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石川県能登半島北部を襲った記録的大雨から21日で2か月となる。当時、輪島市宅田町の仮設住宅では水没の危機が迫るなか、輪島署員9人が首まで水につかりながら住民を背負うなどし、消防と協力して40人ほどを避難させた。緊迫の状況を振り返りながら、署員らは改めて気を引き締める。
(金沢支局 石川泰平)
9月21日朝、輪島署には「道が冠水した」「車が流された」と通報が相次ぎ、午前10時頃に巡回中の署員から「仮設住宅が浸水して危ない」と連絡が入った。
能登半島地震の被災者向けの仮設住宅「宅田町第2団地」では142戸に300人以上が暮らしていた。出動できる署員は限られ、当直明けだった生活安全刑事課長の
神前さんの頭をよぎったのは、山形県警の警察官2人が殉職した7月の大雨災害。雨がっぱ、長靴、ヘルメットに加えてライフジャケットを持ち出すと、部下には転んで流されないように歩幅を小さくするなど安全対策の徹底を命じた。
現場に近づくにつれ、足首が浸る程度だった水位は膝、胸と高くなった。手すりにつかまって「助けて」と叫ぶ人や、腰まで水につかって動けない人もいた。かろうじて顔だけが水面から出る状態で前進し、住民を安全な場所へ誘導した。
高齢者ら歩けない人を背負い300メートル先の病院を何度も往復。救助には途中から消防も加わった。県内で15人が亡くなったものの、この仮設住宅で犠牲者はなく、「あんたらのおかげで死なずに済んだ」と感謝する住民もいた。市防災対策課の黒田浩二課長はねぎらいとともに「人命救助、治安維持に引き続き連携していただければ」と語る。
ただ、ライフジャケットの装着に時間を要したり、水没した段差に気づかず深みにはまりそうになったりした。長靴では動きにくいため、水中でも安全に歩ける靴が必要だった。泥水を飲んだ署員は今もせきが続く。訓練や準備の重要性を痛感し、正しい行動ができたか自問は尽きないが、神前さんは「自身を守ることを前提に、恐怖から逃げず立ち向かいたい」と誓う。
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