清水幹夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 14:42 UTC 版)
清水 幹夫(しみず みきお、1930年[1] - 2024年6月4日[2])は、元NHK、札幌テレビアナウンサー[3]。北海道上川郡清水町出身[3][2]。
経歴
北海学園大学短期大学部を卒業[4]、1953年後期にNHKへ入局。帯広放送局でチーフアナウンサーを担当[5]、その後1959年1月に札幌テレビ放送に入社、初代アナウンサーとして4月1日の放送第一声を発し[2]、初代アナウンス課長も担当し「スタジオでは日本一のアナウンサーたれ、スタジオを出れば日本で最低のアナウンサーと考えよ」の心構えを説いた[6]。課長時代に石橋雄哉等の初期アナウンサー陣や、徳光和夫等の新人研修を担当した。
後に1960年代後半に総務部副部長[4]、1970年代に制作部長・アナウンス部長[7](後に前者専任)、1970年代中盤に函館放送局長[8]、1980年代前半に大阪支社長[9]、1985年より東京支社長[10]、1986年3月より取締役東京支社長、1989年より常務取締役社長室長、1990年に顧問を歴任[11]、1992年に顧問を退任[2]。STV退社後は三角山放送局「土曜リレーエッセイ」のパーソナリティも担当した[12]。
2022年時点では小樽市在住で、同年12月15日放送の「北海道ライブ あさミミ!」にてSTVラジオ開局60周年を記念して出演し、ラジオ開局当時の様子のインタビューやラジオへの思いの朗読が放送された[3]。
脚注
- ^ 札幌テレビ放送 - ダイヤモンド会社職員録非上場会社版1970年版(ダイヤモンド社)846頁
- ^ a b c d e 清水幹夫さん 元札幌テレビ放送アナウンサ- - 北海道新聞2024年6月5日26面
- ^ a b c STVラジオ. “今朝の放送内容 12月15日(木) | 今朝の放送内容 | 北海道ライブ あさミミ! | STVラジオ”. STVラジオ. 2022年12月15日閲覧。
- ^ a b 札幌テレビ放送株式会社 総務局 - ダイヤモンド会社職員録 非上場会社版 1967年版(ダイヤモンド社)713頁
- ^ STV10年の歩み(札幌テレビ放送 1968年)87頁
- ^ アナウンサーブログ 感謝。永井公彦 - STV札幌テレビ(Internet Archive)
- ^ 札幌テレビ - 民間放送全職員人名簿昭和45年度版(岩崎放送出版社 1970年)33頁
- ^ 会社要覧 札幌テレビ放送 - 北海道年鑑1976年版(北海道新聞社 1975年)640頁
- ^ 各放送在阪支社 - 大阪府年鑑昭和56年版(新大阪新聞社 1981年)604頁
- ^ 人事異動 放送局 札幌テレビ放送5月1日付東京支社長に清水氏 - 企業と広告1985年6月号(チャネル)
- ^ 人事異動 放送局 札幌テレビ放送11月6日付清水常務が顧問に - 企業と広告1991年1月号(チャネル)
- ^ 10月1日(土)リレーエッセイ 放送予定 - 三角山放送局(2010年9月28日)
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