酢酸
酢酸とは
酢酸(さくさん、英: acetic acid)とは、酢(食酢)の主成分として知られる有機化合物である。化学式は C2H4O2(示性式 CH3COOH)で表わされる。無色透明の液体であり、強い酸味と刺激臭を持つ。食酢には酢酸が3~5パーセント程度含まれている。高純度の酢酸は低温で結晶するため「氷酢酸」と呼ばれる。酢酸とエタノールが脱水縮合した化合物を酢酸エチルという。化学式はC4H8O2(示性式 CH3COOCH2CH3)である。また、酢酸とナトリウムの化合物を酢酸ナトリウム(酢酸ソーダ)という。化学式は C2H3NaO2(示性式 CH3COONa)である。
酢酸の語源・由来
酢酸は古代文明から食酢として知られていた。化学物質としての酢酸は8世紀に発見されている。酢酸は英語ではacetic acidという。aceticは「酢の」「すっぱい」という意味の形容詞、acidは「酸」を意味する名詞である。日本には江戸時代に蘭学として伝わり、蘭学者の宇田川榕菴により「酢酸」という訳語が考案された。ちなみに宇田川は「金属」「酸素」「水素」「物質」をはじめ多くの科学用語を案出した人物である。酢酸の用途
酢酸の主な用途としては、酢酸ビニル等の化学物質を作製する原料としての用途が挙げられる。酢酸ビニルは合成樹脂の原料として、酢酸エステルは塗料の原料などとして用いられる。もちろん調味料(食酢)も酢酸の用途である。さく‐さん【酢酸/×醋酸】
酢酸
酢酸
酢酸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 11:52 UTC 版)
酢酸 | |
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酢酸(許容慣用名) | |
識別情報 | |
CAS登録番号 | 64-19-7 |
E番号 | E260 (防腐剤) |
KEGG | C00033 |
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特性 | |
化学式 | C2H4O2 |
モル質量 | 60.05 |
示性式 | CH3COOH |
外観 | 無色の液体 |
密度 | 1.049(液体) |
相対蒸気密度 | 2.1 |
融点 | 16.7 °C, 290 K, 62 °F |
沸点 | 118 °C, 391 K, 244 °F |
酸解離定数 pKa | 4.76 |
屈折率 (nD) | 1.3715 |
危険性 | |
NFPA 704 | |
出典 | |
ICSC | |
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。 |
酢酸(さくさん、醋酸、英: acetic acid)は、簡単なカルボン酸の一種である。IUPAC命名法では、酢酸は許容慣用名であり、系統名はエタン酸 (ethanoic acid) である。純粋なものは冬に凍結することから氷酢酸(ひょうさくさん)と呼ばれる。2分子の酢酸が脱水縮合すると別の化合物の無水酢酸となる。
食酢(す、ヴィネガー)に含まれる弱酸で、強い酸味と刺激臭を持つ。遊離酸・塩・エステルの形で植物界に広く分布する。酸敗したミルク・チーズのなかにも存在する。
試薬や工業品として重要であり、合成樹脂のアセチルセルロースや接着剤のポリ酢酸ビニルなどの製造に使われる。全世界での消費量は年間およそ6.5メガトンである。このうち1.5メガトンが再利用されており、残りは石油化学原料から製造される[1]。生物資源からの製造も研究されているが、大規模なものには至っていない。
歴史
酢の利用
酢の歴史は文明と同程度に古く、酢酸産生菌はいたるところに存在する。そして、ビールやワインなど酒を醸造する文明は、酒を大気にさらすと、自然に酢ができることを発見することになる[2]。紀元前、ギリシャの哲学者テオプラストスやローマのウィトルウィウス、プリニウスは酢が金属に作用して芸術に有用な顔料、たとえば鉛白(塩基性炭酸鉛)やビリジリス(酢酸銅(II) を含む銅塩の緑色の混合物)となることについて著述している[3][4]。また、酢はその時代にはローマでは治療の目的[2]、エジプトでは死体の保存[5]に用いられていたともされている。古代ローマ人は酸っぱくなったワインを鉛の壷で煮沸すると、サパあるいはデフルタムと呼ばれる非常に甘いシロップができることを見出している。サパやデフルタムの甘さは含まれる酢酸鉛(II) によるもので、その物質は鉛糖 (sugar of lead) とか土の糖 (sugar of saturn) と呼ばれ好まれたが、ローマ貴族の間で鉛中毒を引き起こした[6]。
発見と研究
