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やさしくて難しいInclusive Writing入門 ~GoogleとAppleのスタイルガイドを読む

2022/07/18に公開

はじめに

2020年10月、Githubがデフォルトのメインブランチ名をmasterからmainに変更しました。理由は、masterslave(奴隷)を背後に連想させるため。

旧来の価値に根差した既存の用語を置き換える動きは、2020年を契機としてますます勢いを増し、その影響は仕様の策定から命名規則などのコーディング面にまで幅広く及んでいます。

こうしたアメリカのテック界の様相をInclusive Writingの切り口から、Google, Appleのスタイルガイドを摘要しながら概観するのが本稿の趣旨です。

Inclusive Writingとは?

Inclusive Writingはかんたんには、多様な読者を意識した書き方、といえます。

Inclusiveは日本語でも「インクルーシブ教育」等、ダイバーシティの文脈でカタカナ語として定着しつつありますが、強いて訳せば「包含、包み込む」といった意味。語源のin(中に) + claudere(閉じ込める。closeと同根)[1]を意識するとイメージしやすいでしょうか。

対義語はexclusive。「外に締め出す」、すなわち排他的ということ。「排他的経済水域」EEZの最初のEです。inclusiveが推進されるということは、いきおいexclusiveだった過去と現状が想像されますが、アメリカのテック界はどうなのでしょうか。

2014年のデータを分析したUS Equal Employment Opportunity Commission(雇用機会均等委員会)の報告書から、シリコンバレーのハイテク企業[2]と非テック系の従業員比率を比較したデータを円グラフにして引用します。

シリコンバレーのハイテク企業上位75社 シリコンバレーの非テック系企業
男性:70% / 女性:30% 男性:51% / 女性:49%
employment_rate_hichtech employment_rate_non-hichtech

*筆者で円グラフに再構成。

性別、人種的な偏りは明らかで、報告書では「シリコンバレーのトップ75の企業の構成は性的、人種的な差別によって特徴づけられる。すなわち、ほとんど多様性がない。」と厳しい指摘が入っています。

こうした問題が先鋭化したのが、2020年、ジョージ・フロイド事件に端を発する Black Lives Matter(BLM) でした。これを受けてテック系企業が各社揃って、人種的な偏りの是正に関する声明を出したことは記憶に新しいでしょう。[3]各社の声明のなかでもinclusionはキーワードとなりました。

こうした前提のなかで、inclusiveな姿勢は「言葉」にも波及します。上記のように偏った構成であったテクノロジーの世界では、exclusiveな言葉が使われがちだった、という面もあるでしょう。命名規則をはじめとするコーディングや仕様書の言葉に多様性への配慮が重要視され、Style Guideにも一項が設けられるようになってきています。

そうしたStyle Guideには具体的にどのような内容が書かれているのか、Google、Appleの事例を見てみることにします。[4]

資料

Inclusive Writingの実例として、影響度の大きいGoogle, Appleを取り上げます。

Google

'Building for Everyone'(「万人のために開発せよ」)の標語[5]を掲げるGoogleはStyle Guide内に 'Write inclusive documentation'という章を設けています。以下、各項目を適宜要約します。

障がい者差別的な言葉を避けよ Avoid ableist language

ableistは 'to be able to'の 'able' 。「非障がい者優先主義」と訳すほうが原語に忠実そうです。
避けるべき例として、crazy, insane, blind to or blind eye to, cripple, dumbが挙げられていました。

  • sanity-checksanityは精神的に「正気」という意味があるので避ける。
  • 「ダミー」(dummy)も避けるべき。*dumb(口のきけない⇒のろまな)という言葉と関連があるからでしょう。

修正例

the dummy variable⇒the placeholder

*「ダミー」はカタカナにしてしまうと連想が働きにくいこともあって、これまであまり意識したことがありませんでした。

不必要に性差を含む言葉を避けよ Avoid unnecessarily gendered language

he, him, his, she, or herといった代名詞のみならず、mankindhumanityとすべき。

*このあたりはプログラマに限らず、ですね。

不必要に暴力的な言葉を割けよ Avoid unnecessarily violent language

例に挙げられているのはSTONITHという用語。Shoot The Other Node In The Head「他ノードの頭を打ち抜け」の略でクラスタで異常が発生したノードを停止すること。
'fencing' などの言葉に置き換えて全く使わないか、下記のように補足として一度だけ使うように推奨しています。

This might require you to fence failed nodes (sometimes referred to as STONITH).

