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横浜FC

12月8日、NACK5スタジアム大宮で行われた、高円宮杯 JFA U-18 サッカープレミアリーグEAST最終節。

 

 

90+5分のラストワンプレーで、タッチラインから思い切りスローインを投げ入れたのは、キャプテン・小漉康太だった。

 

 

1-0で逃げ切り掴んだプレミアリーグ昇格後初のタイトル。

 

 

タイムアップの笛が鳴ると、小漉はピッチに膝をつき、ぐっと喜びを噛み締めた。

 

 

「先発メンバーのうち、3年生は自分も含めて4人だけ。それでも、全学年力を合わせて団結できたことが、この結果につながったと思います」

 

 

精度の高いプレースキックと、サイドバックながら中盤で攻撃の組み立てにも参加できる技術、あふれるキャプテンシーでチームを優勝に導いた逸材に焦点を当てる。

 

1つのキックで未来を切り開く

横浜FCユース

小漉 康太

取材・文=北健一郎・青木ひかる

父から教わったキックが最大の武器

「日本でも世界でも戦える、“怖い選手”になりたい」

 

 

神奈川県藤沢市育ちの小漉がサッカーを始めたきっかけは、関西の大学サッカーの強豪・阪南大学でプレーしていた父の影響だという。

 

 

最大の武器である正確なキックは、父にコツを教わり、家の目の前にある小学校のグラウンドでひたすらボールを蹴り続けた賜物だ。

 

 

「当時はボランチでプレーしていたのですが、ロナウジーニョが大好きで、味方へのスルーパスを出したり自分で点を決めたり、攻撃的な選手でした。自分のパスやシュートがゴールにつながる瞬間が快感でしたね」

 

 

4年生までは地元の少年団でプレーしていたが、“プロサッカー選手になる”という夢を叶えるため、クラブチームのSCH.FCに加入した。

 

 

「SCHに入って右サイドバックにポジションが変わったのですが、自分は特別足が速いわけではないので、ポジショニングや先回りして予測する動きを意識するようになりました。あとはSCHがポゼッション志向のチームだったので、ボールを動かしながらどう攻めるかの思考力も高まりました。ボランチでプレーした経験を活かしながら、サイドだとより前に上がってゴールに近づけるので、今もすごく楽しいです」

 

 

小学校卒業までの2年間で“サッカーIQ”を高めた小漉は、サイドバックとして自身の強みを確立していった。

 

驚きだった横浜FCからの“オファー”

プロ選手になるために、小漉は中学年代をJクラブの育成組織でプレーしようと決断する。

 

 

いくつかセレクションを受けようと準備をしていたなか、横浜FCから声をかけられた。

 

 

「家から一番近い湘南ベルマーレのユースを受けようとしていて、正直横浜FCは視野に入れていなかったので、すごく驚きました。でも、調べてみたらSCHの先輩も何人か横浜FCに行っていて、相性がいいのかな、と。両親も、『カズさん(三浦知良)をはじめ経験豊富な選手たちから学べるものがあるんじゃないか』と言ってくれて、横浜FCのジュニアユースに入ることを決めました」

 

 

ジュニアユースでは、中学1年生で和田拓三(横浜FCユース監督)、2年生で野崎陽介(横浜FCU-15コーチ)、3年生で小野信義(U-16日本代表監督)と、3年間で3人の監督の下でプレーした。

 

 

「まず、和田さんは、選手としての振る舞いや規律を守ることなど、ピッチ内外での人間性の部分を厳しく指導してくれました。野崎さんはまだ現役を引退したばかりで、長年プロの世界で戦ってきたテクニックの部分をわかりやすく落とし込んでくれました。そして信義さんは、戦術理解や“賢さ”について、すごく丁寧に教えてくれました。毎年監督は変わりましたけど、それぞれ違う力を身につけられたし、充実していましたね」

 

 

とりわけ、小野から受けた指導を、「サイドバックとして大きく成長できた期間だった」と振り返る。

 

 

