電気・ガスなし築73年「廃団地」が満室の不思議
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北九州市門司区で3年間空き家になっていた築73年の団地が売却された。90万円で入札し、手に入れた新しい所有者は月額1万円で入居者を募集。水、電気、ガス、Wi-Fiも使えないというのに、11月半ばの時点で24室が満室になっている。ライフライン完備を待たずにすでに引っ越してきた人もいる。人気の背景を聞いた。
歴史的に希少性ある築73年の“廃団地”
北九州市門司区といえば明治から昭和初期にかけて建築された広壮な建物群が門司港レトロとして知られる観光地。明治、大正期に貿易港として繁栄したことから往時をしのばせる建物が残されているのである。
その門司港エリアから歩いて10数分。かつては色っぽい街だった一画からほんの少し坂を上ったところに福岡県住宅供給公社が1950年に公社初年度の事業として計画、8月に土地を取得し、1951年11月に竣工した旧畑田団地がある。
約3100㎡の敷地にはRC造、4階建て、全24戸からなるA棟とその背後にあるコンクリートブロック造2階建て、全10戸のB棟の2棟が建っている。
A棟は49A型、つまり1949年に東京で設計されたタイプという意味で、コンパクトなキッチンに6畳、8畳の和室2室という今どきには少なくなった間取り。住宅の歴史でいえば、この後、51年に設計された51型が日本にDK、寝食分離という概念を導入したとされており、旧畑田団地はその前夜の建物である。
同時期には門司だけでなく小倉、博多、久留米など福岡県内の6都市に9棟の49A型が建てられたそうだが、他都市の同時期の団地はすでになく、現存しているのは門司だけ。歴史的に希少性のある建物なのだ。
あまり知られていないと思うが、公的住宅は使用期限をあらかじめ決めて供用を開始している物件が多く、この団地の場合は70年。期限に向けて公社では築50年を過ぎたあたりから新たな募集を減らしてきており、3年前に期限が切れると同時に最後の入居者が退去、団地は無人になった。
団地の入札に参加したのはたった1人
しばらくはそのままだったが、放置し続けるわけにもいかなかったのか、2024年2月に1回目の入札が行われた。宅建事業者に売却ということだったが、初回は手を上げる事業者はいなかった。
売却する側としては建物を解体し、更地にしてからの活用を想定していたのかもしれないが、団地の敷地まではそれほどの坂ではないものの、その背後は傾斜地。B棟の背後には崖があり、以遠は急な石の階段が続く。崖の上の神社は崩落しており、かつてあった参道は立ち入り禁止とされている。
そうした崖を背負った土地で建物を解体・新築しても人口減少が著しい北九州市で収支が合う可能性は非常に低い。といっても現状、廃墟に近い状態になった団地をそのまま使い続けるという判断は普通の不動産会社、不動産オーナーにはなかなかできることではない。
だが、世の中にはそういうことができる”変態”(無茶苦茶ほめている)が確実にいる。同年6月に行われた2回目の入札にただ1人参加し、この団地を残そうと購入した吉浦隆紀さんはそうした1人だ。
吉浦さんは福岡市城南区樋井川にある自社ビルを相続し、その再生を通じて空き家の活用に目覚めた。樋井川は最寄り駅から歩くと40分という公共交通利用に関しては超絶不便なエリア。そこに継承したのは現時点で築50年前後という古い賃貸マンション2棟である。
建物の古さ以上に問題だったのは、空室率が20%超という状態に加え、入居者のうちの3分の2ほどが滞納していたこと。その打開策として入居者にDIYしてもらうというやり方を取り入れた。
最初は入居者層を変えようと3部屋をリノベーション、もう1室、単にスケルトンにしただけの部屋を用意して内見会をした。リノベすれば決まるだろうと踏んだわけだが、何も手を入れていない部屋になぜか人気が集中。内見会後問い合わせがあってすぐに決まった。
一方、リノベ済みの部屋が決まったのは半年後。それほど明らかに差が出るならスケルトンの状態で貸してみようと決意。DIY資金として家賃の3年分を支給して貸すという方式を取ることにした。
家賃3年分を支給といっても電気関係、給排水管の改修、下地の床上げなどを行うとその大半が飛んでいってしまうため、最終的にはDIYで部屋を作っていくことになるが、これが人気を呼んだ。吉浦さんが自社ビルをDIY可にしたのは今よりももっとDIYがマイナーだった時代。吉浦ビルは評判を呼び、2016年以降は満室が続いている。
