2024年10月30日-11月5日
・斎藤美奈子『ニッポン沈没 世の中ラボ2』
・斎藤美奈子『文壇アイドル論』
・斎藤美奈子『忖度しません 世の中ラボ3』
・山田詠美『風味絶佳』
・アーウィン・ショー(小笠原豊樹訳)『サマードレスの女たち』
以下コメント・ネタバレあり
・斎藤美奈子『ニッポン沈没 世の中ラボ2』
『月夜にランタン』の続きで、2010年~2015年までの随筆集(読書本)です。2011年以降は完全に震災話が中心でしたね。震災というか、原発かな。震災や原発を巡る論の中には共感できるものもそれはちょっと違くない?と思うものもありました。他も比較的固めの話題が多く、ヘイトスピーチや五輪招致、政権交代(この時代は民主から再び自民へ)、大阪維新の会やブラック企業などなど。徐々に2020年代に近づいてきました。
・斎藤美奈子『文壇アイドル論』
関川夏央『現代短歌 そのこころみ』で引用されていたので原典に当たりたくて購入。中古でしか売ってなかったー。。主に80年代の文壇に名をとどろかせた人々が取り上げられています。元々引用されていたのは(短歌なので当然ですが)俵万智の項目だったのですが、吉本ばななと田中康夫の評論が面白かったな。吉本ばなな文体、全く違和感なく読んでいたのですが、それは私がいわゆる少女小説を通ってきたからだったということが分かって衝撃でした。時々二次小説書くんですが、自分の文章の癖って久美沙織文体に影響を受けているとずっと思ってきたのですけど、もしかしたら本当に影響を受けていたのはコバルト文体だったのかもしれん。いや久美沙織も少女小説なのか。
吉本ばななの「斬新な文体」とは、たどたどしい表現や、文法的におかしい文章が平気で出てくることです。『キッチン』から、部分的に抽出してみます。
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
台所があり、植物がいて、同じ屋根の下には人がいて、(以下略)
私より先に眠れたことが幸せそうな寝顔だった。
最初のは「キッチン」の書き出しです。従来の文章作法からいえば、ここは「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だ」と断定するか、あるいは「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと私は思う」としなければおかしい。次のも「植物がいて」は従来の用法からいえば変ですし、三つ目の「眠れたことが」を受ける述語がない。
そうですか。。全然違和感なく読んでた…。怖いですね。吉本ばななが中高年男性に「新しいもの」として受け止められたのは、彼らが少女小説の文体を知らなかったからだと書かれていてそうなんかーってなりました。氷室冴子、銀色夏生、秋月こお、折原みと、新井素子、中村うさぎなどの名前がばんばん出てきて、こういうブームが“吉本ばなな前夜”だったことをはじめて知ってびっくりしました。後から読むとどれが先だったとか全然意識しないもんな。
田中康夫に関しては、今まで“時代モノ”だと思っていた『なんとなく、クリスタル』めちゃくちゃ面白そうじゃん!と思いました。本文がボケで注釈がツッコミスタイルなの?確かにここに引用されている注釈はツッコミじみてます。その後に紹介される「ヒルトンホテル」のエピソードも面白かった。そういう裏ネタ読まないとダメなのかぁ。。『趣味は読書。』で教養と固有名詞の関係について書いていましたが、哲学者の名前を列挙するのも女子大生に人気のブランド名を列挙するのもアニメや漫画のキャラ名を列挙するのもそのコミュニティでの「教養」であって、『なんとなく、クリスタル』以降の田中康夫の小説は若者が使いこなすモノにまとわりつく背景のイメージなどが分かっていないと読めないハイコンテクストなものなのだと。
まあ多くが引用からなっているので恣意的な論である可能性は否めませんが、面白い本でした。
これも関川夏央『現代短歌 そのこころみ』で引用されていた本で、中古で買いました。1991年頃の文芸批評本らしく…。今読むとたいがい意味が分かりません。ペダンティックだからか?というか脳内で自己完結している内容をそのまま垂れ流されている感があり、微小なAという事象とBという事象から壮大なCという結論に至る…という内容が多く、ん~~??ってなった。斎藤美奈子は「高橋源一郎は『資本論』と『なんとなく、クリスタル』の類似性を指摘した」と書いており、AとBからCに至るのは必ずしも間違ってはいないし興味深い点があるのは認めますが、文芸評論ってこういうものですか?
以前から「短歌は自己肯定の文学」とか言われていることにいまいち納得いってないのもその辺が理由なんですよね。短歌A, B, C, D…と数多く読んで、全て自己肯定の要素があるから短歌は自己肯定の文学!みたいな結論を出しているのではという感があり。抽出法の合理性や解釈の余地は?文学評論の手法ってそういうことなの?ちなみにこの本の中では「ものを書くということは自分の正義を主張するということだ」などと書かれていて、ではあらゆる文学が自己肯定の文学なのではないか?