「信義さんはマンチェスター・シティのサッカーが好きなのですが、攻撃参加のバリエーションを増やすために一緒にシティの映像をみながら、真似できることを探して練習するということをよくやっていました。頭を使うプレーについては信義さんにも評価してもらえて、すごく自信がつきました」

 

足りないのは「守備での対人能力」

高校生となりユースに昇格した2022年の9月には、高円宮杯プレミアリーグのデビュー戦でいきなり先制ゴールを決め、1年生ながら爪痕を残した。

 

 

「JFAアカデミー福島戦で初めて先発メンバーとして試合に出て……。あまり綺麗なゴールではなかったですが、初ゴールを決めることができました。すごく緊張していたし、フォワードの選手でもないので、まさか得点できるとは思っていませんでした。周りもすごくびっくりしていましたね(笑)。高校3年間でも、トップ3くらいに入るくらい嬉しい試合でした」

 

 

ただ、常に順風満帆だったわけではない。

 

 

特に高校2年生の2023シーズンはベンチやメンバー外の試合も続き、もどかしい日々を過ごした。

 

 

「2年生の時は、ひとつ上の飯塚大地くんとポジション争いをしていたのですが、僕にはない1対1で負けない強さをもっていました。自分は攻撃で良さを出せる選手だと思っているので、攻守のバランスをとるのは正直難しいです。でも、そこができるようにならないと、上の舞台にはいけない。飯塚選手のプレーを間近で見ることや、ファン・ダイク(リバプールFC/イングランド)の守り方を参考にしながら、トレーニング中です」

 

 

それでも実直に自らの課題と向き合い、改善していくことで監督の信頼をつかむと、高校3年生からチームキャプテンも任され、ピッチ内外でその存在感を発揮した。

 

 

「自分の特徴を試合で出すことはもちろん、キャプテンとしてはみんなの意見を聞くことを意識して、学年問わずいろんな選手とコミュニケーションを取ることを心がけました。リーグ終盤はケガ人も増えて苦しい状況が続きましたけど、チームがバラバラになることなく戦い切ることができました」

 

 

惜しくもプレミアリーグWEST王者・大津高校とのファイナルには敗れたものの、横浜FCユースの強さを示す結果で、高校生最後の1年間を締め括った。

 

大卒経由生え抜き選手となるために

ユースチームでの活動を終え、小漉はこの2025年4月より桐蔭横浜大学に進学する。

 

 

「3年生になって試合に出られるようにはなりましたが、シーズン中に、同期の高橋友矢がポルトガルのUDオリヴェイレンセに移籍したり、自分よりも年下の選手が2種登録選手としてトップチームに参加したりと、個人的にはすごく悔しい思いもしました。でも、それが今の自分の実力。もっともっとレベルアップするしかないですね」

 

 

高卒でのプロ入りこそ叶わなかったが、4年後にトップチームに戻ることが決まれば、小倉陽太に続き、クラブ史上2人目の大卒生え抜き選手となる。

 

 

「自分はパスで相手を崩すサッカーが好きなので、桐蔭横浜大学に進むことを決めました。練習参加もしていますが、鳥かごでも全然ボールが取れなくて、すでに差を感じています。今目指している選手像としてはアレクサンダー・アーノルド(リヴァプールFC/イングランド)のように、ひとつのキックでゴールを生み出せる選手です。大学生活でフィジカルも鍛えて、弱点である守備も強化しながら、一番の強みであるキック精度も高めていきたいです」

 

 

横浜FCのユニフォームをまとい即戦力として活躍するため、そしてその先には欧州で戦う選手になるために、小漉はさらなる進化を誓う。

 

PROFILE

小漉康太(こすきこうた)/DF

2006年8月5日生まれ。177cm、65kg。地元の少年団でサッカーを始めボランチとしてプレー。10歳で加入したSCH.FCで、サイドバックに転向した。小学校を卒業後、横浜FCにスカウトされ横浜FCアカデミーの一員に。ユース昇格後、高校3年生ではチームキャプテンを務め、クラブ史上初の高円宮杯 JFA U-18 サッカープレミアリーグEAST優勝を果たした。幼少期から培ったキック精度と、積極的な攻撃参加で得点機を演出する。