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池亭記とは? わかりやすく解説

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ちていき【池亭記】

読み方:ちていき

[一]平安中期随筆前中書王兼明(さきのちゅうしょおうかねあきら)親王著。天徳3年(959)成立小亭での、悠々自適老年心境漢文体記したもの。

[二]平安中期随筆慶滋保胤(よししげのやすたね)著。天元5年(982)成立当時京都荒地に池と亭を構え念仏読書閑雅な晩年を送るようすを漢文体記したもの。「方丈記」に影響与える。ちていのき。

[補説] [一][二]ともに「本朝文粋(ほんちょうもんずい)」所収


ちていき 【池亭記】

慶滋保胤作の文。九八二(天元五)年成る。当時京都左京右京情勢と、作者荒廃した地に池亭構え閑居し有様漢文記したもの。『方丈記』に与えた影響大きい。『本朝文粋所収。→ 寂心

池亭記

読み方:チテイノキ(chiteinoki), チテイキchiteiki

分野 漢文

年代 平安中期

作者 慶滋保胤


池亭記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 10:03 UTC 版)

池亭記』(ちていき)は、平安時代中期に慶滋保胤が著した随筆。成立は天元年間(982年)頃と見られている[1]漢文で書かれた代表的な著書の一つで、当時の都(京都)の風俗を理解するのに、重要な資料となっている。

背景

慶滋保胤は白居易漢詩『池上篇』と、兼明親王の同題の著書『池亭記』[2]から着想を得たと記している[1]

本朝文粋』の12巻に含まれた短篇集で、2つの大きな節で構成されている。

第1節は、当時の世相に関する論評と問題点を記している。京都の説明があるのが特筆される。それによると、京都の東部に人が密集して住んでいて、西部は荒れ果てている様が描かれている。

第2節では、第1節の内容を踏まえ、保胤が京都西部で隠遁生活に入る様を描いている。世間に無関心で、自由な生活を営む事が可能なように小さなを建てたと書いた[1][3]

後世への影響

『池亭記』は源通親の『久我草堂記』や鴨長明の『方丈記』に影響を与えたと、一般に言われている[1][4]。長明は『池亭記』の文中に見られる京都の世相、そして自身も世間を離れ、小さな庵を建てて隠遁生活に入った事を真似して書いている。

脚注

  1. ^ a b c d 『日本古典文学大辞典 簡約版』、岩波書店1986年ISBN 4-00-080067-1
  2. ^ 池亭記(Yahoo!辞書)
  3. ^ 『新日本古典文学大系 本朝文粋』、大曽根章介著、岩波書店、1992年ISBN 4-00-240027-1
  4. ^ 『岩波 日本古典文学辞典』、久保田淳著、岩波書店、2007年ISBN 978-4-00-080310-6

関連項目

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