日本統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 20:53 UTC 版)
「日本とマーシャル諸島の関係」の記事における「日本統治」の解説
1885年のドイツ帝国の占領よりドイツ領ニューギニアの一部を構成していたが、第一次世界大戦では日本が日英同盟に基づいて連合国側で参戦。赤道以北の南洋諸島を占領したまま終戦をむかえて、1922年のヴェルサイユ条約によって日本はドイツ帝国の植民地をほぼそのまま委任統治領として受け継いだ。なお、この南洋諸島にはマーシャル諸島の他に現在のミクロネシア連邦やパラオも含まれていた。 日本は南洋諸島を獲得後、パラオのコロールに南洋庁を設置し、国策会社の南洋興発株式会社や南洋拓殖株式会社を設立して島々の開拓、産業の扶植を行った。マーシャル諸島には現在の首都マジュロの近くであるジャルート環礁に南洋庁ヤルート支庁が置かれて、本国から遠かったためドイツの植民地下では蔑ろにされていた近代的な電気や水道、学校や病院などのインフラストラクチャーの充実がマジュロでは進むなど、マーシャル諸島開発の中心となった。1920年代から1930年代初期には、マーシャル諸島原産のコプラ(ヤシ油の原料)の集積地となり、買い付けを行う日本の商人らでにぎわった。交通面でも、横浜港やパラオのコロールからジャルート環礁まで、日本郵船のサイパン丸やパラオ丸による定期航路が就航していたほか、1941年1月より大日本航空が横浜港からサイパンやパラオを経由してジャルート環礁までの定期旅客便を川西式四発飛行艇により就航させた。 なお、南洋諸島と日本本国には時差があり、マーシャル諸島では日本標準時+2時間(UTC+11)である「南洋群島東部標準時(ヤルート・ポナペ地区)」が採用された。
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