マイツの小部屋

陰キャのための音楽ライフ

美味しいチーズに出会いました

先日のこと。

思い切ってとあるチーズを購入したのです。秩父やまなみチーズ工房さんのウォッシュタイプチーズ『ルビー』。

いかがですか。めっちゃくちゃ綺麗な出で立ちですよね。

なんとこのサイズでお値段約¥1,200。これは中々の高級食品と言って良いでしょう。

日々の生活に小さな新体験と驚きを。

積極的にイベント事を取り込んで楽しさを演出しよう。

そんなここ最近の個人的ムーヴがなければ中々手が出ませんよ。

その味は濃厚で、旨味と豊潤さが溢れる仕上がり。

仕上げにあのイチローモルト(ウィスキー)を使っているというのだから驚きです。

いつかの自分のために、こんなチーズを買ったぞ!めちゃくちゃ美味しかったぞ!という記録を残しておくべく、こうして書いております。

今回の小さな冒険も大成功でありました。

 

というのも、ウォッシュチーズって普通はかなり臭いんですよ。

チーズが好きで、プロセスチーズ~ナチュラルチーズまでを愛し、青かびの歯ざわりが大好きでたまらない私でも、ウォッシュチーズはちょっと手強いことがあります。

本当にぴんきりで物によるのですが...

野原ひろしの靴下。

真夏のお風呂前のへそのごま。

そんなキーワードがズバリと当て決まるようなチーズ「も」存在するんです。

いくら濃厚で確かな旨味があっても、そこまで匂うのはちょっと厳しい。

 

それが、今回買ったこのルビーというチーズ。日本人でも食べやすいように仕上げてくれたのでしょう。ウォッシュチーズさながらの「薫り」はちゃんとあるものの、全然行けるレベルでありました。

納豆は美味しく食べられても海外の臭い食べ物はダメ、という方が多いように、薫りの方向性って大事だと思うんですよ。その点、このチーズは日本人の感性からあまり外れない範囲の薫りに納まっていると言いますかね。

「全然臭くな~い!」というわけではないのがミソ。癖のない美味しさを求めるならばプロセスチーズだってめちゃくちゃ美味しいですから。しっかりとウォッシュタイプでありながら、旨味に溢れながら、程よい薫り。

臭い物は苦手、という方には厳しいかも知れませんが、ナチュラルチーズを美味しく食べられる方ならばとても美味しく食べられるかと思いますよ。

 

今回、店頭には同じ工房さんの他のチーズもあったんですよ。

安定のモッツァレラ。

デザートにもピッタリなリコッタ。

フライパンで焼いたらめたくそ美味しいカチュカバロ。

そんな鉄板商品が並ぶ中、あえて一か八か感も漂うウォッシュタイプのチーズを選び取った自分を、褒めてあげたい。

いやぁ、¥1,200って中々の金額ですよ。

チーズみたいにおつまみ的な食べ物なら尚の事。

こういうちょっとした小さな冒険が出来る姿勢。

鉄板よりもリスクのある選択を面白がることが出来る心の余裕。

 

悪くない。悪くないですよ、この流れ。

少しでも生きていて楽しいぞ!という気持ちをかき集めて行かないと、あっと言う間に立ち上がれなくなってしまいますからね。

冗談抜きで、いつお布団から出て来られなくなる日が来るか解らない。

そんな日々に怯えながら、高級チーズを少しだけ齧り。

寝よ寝よ。

ぼくらはみんなクソ真面目

休日の夜更け。私は独りトイレで佇んでおりました。

食生活の内容か、生活のリズムか、はたまたストレスの波によるのか。私のお通じサイクルは一定のリズムを刻んでおりまして。

月曜日からだんだんとお通じが弱っていき、週末にしっかりとご精算。そしてまた月曜日へ...といった様子。ごめんなさいね、んなこたぁ知らんがな、ですよね。

まぁそんなわけで週末のご精算として、夜更けにトイレにこもっていたのです。

 