短歌のことは置いておいても、もちろん面白いと思ったコラムもあったけど、これって評論というよりもお気持ちじゃないのか、これは当時だからこんな感じなのか、今でもそうなのか、今だったらブログに書いとけくらいの内容じゃないか、などと色々な感情が頭を渦巻きましたがまあいいや。とりあえずすごくたくさん本を読んでいて、ファッションや映画やサブカル等にも詳しいことは分かった。
・斎藤美奈子『忖度しません 世の中ラボ3』
今のところ『世の中ラボ』シリーズはこれで最後っぽい。2015年~2020年(コロナ禍入ってすぐくらい)までの話です。政治話はやはり多いですが、経済ネタはちょっと減った気が。あんまり変わってないから?その代わりに地方ネタが多く、沖縄、北海道、富山などが取り上げられていました。北海道本ちょっと気になります。他には老人文学やフェミニズムなどかな。コロナ禍を経て現状をどう感じているのかまた知りたいところです。
・山田詠美『風味絶佳』
読み心地は『色彩の息子』と似ている気がする。この短編集に関しては、登場人物がハッピーじゃない方が面白いと思いました。同棲している年上女に甘やかされながら浮気相手の若い女を殴ったり妊娠させたりした挙句捨てる「間食」や、互いにめためたになったあげく妊娠し、2人の間に胎児という異物が挟まったとたん妻が神経症になる「アトリエ」が面白かったです。「夕餉」も悪くはないのですが、これはまだ転落前夜という感じですね。お金より愛を選んだ風で終わってますが、今は元夫の金で贅沢してることを本人も理解してるわけだし、その金が尽きた後に不貞で訴えられて貧乏になったらフランスだのイタリアだの沖縄だのの高級な塩も買えなくなるわけですから、金より愛とかミラノ風カツレツとか言ってられなくなるのは目に見えてます。でもこの話についていえば、そういう漠然とした把握よりもディティールを読む話なのだと思いました。「海の庭」「風味絶佳」「春眠」は不幸さがそれほどなくライトだったし、「アトリエ」「間食」「夕餉」が普遍的な内容だったのに対し「海の庭」「風味絶佳」「春眠」は会話文が多くて違和感が強かったです。いつの時代の話だよ…80年代かよ…と思った。この本は2005年らしいんですけどね。「海の庭」の女子高生とサーファーの会話、
「誰だよ、あのおやじ。さっき、二人でべたべたしてたけど、最低。マジで日向子に似合わねえよ、だせー」
「見てたんなら、そっちこそ声かけりゃいいじゃん」
「おれ、おやじ、真面目に、きれーだもん」
「あんたの方が、よほど、おやじだよ、ターコ」
「あ?」
って…。平成半ばの話し方じゃないっしょ…。「風味絶佳」は“嫌よ嫌よも好きのうち”するために恋人のキャラが珍妙なことになってるし(どんな雰囲気であってもキスしようとして「いや」って言われたら普通やめるだろ。それでも迫ってほしいってアホかよ)、ばあさんに若い男の恋人がいるの恭子様かよって感じですし。
そういえば「間食」「アトリエ」はどっちも「妊娠小説」ですね。どういうカテゴリに入るんでしょうね。「間食」は妊娠させた女をあっさり捨ててその後彼女は登場しないし、「アトリエ」は夫婦間の話だし“望まれない妊娠”に該当するかは微妙なラインですが妻は病みます。
・アーウィン・ショー(小笠原豊樹訳)『サマードレスの女たち』
暗めの短編集でした。「二番抵当権」「躓きなき、自由な良心」「埃まみれの辻説法」「傷ついて彷徨う」「機銃手の後送」が印象に残っています。もともと丸谷才一が『夏服を着た女たち』収録の「ストロベリー・アイスクリーム・ソーダ」の感想を書いていたので読みたくなって買ったのですが、この『サマードレスの女たち』にはその短篇は収録されていませんでした。新訳版というわけではなかったのか。
アーウィン・ショーは「都会的作風」と言われているみたいです。この『サマードレスの女たち』に収録されている作品は労働者階級の男たちが殴り合ったり戦争の話だったりでテーマは必ずしもスタイリッシュではないのですが、それでも繊細な暗さが感じられる内容で重苦しい気分になります。表題の「サマードレスの女たち」も面白かったです。通りすがる女を眺めずにはいられない夫と、その目つきに気が気でない妻。「だって、私を初めて見たときの目つきと同じなんですもの」。そして口論になり、問い詰められた夫は打ち明けます。「そういう女たちをぼくは眺めずにはいられない。ものにしたいと思わずにはいられない」。妻は懇願します。「その子はきれいだとか、あの子はかわいいだとか、おっしゃるのをやめて。思っても構わないから、心のなかにしまっておいて」。そして妻が電話をかけにいくラストシーン。
フランシスは立ちあがり、部屋を横切って、電話の方へ歩き出した。その歩きぶりを見守りながら、マイクルは思った。なんてかわいい女だろう、なんてすてきな脚だろう。
ラスト一行が、どんでん返しでもないけど意外な終わり方で、これをどう受け止めていいか分からなかった。夫婦は結局他人なんだなと感じました。
有名作ですが初めて読みました。ホリー・ジャクソンの『自由研究には向かない殺人』シリーズの元ネタはこれかぁ…、と思った。事件が解決したと思ってからの展開が…。会話の淡々とした感じも緻密な情景描写もハードボイルドといった趣でとてもよく、22歳の初心者探偵らしくベテランに詰められてピンチに陥るシーンもどきどきしました。70年代の小説みたいですが、今読んでもとても面白いと思います。