アナウンサー赤平大「発達障害と子育てを考える」
医療・健康・介護のコラム
発達障害の娘のこだわりで「毎朝、素うどん」は過保護か? 可能な限り傷つけず、安全安心に育てたい親心
前回のコラム では、発達障害をテーマにした映画「BISHU~世界でいちばん優しい服~」を素材に、発達障害の社会課題を考えるうえで、気になった三つのポイントを挙げました。
映画のメインキャストは、織物工場を営む父(吉田栄作)、ファッションデザイナーだった長女(岡崎紗絵)、主人公で発達障害の高校生の次女・史織(服部樹咲)の家族。発達障害の史織が、地域のファッションショーに出品する決断をしてから、それぞれが発達障害にどう向き合っていくのかが描かれています。
三つのポイントは以下の通りです。
① 発達障害の史織が特性のある演技を細部にわたって表現していたが、どんな意味づけをしていたのか?
② 高校生の史織の朝食である「素うどん」を毎朝作るなど、父親は「過保護」なのか?
③ 史織の親友(長澤樹)と、史織の叔母(清水美砂)が、現実社会のダイバーシティー(多様性)に望まれる存在ではないのか?
今回は二つ目のポイントについて、発達障害動画メディア 「インクルボックス」 で、この映画を監督した西川達郎さんとディスカッションした内容をもとに書いていきます。
父親の発達障害支援行動には賛否?
発達障害の子育てで、賛否が分かれる部分かもしれない親の「過保護」。
映画で象徴的に描かれていたのは、史織の朝食が「毎朝、素うどん」であり、それを父親が作っていた部分です。
ここから見えるのは「いつも同じ行動でありたい」というASD(自閉スペクトラム症)のこだわり特性。そのことに対し、作品内で重要なバイプレーヤーである姉が「そんなの本人に作らせればよい」「過保護だ」と厳しく指摘します。
詳細は作品をご覧いただきたいので省略しますが、作品全体を通して姉のセリフが、発達障害の知見が少ない視聴者のナビゲート的役割を果たしていると感じます。
それ以外にも、作品には父親の発達障害支援行動が散りばめられていて、その中の一つに「史織が出かけるときに唱和する三つの約束」があります。これは発達障害の視点を持っている方にはピンとくる一コマです。
自己肯定感の低下による二次障害を防ぎたい
実際に私は息子が小学生の頃、毎朝「算数の宿題を出す、運動着を持ち帰る、午後2時30分に学校を出る」のような「今日の三つの約束」をしていました。この「三つの約束」の理由は、どうしても忘れっぽい注意欠陥・多動性障害(ADHD)の息子に「多すぎる、やってほしいこと」を伝えると、高い確率で成果が得られず、その結果「なんで約束したのにできないんだ!」と叱ってしまうケースがあるためです。これでは、息子の自己肯定感がどんどん低下します。
そこでやってほしいことを三つに絞り、成功確率を高め、成功したら「良かった! これで今夜、運動着の洗濯ができる。助かったよ」のように感謝を伝え、息子の自己有用感につながればと思っていました。これらは、私が息子の発達障害支援の最重要課題に掲げている、二次障害予防のためです。
また、作品には史織がクラスメートからいじめられるシーンが何度かあります。それを父親がたまたま目撃するシーンもあります。これは私の想像ですが、父親はこれまでに史織がいじめられる状況を何度も目撃しているはずです。だからバカにされそうな無理なチャレンジはさせたくないし、安心安全にゆっくり育て、可能な限り傷つかないように史織をサポートしているんだと思います。
しかし、「BISHU」を見た発達障害の知見が少ない人がそこまで読み解けるかというと、どうしても難しい。発達障害を知っていて、当事者の保護者であったとしても、シンプルに「この父親は過保護」と解釈する方もいると思います。
ただ、120分という映画の中で、エンタメ要素も保持しながら表現を両立させることは不可能であり、それでも可能な限りにじませた西川監督の発達障害理解の深さが素晴らしいと、私は言いたいと思います。
西川監督は、これらの父親の行動について発達障害の当事者家族へ丁寧な取材を重ねた上で、「裏返って見えるかもしれないが、子どもの幸せを願っての行動」と話しています。
ちなみに、作品内で吉田栄作さんが叫ぶシーンがあるのですが、この演技に私は共感し、後日、思い出して涙を流しました。エンタメ業界に生きる私は映画好きな人間でもあり、映像を筆で説明し切ることはできないと思っていますので、ぜひ「吉田栄作さんの叫び」を作品でご覧いただければと思います。
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