山田太一の「沿線地図」

TBSのBS放送で「それぞれの秋」に続いて、山田太一の1979年の連続ドラマ(15回)の「沿線地図」をやっていたので、録画しては観ていた。面白かったが、納得できない部分もあった。これは山田が先に同題の小説を書いて、それを脚本化したもので、「岸辺のアルバム」と同じ形式である。

 東急東横線沿線が舞台で、一橋大を出たエリート銀行員(児玉清)と妻季子(河内桃子)の一人息子で高校三年の志郎(広岡瞬、新人)と、電気屋をやっている藤森(河原崎長一郎)とその妻麻子(岸惠子)の一人娘の道子(真行寺君枝)が、学園祭で知り合ったのをきっかけに駆け落ちして同棲するという話だ。

 志郎は成績もよく、東大へ行くことを期待されていたが、大学へ行っていい会社へ入るみたいな安定した軌道に乗るのが嫌になり、「生き生きした」人生を送りたいというようなことを言う。山田太一はこの「生き生きした」という言葉を時々肯定的な意味で使う。親たちは驚き、二人を説得するのだがきかないで、二人は東中野の小さいアパートに住んで、淀川青果市場などでアルバイトをして生活している。電気店のそばにある「かもめ」というスナックの23歳のマスターの鉄太郎(新井康弘)が二人にはじめ金を貸してやり、親たちもよくこのスナックで会うことになる。主人公は当時フランスから帰国して出演していた岸惠子である。

 岸惠子は47歳だが輝くばかりで、とても電気店のおかみさんには見えない。児玉清はまるでインテリのようだが、実際学習院大の独文科へ行って学者になろうとしていた人だから当然だろう。

 終わってから山田の原作小説を借りてきて比べてみたが、基本的な筋は変わっていない。鉄太郎の母親が入院していて、死ぬかもしれないと鉄太郎が不安になる脇筋は原作にはなかった。原作で最後に、児玉と岸が東京一周をする時に女子学生が倒れて死んでしまうのに出くわすのは、ドラマにはなかった。

 私が釈然としないのは、二人が同棲する前に、セックスの話をほとんどしなかったことで、ドラマでは児玉清がちらっと口にするが、原作ではそれもわりあいちゃんと書いてあった。あと広岡瞬はドラマではよく読書をしていたが、どういう本を読むのかが分からなかった。だが原作では、ニーチェとかパスカルとか言っていた。

 もっとも、最終的には、高校も中退して同棲して、それで何になろうとしているのかが分からなかった。作家になりたいとかいうなら大学へ行ったほうがいいし、高校中退で得られるものがあまりにもはっきりしなかった。面白い割にそこの詰めが甘かったため、あまり評価が高くないのだろう。

小谷野敦

野村進「丹波哲郎 見事な生涯」

私は中学三年の終わりに「黄金の日日」の第一回を観た時から丹波哲郎は好きな俳優だった。「真田太平記」も「人間革命」も好きだ。この伝記を読んでいて、しかし複雑な気分になった。いかにもイメージ通りの豪放磊落で明るい人だが、実の妻はポリオで下半身麻痺の中、子供を産ませた愛人がいて、十代の頃から愛人にしている34歳年下の女もいる。遅刻は多い、セリフは覚えてこない。そして後半生の「霊界」へののめりこみ。著者は丹波の光も影も隠さず書いていて、それはまったくいいことである。「霊界」について著者は、世間の人々が死を恐れているのに対する丹波の「癒やし」ではないかというような書き方をしていて、それはそうかもしれないが、私は最終的には、俳優としての丹波は好きだが、愛人を持つ丹波や霊界を説く丹波は別に好きではないということになった。複雑な気分である。

 「見事な生涯」という題名はあまりよくない。「堂々たる人生」のほうがいいが、それだと私の谷崎伝と同じになってしまう。『週刊現代』連載時は「丹波哲郎は二度死ぬ」というタイトルだったという。

 作中、丹波が愛人に宛てた手紙がふんだんに引用されている。旧漢字で書かれたものまでその通りに翻刻している。しかしこういう手紙がないとちゃんとした伝記は書けず、この手紙は愛人から見せて貰ったものだろうが、もちろんこういうのは隠蔽してしまう人が多いため、伝記が書かれない人物は多い(丸谷才一とか)。

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黒川創「暗殺者たち」

単行本では180ページちょっと、『新潮』2013年2月号に一挙掲載され、三島由紀夫賞候補になったが落とされて、高村薫らの選評に黒川が『新潮』誌上で異議申し立てをした。その時私は黒川に、ちょっとおかしいんじゃないかと言ったが、これは果して「小説」か。ロシヤのサンクトペテルブルクで日本文学を学ぶ学生相手の日本語の講演というテイをとり、冒頭で黒川が当時発見した漱石の「韓満所感」を紹介しつつ、安重根伊藤博文を暗殺した話から、大逆事件へと話がずれこんでいき、おおむねは幸徳秋水と菅野スガの話である。ところが最後に学生の質問に答えて、幸徳・菅野らは暗殺未遂の容疑で死刑になったが、実際に暗殺をしたのは伊藤博文(塙忠宝を殺した)と安重根だと変な種明かしをしている。

 別に幸徳や菅野に激しく思い入れした作品ではない。黒川は鶴見俊輔の弟子にあたり、父親の代から『思想の科学』と関係の深い人だが、蓮實重彦は鶴見について、一所懸命左翼でなくあろうとしていると評していたが、確かに黒川も、ここで一所懸命左翼でなくあろうとしているように見えた。