その他、オンプレミスとクラウドを比較する際に使われる「ペットvs.家畜」の喩えも、大事にされるべきペットと使い捨ての家畜、という含意があり、避けるべきとされています。

*用語や比喩は頭に残りやすい刺激的なものが流布しやすいのかもしれません。タスクをkillする、など。この項目をどこまで徹底的に実践すべきかは賛否ありそうです。
「ペット vs. 家畜」の比喩については、noteに記事がありました。日本でこういう議論を真正面からするのはまだ難しそうな雰囲気はありますね。

関連記事(note)

まだ「ペット vs 家畜」と言いますか?
https://note.com/tsukamoto/n/n1c9e362219a0

多様的でインクルーシブな例示をすること Write diverse and inclusive examples

例を挙げる際には以下を気を付けること。

  • 性差を含意しない(gender neutral)代名詞を使うこと。(例)they, their, them
  • アメリカ中心にならないこと。たとえば、祝日や慣習、スポーツや修辞の面で、アメリカ以外でも伝わるようにする。
    • たとえば、the holidaysはアメリカでは特に「年末年始」を指すが、避けるべき。(参照)
  • 例として人の名前を出す場合は、現実の性差、文化、言語の多様性を反映した名前にすること。
    • 西欧の白人男性に多い名前に偏重しない、など。Style Guideの別項に名前の参考例が載っている。(参照
  • 年長者について書くときはthe elderly, the aged, seniors, senior citizens, 80 years youngといった形容を避け、'older adults, aging population'を使う。
    • (筆者注)これは'ageism'への配慮。'the'+形容詞を避けつつ、比較級で表現するのが好ましいようです。'senior'はいわゆるラテン比較級ですが、'senile'(もうろくした)を想起させますし、日常で良い意味に使われないため、避けるのがよいのでしょう。詳しい方、Discussionで教えてください。

*これもプログラマに限らず。多様性に配慮した名前のリストが周到に用意されています。シリコンバレーだと、白人、アジア系の男性が多いのでよくよく気を付けないと偏頗するのでしょうか。

仕様とユーザーについてインクルーシブに書くこと Write about features and users in inclusive ways

たとえばnative speakersnon-native speakers of Englishなど、属性による区別を用いる場合は、そもそも区別は必要なのか議論し、区別を要しない書き方を目指すこと。

技術的用語についても可能な限り、社会的含意を含む用語(socially-charged terms)は避ける。

  • blacklist
    • (筆者注)善悪の価値を帯びた blacklist/whitelist の対比。代わりに'blocklist / allowlist'
  • native feature
  • first-class citizen
     - (筆者注)「第一級市民」。second-class citizenが想定され、不平等(inequality)を前提とした表現。代わりに'built-in, top-level'など。(参考

*英語に含まれる社会的含意は、英語の日常使用のニュアンス、世界史的な視座も求められるので、エンジニアの素養が問われるところ。

Non-inclusiveな言葉の置き換え・回避 Replace or write around non-inclusive terms

定着した用語を置き換える Replace established terms

定着しているために、言い換えるとかえって混乱が生じる場合、一度だけカッコ書きで使用する。

例:whitelistの置き換え
To make sure that administrators get the notification, add them to an allowlist (sometimes called a whitelist). Anyone who isn't on the allowlist is blocked ...