8世紀にジャービル・イブン=ハイヤーン(ゲベル)は初めて酢の蒸留によって酢酸を得ている[7]。またルネサンス時代には、錬金術師たちは酢酸銅(II) などの金属酢酸塩を乾留して氷酢酸を製造した[8]。最初にそのような製法で酢酸を作り出したのはバシル・バレンティンとされている[2]。16世紀のドイツの化学者アンドレアス・リバヴィウスは、氷酢酸の製法と、得られた氷酢酸と酢との物性の比較について著述している[8]。そのように、酢の中には水が存在するため物性が酢酸と異なることから、氷酢酸と酢の中の酸は別の物質であると長く信じられていたが[9]、18世紀になるとフランス人化学者のピエール・エディにより両者が同一であることが示された[10][11]。
1845年にドイツ人化学者のヘルマン・コルベは無機物から有機物である酢酸を合成できることを示した[12]。その反応は、まず二硫化炭素から四塩化炭素への塩素化で始まり、次いでテトラクロロエチレンへの熱分解、そしてトリクロロ酢酸への水性塩素化、最後に電解還元による酢酸の生成、というものだった[13]。この結果はフリードリヒ・ウェーラーの尿素合成による生気論の否定を決定付けた[14]。一方ルイ・パスツールは1862年に酢酸菌を発見し、酢の醸造に利用されるようになったが、得られる濃度が低いため工業用の酢酸の製造には適していなかった[15]。
工業生産
木酢液を原料とする製法
1910年頃までは、氷酢酸は大部分が木材の乾留で得られる木酢液から作られていた[16]。イギリスでは1820年ごろから[17]、日本では明治時代に[15]、この方法による酢酸の製造が始められていた。木酢液を水酸化カルシウム(石灰乳)で処理して生成する酢酸カルシウムを硫酸で酸性化することにより、酢酸が分離される[16]。1917年頃のドイツは年間およそ1万トンの氷酢酸を生産していたが、その30%はインディゴの製造に充てられていた[16]。
石炭化学による製法
1910年代の半ばから、ドイツとカナダで、「炭化カルシウム→アセチレン→アセトアルデヒド→酢酸」という製法による酢酸の製造が始まった[18]。炭化カルシウムはコークス(石炭の乾留物)を酸化カルシウム(生石灰)とともに電気炉で加熱することにより得られるが、ドイツは石油に乏しいが石炭を産出すること、カナダは水力発電による豊富な電力を有することが有利な点であった[19]。日本でも水力発電の発達に伴い、1928年以降この製法で酢酸が作られるようになった[20][21]。1937年に日本窒素肥料(現:チッソ)も同法による酢酸の製造を開始したが、アセチレンの酸化に用いられる硫酸水銀(II) がのちに水俣病の原因となった[22]。
石油化学による製法
やがて石油化学工業が発展すると、酢酸の製造法はエチレンやアルカンを原料とするものに変わっていった[23]。さらに1960年代にドイツのBASFによってコバルト触媒、1970年にアメリカ合衆国のモンサントによってロジウム触媒を用いたメタノールのカルボニル化反応が開発・実用化され、それ以降はこれらが工業的に主要な氷酢酸の製造法となった[24]。
名称
日本語の「酢酸」は江戸時代後期に宇田川榕菴が著書舎密開宗で用いたのが最初である[25]。オランダ語 azijnzuur の訳語であり、これはさらにドイツ語 Essigsäure、英語 acetic acid の訳語であった。これらの名称はそのまま現代でも使われ、acetic acid や「酢酸」はIUPAC命名法における許容慣用名[26]かつ優先IUPAC名 (PIN)[27] およびその訳語である。IUPAC系統名は「エタン酸」ethanoic acid であり[28]、これは母体化合物「エタン」 ethane にカルボン酸官能基を表す接尾辞「酸」 -oic acid を付加したものである。
有機化学ではアセチル基 CH3C(=O)− の略号 Ac を用いて文章や化学式中で AcOH または HOAc と略記される。酢酸のエステルや塩は英語ではアセテート(アセタート) acetate と呼ばれる。たとえばエチルエステルの酢酸エチルは ethyl acetate、アンモニウム塩の酢酸アンモニウムは ammonium acetate である。
純粋な酢酸は、融点が約摂氏16度であることから、温度がそれを下回ると固体になり、特にその外見が氷に似ていることから「氷酢酸」(glacial acetic acid) とも呼ばれる[29]。水が凍るか凍らないか程度の気候であっても、室温で固体になることが珍しくない物質のひとつでもある。
また酢酸は、古くは単に vinegar (酢)、 酢の蒸留によって得られたことから acetous acid (酢の酸)、木材の乾留で得られることから pyroligneous acid (火木酸)、ほか spilit of verdigris (ビリジリスの精)や wood vinegar (木酢)とも呼ばれた[5]。
英語 acetic acid の語源は酢を意味するラテン語 acetum と「鋭い」を意味する acer に由来する[30][31]。ここから派生して「アセト」acet(o)- の語は酢酸から得られたり構造が類似する化合物などにも用いられる。たとえばアセトン、アセトニトリル、アセトイン、アセトフェノン、アセチル基がそうである[31]。また炭素原子の数が同じく2個であるビニル基(ビニルラジカル)も古くは acetic acid を語源としてアセチルラジカル acetyl radical と呼ばれており[31]、これに由来する名称を持つ化合物としてアセチレンやアセナフテンなどがある[31][32]。
