越智郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 10:04 UTC 版)
人口6,057人、面積30.38km²、人口密度199人/km²。(2024年7月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 上島町(かみじまちょう)
古代
小市国造の領域を中心として建てられた。
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
越智郡 7座(大3座・小4座) | |||||||
大須伎神社 | オホスキノ | 小 | 大須伎神社 | 愛媛県今治市高橋 | |||
伊加奈志神社 | イカナシノ | 小 | 伊加奈志神社 | 愛媛県今治市五十嵐 | |||
大山積神社 | オホヤマツミノ | 名神大 | 大山祇神社 | 愛媛県今治市大三島町宮浦 | 伊予国一宮 | [1] | |
大野神社 | オホノノ | 小 | 大野神社 | 愛媛県今治市玉川町大野 | |||
姫坂神社 | ヒメサカノ | 名神大か[注 1] | 姫坂神社 | 愛媛県今治市宮下町 | |||
(論)三島神社 | 愛媛県今治市上徳 | ||||||
多伎神社 | タキノ | 名神大 | 多伎神社 | 愛媛県今治市古谷 | [2] | ||
樟本神社 | マキモト クスモト | 小 | 樟本神社 | 愛媛県今治市八町西 | |||
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- ^ 姫坂神社における「名神大」は、大山積神社と多伎神社に挟まれたための衍字と見られている。
明治維新後
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、今治市の大部分(小浦町、砂場町、大浜町、近見町、石井町、高地町、いこいの丘、山方町、馬越、馬越町、片山、小泉、クリエイティブヒルズ、にぎわい広場、高橋ふれあいの丘、高橋、玉川町各町以東および来島・小島を除く島嶼部)にあたる[注釈 1]。
町村制以前の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 松山藩預地[注釈 2] | 8村 | 桜井村、孫兵衛作村、登畑村、旦村、宮ケ崎村、朝倉下村、朝倉上之村[注釈 3]、長沢村 |
藩領 | 伊予今治藩 | 1町 82村 | 今治町[注釈 4]、山口村、上神宮村、徳久村、国分村、古国分村、辻堂村、鳥生村、喜田村、郷村、八町村、東村、松木村、町屋村、古谷村、高市村、五十嵐村、八幡村、別所村、小鴨部村、中村、朝倉北村、朝倉南村、朝倉上村、中寺村、徳重村、四村、新谷村、蔵敷村、別宮村、今治村、大浜村、石井村、馬越村、大新田村、日吉村、片山村、小泉村、別名村、高橋村、法界寺村、大野村、三反地村、長谷村、高野村、摺木村、与和木村、鍋地村、桂村、御厩村、葛谷村、竜岡上村、竜岡下村、鈍川村、鬼原村、畑寺村、上弓削村、下弓削村、魚島村、佐島村、木浦村、北浦村、伊方村、叶浦村、有津村、友浦村、宮窪村、余所国村、早川村、田浦村、泊村、福田村、仁江村、幸新田村、八幡村、名村、臥間村、正味村、南浦村、本庄村、椋名村、津島村、木地村[注釈 5] |
伊予松山藩 | 17村 | 岡村、大下村、宗方村、浦戸村、口惣村、野々江村、台村、宮浦村、明日村、大見村、肥海村、盛村、井口村、甘崎村、瀬戸村、岩城村、生名村 |
- 慶応4年1月27日(1868年2月20日) - 戊辰戦争により松山藩預地が高知藩預地となる。
- 明治4年
- 明治5年2月9日(1872年3月17日) - 石鉄県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、行政区画としての越智郡が発足。郡役所が今治町に設置。
- 明治17年(1884年)11月 - 「越智野間郡役所」が今治町に設置され、野間郡とともに管轄。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足[注釈 6]。特記以外は全域が現・今治市。(1町28村)
- 今治町 ← 今治町[注釈 7]、今治村
- 日吉村 ← 日吉村、別宮村、蔵敷村
- 立花村 ← 鳥生村、郷村、辻堂村、八町村
- 富田村 ← 東村、喜田村、上徳村、松木村、高市村、町屋村[大部分]、登畑村[一部]、宮ケ崎村[一部]