あるいは用語の置き換えではなく、文章の書き方を工夫することも考える。

non-inclusiveなコード用語を避ける Write around non-inclusive code terms

定着したコード上の用語がnon-inclusiveで変更が難しい場合。たとえば、Cluster名のmasterやSQLのSLAVEなど。その場合はカッコ書きにし、コードフォントに囲む。

障がいやアクセシビリティを扱うときはバイアスと傷つける表現を避ける Avoid bias and harm when discussing disability and accessibility

対象のコミュニティを傷つける表現を避け、コミュニティが望むような表現を意識すること。

  • 障がいのない人を「普通」(normal) や「健康的」(healthy)と表現しない。その代わりnondisabled person, sighted person, hearing person, person without disabilities, neurotypical personなどと表現する。[6]
  • コミュニティが望む表現のしかたを調べること。障がいでその人を定義するような the disabled, a quadriplegic(四肢まひ) ではなく、people with disabilities, a quadriplegic personが望ましい。ただし、コミュニティによってはIdentity-first languageを好む場合もある。(下記補足を参照)
  • 障がいに対する(ネガティブな)感情や評価を反映・投影する表現を避ける。victim of(~の犠牲者), suffering from(~に苦しむ), wheelchair-bound(車いすに束縛された)は避ける。代わりにexperiencing, living with,uses a wheelchairといったニュートラルな表現を使う。[7]
  • 婉曲語法や上から目線の(patronizing)な用語を避ける。たとえば、physically challenged, special, differently abled, handi-capable

*一言でいえば、コミュニティに優しい表現を探求せよ、ということ。ただコミュニティ内でも人それぞれ意見が異なる論点でもあり、常に意識・議論するほかないのでしょう。


以上がGoogleのスタイルガイドでinclusive writingを扱った章の抄訳です。コーディングにまつわることもあれば、言葉一般の使い方に関することもありました。ときに英語の原義と使われてきたコンテクストへの理解が求められ、高い英語力を前提とします。

ちなみに『Googleのソフトウェアエンジニアリング』の第4章は「公正のためのエンジニアリング」と題され、ユーザーのinclusionの話題に丸々1章が充てられ、Googleの過去の失敗や道半ばの取り組み、エンジニアの心構えが述べられており、参考になります。

Apple

Appleもまた、'Inclusion & Diversity'と題したぺージを用意するなど、この方面に力を入れているようです。ページには先述の報告書で多様性の欠如を指摘された2014年時点と比較した伸び率が掲げられています。

Appleのスタイルガイドにも'Writing inclusively'の一項が設けられていますので読んでいきましょう。

総論 General guidelines

総論は標語+説明という構成になっています。Googleのガイドラインで学んだことの要約にもなって、キャッチーでわかりやすいです。本項は全訳します。

インクルーシブに考えよ Think inclusively.

書くときは、読者になりうる人々について考え、その視点に立つこと。使っている言葉やフレーズは誰しもが理解ができるか?それらの言葉やフレーズには有害で、ネガティブな連想があるか?

言葉はときに意図しない意味を伝えうると心に留めよ。言葉のインパクトについて学ぶことに積極的であれ、また意図とは異なって言葉を受け取る人々を尊重せよ。

言葉を調べよ Research words.

言葉の歴史と歴史を掘り下げることは、その言葉を使うかどうか決める助けになる。たとえば、いくつかの一般的な表現(たとえばgrandfathered in)は抑圧的、排他的な文脈から生まれた。[9]

もし言葉や表現に確信が持てない場合は、それがどういう起源をもち、現代の人々にどう理解されているか、必ず調べるようにすること。

文脈を考慮せよ Consider the context.

一般的な言葉が、避けるべきネガティブな用法を一つ持っていたとしても、別の文脈では使ってよいこともある。たとえば、話せない人を指してmuteを使うのはふさわしくないが、端末の音を消すことを指して使うのは構わない。言葉選びの際には文脈を考慮にいれよ。

暴力的、抑圧的、障がい者差別的な言葉を避けよ Avoid terms that are violent, oppressive, or ableist.

もともと暴力的だった言葉、たとえばkillhangを使ってテクノロジーを説明するなかれ。
masterslaveという用語を使うなかれ。なぜなら抑圧的な人間関係[10]を示すからだ。最後に、sanity checkのような用語を使うなかれ。精神状態を機能的かどうかに関連付けているからだ。

概して、ソフトウェアにしろハードウェアにしろ、人間や生物学的な属性を用いて記述するのは避けるのが得策だ。さもないと意図せず人を傷つける含意に繋がりかねない。

イディオムや口語表現を避けよ Avoid idioms and colloquial expressions.