 エリセーエフの話や漱石西園寺公望大山巌など、当時海外へ行った人の話が多く、比較文学的エッセイといった趣きもある。黒川という人は大学教員ではなかったし、世界各地を旅行したり調査したりする費用はどこから出ていたんだろうということが気になった。しかし作品として迫ってくるものの乏しい本であったのは否めない。

小谷野敦

会田雄次VS平岡梓

細川隆元著となっているが実際は多くの人が書いたらしい『戦後日本をダメにした学者・文化人』(山手書房、1978)を読んでいたら、会田雄次の項で、会田と三島由紀夫の父・平岡梓の論争があったと書いてあったので、杉並図書館にレファレンスを出したら、『諸君!』1972年10月号に会田の「第二の母となった日本の父親」が載っていて、11月号に平岡の反論「大学教授の物の見方・考え方・書き方」が載っているのが分かったので国会図書館から取り寄せた。

 会田は時事ネタのあさま山荘事件で、長男がリンチで殺され、次男と三男が被告人となった加藤益男という人の手記について感想を述べ、ついで『倅・三島由紀夫』で話題になっていた平岡を俎上に載せて、息子を何が何でも東大へ入れて大蔵省へ入れようとした教育ママ的な失意の元官僚と書いた。そして平岡の著書に、三島の妻、つまり平岡瑤子への言及がないことを軽く揶揄した。どうも会田が書きたくて書いたというより、編集部が頼んだ穴埋め原稿のように見える。ないしは編集部の仕掛けた「論争」か。

 平岡のほうは、別に正面切っての反論でもなく、戯文で反駁している感じで、会田のいた京大人文研を揶揄し、東大も最近は無様だとか言っているが、最後のほうで三島の妻の話になると、「たかがあまっちょと思っている女性のことを、男女同権同格の大女性と思っておいでの教授」とか言い出し、「ぼくは生来、小説なんてしちめんどくさいものは大きらいで、倅の作品もほとんど満足に読んだことはない」と言い、「ぼくは本心、人間とはすなわち男性のことを称し、女性とは子を生むための大切な貴重機器として、常に男性にやさしく背負われている付属物というか、あるいは、男性の足の小指相当のものと考えています」などと放言している。三島もさぞかしこの父親を嫌っていたことだろう。

小谷野敦

インベカヲリ★『未整理な人類』レビュー

この本は、最初のほうはものすごく面白い。鉄柱詩を集めるのがインベさんの趣味でそれが一番面白いが、お地蔵さんの話とか、電車の発車メロディーとか、千葉県のキョンとか、様々な社会現象を奇抜な発想で論じていく。途中でネタ切れになったようなところもあるが、編集者が巧みに面白い話が分散するようにしている。私はインベさんのファンで、書評を書いた時に「愛情を感じた」と本人に言われたので、愛情ゆえにちょっとおまけして五点にしておく。面白い本であることは間違いない。「もろともせず」なんておかしな日本語もあるけど。

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四方田犬彦と伊藤比呂美

四方田犬彦の新刊『わたしの神聖なる女友だち』(集英社新書)が図書館に入ったので借りてきた。これは集英社のPR誌『青春と読書』に連載されていたもので、27人の、故人や老若含む「女友だち」をポルトレ式に描いたものだ。昔篠山紀信のヌード写真集で『激写・135人の女ともだち』(1979)というのがあったから、それを意識しているのかどうか。私はこの本が出ることを知って、自分は何人くらいの「女友だち」について書けるだろうと思ったら、まあ無理やりやれば20人くらいにはなると思った。

 最初に出てくるのが佐伯順子で、何しろ箕面南小学校の先輩後輩で、東大比較文学の先輩後輩だが、小学校では在籍期間はかぶさっていないが、住んでいた場所が近かったという。もっとも在住した期間はこちらもずれている。死んだ芳賀先生がやっていた研究会でよく会っていて、泉鏡花についていずれ共著を出す話をしていたが、まだ実現していないという。

 やはり大学院で私の先輩だった弥永徒史子のことも出てくるが、32歳で脳腫瘍で死んでしまった人で、私が大学院へ入ったころ四方田らが論文集を編纂していた。水原紫苑も出てくる。何しろ行動範囲も交友範囲も私の百倍くらい広い人だから、とても叶わない。

 だが本書の白眉は伊藤比呂美に関する章で、ほかの人は故人はともかく今でも友達だが、伊藤比呂美は四方田と大学院で一緒だった西成彦と結婚して子供まで作ったがのち別れたという関係で、今では四方田と伊藤は決裂しているので、珍しいことになろう。

 決裂の原因は、『青春と読書』掲載版によると、ある雑誌に伊藤が、四方田と女性演出家について事実無根のスキャンダルを書こうとしていて、見つけた西成彦が驚いて四方田に連絡し、掲載はされなかったというのだが、新書判ではここがぼかされていて、「ある卑劣な行為」を行い、四方田は強烈な不潔感を覚え、脳髄が嘔吐しそうだったと書かれている。

 佐伯順子の項の最後には、彼女の「清潔感」という言葉がシメに使われていて、そこが面白いと、私に教えてくれた人は言っていた。四方田も『遊女の文化史』に触れつつ、全面的に優れた研究だとは言っていないが、まあ・・・いや、やめておこう。

 そういえばこの本には、鷺沢萌に触れた章もあるが、四方田は対談で一度会い、その後一緒に大久保の韓国料理店へ行ったことがあるだけだという。私は比較的鷺沢萌は好きな作家だが、確か佐伯順子さんは鷺沢萌とあと一人女性との鼎談を東京メトロポリタンTVの深夜番組でしたことがあったはずである。

小谷野敦

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