性質
物理的性質
濃度 (重量%) | 比重 (25 °C/4 °C) |
---|---|
100 | 1.0553 |
90 | 1.0713 |
80 | 1.0748 |
70 | 1.0733 |
60 | 1.0685 |
50 | 1.0615 |
40 | 1.0523 |
純粋な酢酸は、直鎖状の飽和炭化水素鎖を持ったカルボン酸の中では比重が高く、1を超えている。常温・常圧において酢酸よりも炭素数の多いプロピオン酸(プロパン酸)などは概ね比重が1を下回っており、酢酸よりも比重が大きいのは酢酸よりも炭素数が少ない蟻酸である。また、常温常圧において酸味と刺激臭を持つ無色透明の液体である。常圧における融点は約16.7 ℃、沸点は約118 ℃である。なお、このうち融点は低分子の直鎖状の飽和炭化水素鎖を持ったカルボン酸としては高く、酢酸よりも炭素鎖の長いプロパン酸、酪酸(ブタン酸)、吉草酸(ペンタン酸)、カプロン酸(ヘキサン酸)、エナント酸(ヘプタン酸)の融点よりも高い。常圧において炭化水素鎖2つの酢酸とほぼ同じ融点を持つのは、炭化水素鎖8つのカプリル酸(オクタン酸)である。しかし、酢酸の場合は少量の水と混合すると融点が大きく低下し[2]、水の割合が約40 %の時に最低値-26.75 ℃となる[29]。酢酸と水との混合液を冷却した時、これよりも水が少ないと酢酸が、多いと氷が晶出する[29]。酢酸と水との混合液を加熱しても、水との共沸は起こらない[33]。また、水との混合により比重が増加し、酢酸の濃度が約80%のとき最も大きくなり[16]、43%のとき純粋な酢酸と同じになる[29]。蒸気を燃やすとき、炎は淡青色である[29]。
酢酸は水、アセトニトリル、エタノール、酢酸エチル、クロロホルム、ベンゼン、エーテル、石油エーテルと任意の割合で混和する[34][35]。オクタンなど長鎖炭化水素には溶けにくく、溶解度は鎖が長くなるほど低くなる[36]。二硫化炭素には不溶である[35]。比誘電率は約6であり、あまり高くはないが[37]、無機塩や糖といった極性化合物を溶かすことができる[38]。また単体硫黄 S8、ヨウ素 I2 など無極性の分子も酢酸に溶ける[38]。ほかにゼラチン、フィブリン、アルブミン、樟脳、ニトロセルロースも溶ける[2]。酢酸の純度を知る古い方法としてレモン油を加えるというものがあり、これは純粋な酢酸であれば重量で10%のレモン油を完全に溶かすことによる[2]。
酢酸を構成する炭素原子と酸素原子は平面上に位置し、結合角は C−C=O と C−C−OH が119°、O=C−OH が122°で、結合距離は C−C が 152 pm、C=O が125 pm、C−OH が131 pm である[39]。
二量体
酢酸は水素結合を介して2分子が結合した、環状の二量体を形成する[39]。気体状態では電子回折により[40]、固体状態ではX線結晶構造解析により[41]、それぞれ構造が確認されている。純粋な液体状態ではほとんど単量体としては存在しないが、二量体となっているか、もしくは直鎖状あるいは環状の多量体となっているとされる[42]。希薄な溶液の場合、四塩化炭素[43]やベンゼンなどの非プロトン性溶媒中では二量体を形成するが、水などプロトン性の溶媒中では単量体として存在する[44][45]。
この二量体を形成するという性質のため、酢酸(分子量60.05)の沸点は水素結合を作らない酢酸メチル(分子量74.08、沸点 57 °C[46])よりも高く、分子量が2倍程度のオクタン(分子量114.23、沸点 125 °C)に近い[47]。
酸性度
酢酸のカルボキシ基 この性質のため、酢酸は酸性を持つ。酢酸は弱酸であり、水溶液中でのpKaはおよそ4.76である[49]。すなわち、1.0 mol/L の水溶液のpHは2.4となり、全体の0.4%が解離していることになる[50]。酢酸は塩酸や硫酸などの無機酸よりは弱く、炭酸やフェノール、アルコールよりは強い酸である[48][49]。 なお、酢酸の2位の炭素に結合する水素が、フッ素や塩素や臭素やヨウ素に置換されると酸性度が上がることが知られている[51]。特にトリフルオロ酢酸やトリクロロ酢酸は強酸として知られる。 化学反応
酸としての反応
塩基である炭酸カリウムと混合すると、中和により酢酸カリウムが生成する。これを単離し酢酸に溶かして加熱すると脱水して二酢酸カリウムとなり、200 °C 以上でさらに反応して無水酢酸と酢酸カリウムに分離する[52]。
酢酸はカルボン酸として一般的な反応性を示す。たとえば硫酸を触媒としてアルコールと共に加熱すると酢酸エステルが生成する。これはフィッシャーエステル合成反応と呼ばれる方法である。可逆反応(平衡反応)であるため、エステル生成物を効率よく得るには出発物質を過剰に使用する必要があり、イソペンチルアルコールとの反応による酢酸イソペンチルの合成では、過剰量の酢酸が用いられる[55]。