- 桜井村 ← 孫兵衛作村、長沢村、桜井村、旦村、国分村、古国分村、登畑村[大部分]、宮ケ崎村[一部]
- 上朝倉村 ← 朝倉上村、朝倉上之村
- 下朝倉村 ← 朝倉下村、朝倉南村、朝倉北村、古谷村、山口村、町谷村[一部]
- 清水村 ← 中寺村、徳重村、四村、五十嵐村、新谷村
- 鴨部村 ← 畑寺村、高野村、中村、小鴨部村、別所村、八幡村
- 鈍川村 ← 木地村、鈍川村、鬼原村
- 竜岡村 ← 葛谷村、竜岡下村、竜岡上村
- 九和村 ← 長谷村、三反地村、大野村、法界寺村、摺木村、与和木村、鍋地村、桂村、御厩村
- 日高村 ← 高橋村、別名村、小泉村、片山村、馬越村
- 近見村 ← 石井村、大新田村、大浜村
- 亀山村 ← 椋名村、正味村、臥間村、南浦村、名村、津島村
- 津倉村 ← 本庄村、八幡村、幸新田村、仁江村
- 大山村 ← 福田村、泊村、田浦村、早川村、余所国村
- 宮窪村 ← 宮窪村、友浦村、木浦村[一部]
- 西伯方村 ← 叶浦村[大部分]、伊方村、北浦村[大部分]、有津村[一部]、木浦村[一部]
- 東伯方村 ← 有津村[大部分]、木浦村[大部分]、北浦村[一部]、叶浦村[一部]
- 弓削村 ← 佐島村、下弓削村、上弓削村、魚島村(現・上島町)
- 生名村、岩城村(それぞれ単独村制。現・上島町)
- 瀬戸崎村 ← 瀬戸村、甘崎村[大部分]
- 盛口村 ← 井口村、盛村、甘崎村[一部]
- 鏡村 ← 肥海村、大見村、明日村
- 宮浦村 ← 宮浦村、台村
- 岡山村 ← 野々江村、口惣村、浦戸村、宗方村
- 関前村 ← 大下村、岡村
- 明治28年(1895年)12月1日 - 弓削村の一部(魚島)が分立して魚島村が発足。(1町29村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、越智郡・野間郡の区域をもって、改めて越智郡が発足。波止浜村・波方村・乃万村・大井村・小西村・亀岡村・歌仙村・菊間村が本郡の所属となる。(1町37村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 亀山村の一部(椋名・津島)が分立して渦浦村が発足。(1町38村)
- 明治41年(1908年)1月1日(3町36村)
- 大正6年(1917年)10月31日 - 桜井村が町制施行して桜井町となる。(4町35村)
- 大正9年(1920年)2月11日 - 今治町・日吉村が合併して今治市が発足し、郡より離脱。(3町34村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)4月1日 - 菊間町・歌仙村が合併し、改めて菊間町が発足。(3町33村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和8年(1933年)2月11日 - 近見村が今治市に編入。(3町32村)
- 昭和15年(1940年)
- 昭和27年(1952年)8月1日 - 宮窪村が町制施行して宮窪町となる。(5町29村)
- 昭和28年(1953年)1月1日 - 弓削村が町制施行して弓削町となる。(6町28村)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和35年(1960年)
- 昭和37年(1962年)4月1日 - 玉川村が町制施行して玉川町となる。(9町6村)
- 昭和39年(1964年)4月1日 - 上浦村が町制施行して上浦町となる。(10町5村)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 魚島村・弓削町・生名村・岩城村が合併して上島町が発足。(10町2村)
- 平成17年(2005年)1月16日 - 朝倉村・玉川町・波方町・大西町・菊間町・吉海町・宮窪町・伯方町・上浦町・大三島町・関前村が今治市と合併し、改めて今治市が発足。(1町)
脚注
注釈
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 ------ | 行政区の変遷 - 1897年 (第1次) | 次代 越智郡(第2次) |
先代 越智郡(第1次)・野間郡 | 行政区の変遷 1897年 - (第2次・統合後) | 次代 (現存) |
固有名詞の分類
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