一般的な言い回し、たとえばall through the cracks(見落とされる), on the same page(意見が一致している), backseat driver(うるさがた) は文章を彩るが、言葉を学んでいる人々には理解が難しくなりうる。もし内容がローカライズされたものであった場合、こうしたフレーズの使用は翻訳をさらに難しくする。

ポジティブ、ネガティブな性質を伝えるのに色を用いるな Don’t use color to convey positive or negative qualities.

善悪の価値を色に付与すること(たとえばblacklist,white hat hacker,red team hacker)、大きな概念の比喩として色を使うことは避けよ。
色は実際の色を示すときだけ用いよ。(たとえば、black text on a white background, the white point of a display

用心に怪我なし Err on the side of caution.

もし用語に不明があり、調査や他者からのフィードバックの結果、疑問符が付くと思うなら、別の用語を選べ。言葉の妙は、たいていは伝えたい意味を同じくらい、あるいはより明確に表現する言葉が存在する、ということである。

インクルーシブな表現 Inclusive representation

実在・架空の人を表現する(代表させる)場合は、世の中の多様性を念頭に置くこと。

例として多様性のある名前を使うこと Use diverse names as examples.

  • 民族や性別の多様性を反映した名前を選ぶこと
  • 西洋的な名前の構造とは異なる場合を留意すること。複数のファミリーネームを持つ文化もある。

偏見とステレオタイプを避けよ Avoid biases and stereotypes.

バイアスとは特定の人々、コミュニティを贔屓する(あるいは軽んじる)ように考え、行動する傾向。具体的には、

  • ある職業や設定の人々を文章・イメージで記述する場合、様々な民族、性、年齢、体系、能力を含むこと。
  • 祝日や食、スポーツなどの例に言及するときは、西洋文化からの例だけを示すべからず。
  • 裕福な生活スタイルだけを反映した例を使うことを避ける。

ステレオタイプとは人々や集団に対する性別、人種、身体能力、年齢などの特徴に基づいた固定観念である。たとえば、家族を一人の女性と一人の男性と血のつながりのある子供だけで代表させず、多様な家族の形があることを念頭に置くこと。

ジェンダーアイデンティティ Gender identity

  • 避けよ:Hiring men and women of diverse backgrounds fosters a culture of innovation.
  • 望ましい:Hiring people of diverse backgrounds fosters a culture of innovation.

文脈上必要な場合はその限りではない。

性的に中立な代名詞を用いよ Use gender-neutral pronouns.

he, she, he or sheを避け、they, their, themを使うこと。単数でも使ってよい。複数形を用いたり代名詞を省く工夫も検討してもよい。

特定の人を指す場合は、名前や容姿から使う代名詞を仮定してはいけない。不明がある場合は、直接訪ねるのがよい。

場合によって性的に中立な敬称を用いよ Use gender-neutral titles and honorifics when appropriate.

Mx. という性的に中立な敬称を好む者もいる。もし特定の人について敬称が必要な場合は本人に尋ねるか、敢えて用いないことを検討する。

障がいについて書く Writing about disability

文脈上、障がいについて触れることが必須な場合のみ、以下のガイドラインに従って書くこと。

people-first languageを用いよ Put people first.

Googleと概ね同様の内容。

  • 避けよ:Blind people, A wheelchair-bound person
  • 望ましい:People who are blind or have low vision, A person in a wheelchair, a person who uses a wheelchair

ただし、コミュニティによってはIdentity-firstを選ぶべき場合もある。

障がいの幅広さを認める Acknowledge a wide range of disability.

障がいはスペクトラムとして捉えるとよい。複数の障がいを持つ場合もある。

障がいを持つ人でもほかの人と同じように書く Write about people with disabilities as you would about anyone.

障がいを持つ人について書くときも、障がいを別にした人生、個性、達成物などにフォーカスすること。また、障がいを「克服」するもの、障がい者を「勇敢」などと描写してはいけない。ほかの人と同じように書かれることを望んでいる。

特定の五感を指す言葉を避けよ Avoid language that refers to using specific senses.

