JSPC
全日本耐久選手権シリーズのあとを受けて、1987年から92年まで開催された全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権。ポルシェ962Cを中心にプロトタイプのスポーツカーによるレースは多くのファンを集めた。93年からは全日本GT選手権に移行した。
参照 JEC、JGTCJSPC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/01/17 08:43 UTC 版)
JSPC
- 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(Japan Sports Prototype-car Championship)
- Japan Snooker Players' Club
- 日本ペインクリニック学会(Japan Society of Pain Clinicians)
- 日本プロセス化学会(Japan Society for Process Chemistry)
- JSPコンパイラ(JSP Compiler)
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JSPC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:11 UTC 版)
JSPCでのR89Cのデビュー戦は第3戦富士500マイルで23号車が予選3位、24号車が予選4位につけた。決勝では2台のペースは速く後続を引き離して1-2体制を築いたが、32周目24号車がエンジントラブルで後退。かわって23号車がトップに立ったが37周目、燃料ポンプのトラブルでリタイアした。一度は後退した24号車はその後追い上げ2位にまで順位を挽回したが、右リヤタイヤをバーストさせリタイアした。 次の第4戦鈴鹿1000kmは決勝は台風により延期され予選のみ行われたが、このレースからJSPC仕様車でもリヤタイヤが19インチ化された。 第5戦富士1000kmは雨の中行われた。予選6位からスタートした23号車はオープニングラップの1コーナーで水に乗りコースアウトしリタイア。予選11位からスタートした24号車は8位に終わった。 延期になっていた第4戦鈴鹿1000kmは12月に行われた。23号車はテストでマシンをクラッシュさせて不参加。予選3位の24号車は予選2位のトヨタ36号車が最後尾スタートとなったためフロントローからスタートした。上位グループでレースを進めていたがスピンアウトし大きく後退、トップから37周遅れの10位に終わった。 当時ポルシェ・962CをドライブしてJSPCに参戦していた岡田秀樹は、当時AUTOSPORT誌に連載していたコラムで「あのマシンはとんでもなく速い」と評している。 このR89Cをベースに、ローラは翌年型R90CKを開発。日本の日産本社はR89CのモノコックをベースにR90CPを開発した。
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