せいか‐じ【棲霞寺】
棲霞寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 05:04 UTC 版)
棲霞寺 | |
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毘盧宝殿 | |
基本情報 | |
所在地 | 中国・江蘇省南京市棲霞区 |
座標 | 北緯32度09分15秒 東経118度57分14秒 / 北緯32.15417度 東経118.95389度座標: 北緯32度09分15秒 東経118度57分14秒 / 北緯32.15417度 東経118.95389度 |
宗教 | 仏教 |
宗派 | 三論宗(隋より唐初) |
建設 | |
様式 | 中国建築 |
創設者 | 僧紹 |
創設 | 489年 |
完成 | 1919年(再建) |
棲霞寺(せいかじ)は、中華人民共和国江蘇省南京市棲霞区にある仏教(隋より唐初は三論宗)の寺院。南京駅から路線バスで約1時間の南京の北東22キロに位置する棲霞山(摂山)西麓にある。
歴史
棲霞寺は南朝斉の永明2年(484年)(永明元年、永明7年の説もあり)に処士の明僧紹(字は徴君)が自らの居所を改築して棲霞精舎を開いたことに始まる。
また、隋から唐初にかけて、僧朗・僧詮・吉蔵(549年 - 623年)らの三論宗の衆徒が、この棲霞山(摂山)の止観寺や棲霞寺を拠点として教勢を張り、摂嶺相承と称せられた。慧布(518年 - 587年)は棲霞寺の禅堂を造営した。唐の高祖李淵が、功徳寺と寺名を改めた。
明の洪武25年(1392年)に寺名を棲霞寺に戻したが、清の咸豊5年(1855年)に棲霞山一帯での清軍と太平天国軍の激戦により焼失、光緒34年(1908年)に再建され、1500年以上の歴史があり、南京最大規模の寺である。清には乾隆帝が「第一金陵名秀山」と称賛した。
境内
三門、天王殿、毘盧殿、石造の無量殿(大仏閣、三聖殿)、磨崖の千仏龕石窟がある。
無量殿の近くの高台には、仁寿舎利塔がある。ただし、隋の仁寿元年(601年)に建塔されたものだが、五代十国時代の南唐の重修である。
秋になると紅葉が見事だという。「棲霞紅葉」は南京の有名な風景のひとつであり、さらに「春牛首、秋棲霞」とも言われることもある。周辺地域には六朝の頃の陵墓、石刻がある。1937年の旧日本軍の南京事件の際に難民約2万人が棲霞寺に避難していたとされ、2005年8月に『棲霞寺1937』という映画が公開された。南京では著名な寺である。
- 棲霞寺
- 参道の牌坊
- 本殿
- 千仏巌
交通アクセス
外部リンク
- 棲霞寺公式HP(簡体字中国語GB2312)
- 中国江蘇網(簡体字中国語GB2312)棲霞寺1937特集ページ
棲霞寺と同じ種類の言葉
- 棲霞寺のページへのリンク