  • 避けよ:you see a message, you see a flashing light, you hear an alert sound
  • 望ましい:A message appears, a light flashes, an alert sound plays.

また障がいに関するネガティブなメッセージを帯びたイディオムを避ける。

  • 避けよ:that’s crazy, fell on deaf ears, turned a blind eye to.

使ってよいフレーズ、イディオムもある Some phrases and idioms are OK.

一般的に理解されているフレーズ、イディオムは(上記のルールに触れていても)用いてよい。

I see your point. / You can watch your favorite movies on the Apple TV app. / Hear about the latest news right when it happens. / Don’t hesitate to speak your mind.

参照先を示す際に使われるSeeも問題ない。

See the Apple Support article “Set up Family Sharing”

障がいに関する用語のガイド A guide to terms about disability

具体的な用語リスト。
※一般的なものであるので、特定の人について書く場合はその人がどう見られたいのか明確にすること。

OK to use Don’t use
A person with disabilities
People with disabilities
Note: A disabled person (or disabled people) may also be acceptable to people who consider their disability part of their identity. If you’re writing about someone specific, ask them what they prefer.
Differently abled
Special needs
Special abilities
Handicapable
Person without a disability
Nondisabled person
Sighted person
Hearing person
Normal
Healthy
Regular
Able-bodied
Person who is blind
Person who has low vision
Note: Some organizations and communities may still use the term visually impaired. If you’re writing about someone specific, ask them what they prefer.
A blind person
Person who is deaf
Person who is hard of hearing
People who are deaf or hard of hearing
A deaf person
Hearing impaired
Note: It’s OK to use a Deaf person or the Deaf community (with a capital D) to refer to those who identify culturally as Deaf. If you’re writing about someone specific, ask them how they prefer to be identified.
Deafblind
Deafblindness
Note: Some communities capitalize the B—DeafBlind, DeafBlindness. If you’re writing about someone specific, ask them what spelling they prefer.
Deaf and dumb
Deaf-mute
Person who uses a wheelchair
Person in a wheelchair
Wheelchair user
Wheelchair-bound
Confined to a wheelchair
Handicapped
Person who is nonspeaking
Person who is nonverbal
Note: The terms above have distinct meanings; if you’re writing about someone specific, ask them how they prefer to be identified.
Mute

全体としてGoogleと概ね一致していますが、Appleのほうが簡潔な標語が小気味よく連なっていて、理解がしやすいです。一方で、'Consider the context'や'Some phrases and idioms are OK'の項のように行き過ぎた適用に対するケアもされています。

相手を知り、言葉を知ることがなにより重要という点は一貫しています。

おわりに

言葉は日常遣いの現場でコノテーション(含蓄)を得ていきます。それはときに言葉に栄光を与え、ときに毒を与えます。

Inclusive Writingの理解にはコーディングやプロダクトマネジメントの知識だけでなく、言葉の日常遣いの現場と歴史に通暁し、世界の多様性に対する視野が求められます。それだけにふだん日本語を使う者にはいっそうハードルが高く、日本語でInclusive Writingを扱った記事も多くはありません。[11]

Inclusive Writingはいま、過渡期にあります。しかし、やがてはInclusive Wrtingと呼ばれなくなり、あえて言挙げするまでもない一般的なマナーとして、当たり前になる日が来るでしょう。
それでもそこに至る一連の歴史はみなが努めて記憶しておくべき事柄だと思い、個人的な勉強メモを記事にしたためました。

ちょっとした思わせぶりな引用で本稿を結びます。George Orwellの、Politics and the English Language(1946)[12]の一節から。

Now, it is clear that the decline of a language must ultimately have political and economic causes: it is not due simply to the bad influence of this or that individual writer. But an effect can become a cause, reinforcing the original cause and producing the same effect in an intensified form, and so on indefinitely. A man may take to drink because he feels himself to be a failure, and then fail all the more completely because he drinks. It is rather the same thing that is happening to the English language. It becomes ugly and inaccurate because our thoughts are foolish, but the slovenliness of our language makes it easier for us to have foolish thoughts. The point is that the process is reversible. Modern English, especially written English, is full of bad habits which spread by imitation and which can be avoided if one is willing to take the necessary trouble. If one gets rid of these habits one can think more clearly, and to think clearly is a necessary first step toward political regeneration: so that the fight against bad English is not frivolous and is not the exclusive concern of professional writers.

言語の堕落には突き詰めれば政治的・経済的な要因があることは明白だ。それは単に誰それの書き手の悪影響によるのではない。しかし、結果は原因になりうるし、もともとの原因を増強し、より強い形で同じ結果をもたらし、それが際限なく続く。自分はダメなやつだと思ったからお酒を飲むのかもしれないが、お酒を飲むことによってさらにダメになることもある。英語に起きていることも、いくぶん似ている。英語が醜く、不正確になるのは、我々の思考が愚かだからであるが、言葉の乱れが我々が愚かな思考をするのを容易にする。ポイントはこのプロセスは可逆的であることだ。現代の英語、とりわけ文語の英語は、模倣で広まった悪習にあふれているが、それらは、もし必要な骨折りをするのにやぶさかでなければ、避けることのできるものだ。もしこうした悪習を取り除ければ、より明瞭に考えることができ、明瞭に考えるということは政治の再生への必要な一歩である。つまり、まずい英語と戦うことは、くだらないことではないし、プロの書き手だけの関心事ではないのである。

参考

Google、Appleのほかにもガイドラインを出している企業があります。参考までに。

Microsoft

Bias-free communication
箇条書き。内容的にはGoogle, Appleと重なる点がやはり多い。

Twitter

2020年7月のツイートにて、用語の置き換えをアナウンス。画像のaltテクストの設定漏れをユーザーに指摘されている...

脚注
  1. https://www.etymonline.com/word/include
    inclusiveという言葉はダイバーシティの文脈で特別な意味を持つため、Inclusive Writingといった際には、特に人種、性別の面が前景に現れる場合が多いです。 ↩︎

  2. 報告書では技術職の割合が25%以上の業種と定義されています。 ↩︎

  3. 当時の声明はInsiderの記事にまとめられています。 ↩︎

  4. このチョイスがすでにinclusiveではないですが、影響力が大きい企業ということで今回のサンプルにしました。 ↩︎

  5. 未読ですが、同名の書籍が出版されていました。Building For Everyone: Expand Your Market With Design Practices From Google's Product Inclusion Team
    こちらはコーディングよりもデザイン方面を扱っているようです。 ↩︎

  6. 'neurotypical'は「神経学的定型」などと訳される。自閉症などの発達障害でない人を指す際に用いられる。従来疾患とされたものを多様性と捉えるニューロ・ダイバーシティの流れにあるらしい。(以上、ソースはWikipedia↩︎

  7. victim of(~の犠牲者), wheelchair-bound(車いすに束縛された) は慣用句的に使われることでニュアンスが丸くなることもありますが、ここは敢えて直訳に近く訳してみました。 ↩︎

  8. https://www.thesaurus.com/e/writing/person-first-vs-identity-first-language/ ↩︎

  9. grandfathered inは「新しいルール・法律の適用を免れ、旧来のルール下にある」という意味。
    1870年、アメリカ合衆国憲法修正第15条が批准され、選挙における人種差別が禁止される。しかし、黒人に投票権を与えないよう、各州が試験や課税を行った。
    この試験や課税を白人に免除させるための条項がGrandfather Clauseで、黒人が投票権を持つ以前の1867年までに選挙権を持っていた者とその子孫については、試験や課税を免除した。このいきさつから、grandfathered inの表現が定着した。参考:The Racial History Of The 'Grandfather Clause' ↩︎

  10. 訳注:奴隷制度 ↩︎

  11. 日本語記事では、『そろそろ本格的にプログラミング用語を置き換える時期なのかも』(2020年09月22日)など。 ↩︎

  12. 出典:https://www.orwellfoundation.com/the-orwell-foundation/orwell/essays-and-other-works/politics-and-the-english-language/
    文中の斜字は筆者。inclusiveではなかったので... ↩︎

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