Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

高保融とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高保融の意味・解説 

高保融

(Gao Baorong から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
貞懿王 高保融
荊南
第3代王
王朝 荊南
在位期間 乾祐元年10月28日 - 建隆元年8月27日
948年12月1日 - 960年9月20日
都城 江陵
姓・諱 高保融
徳長
諡号 貞懿王
生年 貞明6年(920年
没年 建隆元年8月27日
960年9月20日
文献王

高 保融(こう ほゆう)は十国荊南の第3代王。文献王高従誨の三男。

生涯

乾祐元年(948年)、高従誨が死去すると、南平王の爵位を継ぎ、後漢隠帝より荊南節度使同平章事侍中に封じられた。そして広順元年(951年)には後周太祖より渤海王に、顕徳元年(954年)には南平王に封じられた。

史書によれば高保融は凡庸であり、朝政の重大事は全て十弟の高保勗に委ねていた。趙匡胤を建国した建隆元年(960年)には、その国勢を恐れ1年に3度も朝貢の使者を派遣している。同年41歳で病没すると、太尉と貞懿王の諡号を贈られた。長男の高継沖と次男の高継充が幼少であったため、高保勗がその地位を継承した。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高保融」の関連用語

1
32% |||||

2
32% |||||

3
18% |||||

4
14% |||||


高保融のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高保融のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高保融 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS