月に岐阜県警視、1918年(大正7年)10月に同理事官、1919年(大正8年)8月に警視庁理事官、1923年(大正12年)3月に警視庁警視、同年10月に滋賀県警察部長、1924年(大正13年)5月に内務省社会局書記官、同年12月に福井県書記官・内務部長、1925年(大正14年)10月に内務省復興局書記官、1929年(昭和4年)5月に東京市助役、1930年(昭和5年)8月に東京府書記官・内務部長となる。

その後、1931年(昭和6年)12月に三重県知事、1933年(昭和8年)6月に埼玉県知事となり、1934年(昭和9年)7月に内務省土木局長、1936年(昭和11年)3月に社会局長官、同年6月に内務次官、1938年(昭和13年)1月に厚生次官を務めている。なお、これらと並行して対満事務局および企画院参与も務めた[1]

1939年(昭和14年)1月の平沼内閣においては厚生大臣[3]となり、翌1940年(昭和15年)1月の米内内閣においては内閣法制局長官となり同年7月16日には貴族院議員に勅選されている[4](1946年2月22日まで在任[5])。また、1941年(昭和16年)12月に産業設備営団副総裁、1942年(昭和17年)11月には同営団の総裁に就任している。

太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)7月の小磯内閣においては再度の厚生大臣を務め、翌1945年(昭和20年)2月には国務大臣内閣書記官長に転任し、同年8月に関東信越地方総監東京都長官となったが、1946年(昭和21年)8月にGHQによる公職追放(1946年(昭和21年)8月 - 1951年(昭和26年)8月)となっている。

追放解除後の1953年(昭和28年)には、第3回参議院議員通常選挙山梨県選挙区から無所属で立候補して当選、政界に復帰した。その後、緑風会を経て自由民主党へ移り、1959年(昭和34年)の第5回参議院議員通常選挙では落選したが、1965年(昭和40年)の第7回参議院議員通常選挙で当選した。

日本国憲法下では改憲を熱心に主張し、自主憲法期成議員同盟の初代会長に就任。また天皇の「首位」化、自衛軍の創設、参議院の非政党化、基本的人権の限界規定などを主な特徴とする「広瀬試案」を発表した。

1974年(昭和49年)5月22日死去、85歳。死没日をもって正三位から従二位に叙される[6]

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b 『昭和史事典』毎日新聞社〈別冊1億人の昭和史〉、1980年5月。 
  2. ^ 水谷三公『日本の近代 13 官僚の風貌』中央公論新社、1999年8月発行、136頁
  3. ^ 広瀬久忠の厚生大臣就任は、山梨県出身者による初の大臣就任となった。
  4. ^ 『官報』第4058号、昭和15年7月17日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、54頁。
  6. ^ 『官報』第14223号18-19頁 昭和49年5月30日号
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  8. ^ a b c "広瀬 久忠". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2023年2月11日閲覧
  9. ^ 『官報』第14499号4頁 昭和50年5月6日号
公職
先代
田中武雄
内閣書記官長
第49代:1945年
次代
石渡荘太郎
先代
木戸幸一
小泉親彦
厚生大臣
第2代:1939年
第9代:1944年 - 1945年
次代
小原直
相川勝六
先代
西尾寿造
東京都長官
1945年 - 1946年
次代
藤沼庄平
先代
福島繁三
埼玉県知事
1933年 - 1934年
次代
飯沼一省
先代
市村慶三
三重県知事
1931年 - 1933年
次代
早川三郎
議会
先代
岡崎真一
参議院大蔵委員長
1956年-1957年
次代
豊田雅孝
官職
先代
西尾壽造
関東信越地方総監
第2代:1945年 - 1946年
次代
(廃止)
先代
唐沢俊樹
法制局長官
第40代:1940年
次代
村瀬直養
先代
篠原英太郎
内務次官
第40代:1937年
次代
羽生雅則




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