やり方次第では不利な物件も魅力的になる
この成功から吉浦さんはやり方次第では遠い、古いなど不利な立地でも建物、借り方、使い方に魅力があれば人は集まると確信した。だとすれば、人口減少が著しい大牟田市や北九州市をこのやり方で変えたいと考え、2年半ほど前から両市を中心に空き家を購入し、再生に取り組んでいる。
当然、旧畑田団地改め「門司港1950団地」も入居者が自分でDIYすることが基本。家賃は、最初3年間は月額1万円として2024年8月からフェイスブックなどSNSを利用して入居者を募集し始めた。
「家賃が1万円なので渋沢プロジェクトと呼んでいます。近代日本が立ち上がる時期に数多くの会社を生んだ渋沢栄一にちなみ、ここから新たに起業、創業する人たちが出てくれたら面白いだろうと考えています」と吉浦さん。
ただし、建物の躯体には問題はなさそうなものの、住戸内は3年間放置された状態。電気の点いていない、古いままの部屋は見ようによってはちょっと怖くもあり、これを全部自分でやるのかと思うとひるんでしまう人もいるだろう。
電気、水、ガスより先にWi-Fiは使えるように
それにそもそも、2024年11月半ば時点ではまだ電気、水、ガス、Wi-Fiが使える状態になっていなかった。
電気は一度1階に引き込み、そこから各戸に分配されていたようだが、団地が廃止された時点でおおもとから切断されており、再度使うためには引込から復活してもらう必要がある。水道は廃止以前に行った工事の届出が出ていなかったため、現状が把握できないとして建物全体の配管をやり直す必要があるかもしれないと言われている。
もともと風呂なしだった物件を、バルコニーを潰して浴室に改修しているため、浴室内に給湯器が置かれているのだが、現在はそのやり方はできない。換気や出火の危険などの観点から給湯器は室外に置かなくてはいけないそうで、となるとどこに置けばいいのか。
工務店に丸投げすればもっと効率的に進められるのかもしれないが、予算がないこともあり、現在は吉浦さんが1つずつ交渉に当たっている。この様子だと最初に使えるようになるのは新設することになるWi-Fiかもしれない。
そんな状況でありながら、入居者は順調に集まっており、11月半ばにはA棟の24戸は全部埋まった。緑に覆われているB棟は最初、手を付けないつもりと言っていたが、そこの借りたい人が出てきており、埋まりつつある。
人気の理由の1つは家賃の安さだ。いくら空き家が増えていると言われる今でも家賃1万円で40㎡ほどのなんでも好きにしていい空間が手に入ることはほぼない。一方、好きに使える空間があったらやってみたいことがある人はたくさんいる。
その意味では家賃や不動産価格の下落はある意味チャンスでもある。一般的には価格下落は悪いことのように捉えられているが、それにより多くの人にチャンスがめぐってくると考えると、そこから浮上していく、という地域や経済の立て直しもあるのではないか。
建物、立地も見逃せないポイント。無骨なようで愛嬌のある団地を学生から30代、40代と幅広い人たちが「かわいい」と評しており、古いモノを愛でる層が拡大していることが感じられる。
市街地からほんの少し坂を上がっただけなのに、街中とは異なる雰囲気のある、一画だけが別世界という立地も独特。屋上からは観光エリアのタワマンなどが望め、すぐそこは市街地なのだが、近いのに遠い感覚があるのは不思議だ。
私設図書館からパン屋、秘宝館まで入居
そんな面白さが評価され、満室になったわけだが、その人たちがやりたいことも実にばらばら。
12月頭の最新情報では金継ぎやモノ作りの教室、不動産会社のモデルルーム、木造建築を手掛けてきた建築家が趣味で改装するための部屋、私設図書室、パン屋、カフェ、キッチンスタジオ、美容院、音楽室、レトロ家具ショップに魔女の館、秘宝館(!)などとなっており、どれもそれぞれに個性的。居住する予定の人もいる。
懸案のライフラインはその後、11月末に電気は各部屋のブレーカー設置までたどり着いたが、住戸内の配線はまだつながっていない。そのため、共用廊下に設置されたコンセントを利用、延長ケーブルを部屋に引き込んで使っているとか。
その他のライフラインがいつ開通するか、不安要素はあるものの、入居者たちはさほど気にしていないようで、それぞれにDIYにいそしんでいる。早ければ来年早々くらいからいくつかの部屋はオープンする予定で、“廃団地”がどう変わるか、今から楽しみである。