別にお腹が痛いわけでもなく、なんとなく、ぼーっとトイレにこもる。

そして、ぼんやりと時計を眺めます。トイレに適当に置いた小さなデジタル時計は、もはや当然のように電波時計。定期的に補正しながら、いつもぴったりと正確な時間を刻んで行きます。

数字が進んで行く秒数表示を見つめる私。夜中に目を覚ました時とか、ぼんやりとしている時って「秒数」のカウントが早く感じること、ありませんか?いつも聴いている音楽のテンポが速く感じたり、遅く感じたり。

 

はぁ...今は週末の夜だから良いけれど。この時計が進んで行けば、また平日が始まって、仕事が始まって...と憂鬱になってしまいます。

そしてふと思うのです。なんか、みんなすげぇな。クソ真面目過ぎないか?

物事には必ず例外はあるとしても。基本的には数十億の生命体が、時間という概念に沿ってガッチリと生活リズムを確立して、法律やら何やらというルールにしっかりと則って、統率をとって暮らして居ますよね。

起きたり、寝たり。

ごはんを食べたり。

学校や会社に行ったり。

「そんなの知~らないっ」って言って、好き放題に振る舞ったって良い...というか振る舞いたいですよ。

そうなると大変なことになる、自分に不利が起きる、という理由はもちろんあるけれども。そうは言ったって、大多数がちゃんと枠の中で生きていますよ。

アウトロー的な存在だってそりゃあ居ますよ?でも、ある一定の「社会」から「はみ出している」だけであって。「はみ出す」ということは総合的には収まっているわけで。

 

人類みなクソ真面目なんだなぁ。

社会の構成員として満点ではなくたって、国や集落の中で生きている時点で真面目に人間やってるんだなぁ。その上での優劣なんて、人類全体で見たら誤差範囲だよなぁ。

ってことは、こうして何とか生きている私も、花丸合格で良いのではないだろうか。

 

そんな馬鹿な思考を巡らせながら、冬の寒いトイレの中で夜が更けていく2025年1月。

今日も平和なものですね。

「私」は弱くても「私+メタル」は強いぜ?

今週も、幸せだった頃の思い出が消え去る手触りを感じたりして。

色々な嫌なことや不安なことも有ったりして。

エンドレスワルツの通り、何とか週末へと着地。

明確なバッドイベントはぽつりぽつり程度。それよりもふんわりとしたもやもやがのしかかるような圧を感じる毎日。不安と言うか、不満と言うか。

上手く言語化までは出来ていないけれど、もやもやの正体はぼんやりと解って来ては居るのです。小さく見れば仕事にて、大きく見れば人生にて。自分の在り方というか役割というか、ポジションというか。

 

そんな中、平日のある日の夜。大画面YouTubeと爆音サウンドバーでメタルのMVを鑑賞しておりました。久しぶりに聴く最強の鉄板曲。

あぁ、凄いなぁ。

メタルは、強いなぁ。

こんなに強く在れたら、どれだけ良いことでしょう。

楽しみ、噛み締め、お布団に入る。

そこで、ふと思ったのです。

あぁ、でもまぁ。もう私の手の中に「強さ」はなくても良いかも知れない。


www.youtube.com

 

強さと言っても色々。そのバランスも色々。その前提の上で、ずっとずっと「強さ」が欲しくして仕方が有りませんでした。

何事にも負けない強さを。

どんな困難にも揺るがない強さを。

なんなら誰かを守ったり、助けたりも出来る強さを。

独りぼっちになっても幸せに生きて行く強さを。

これが私の生きる道だ。と胸を張れる強さを。

あのひと(私から見て強いと思うひと)のようになりたい。

そう在れない自分は、なんと情けないことか。

 

なんというか...確かに、強くありたいとは思っていました。でも、最強になろうと思っていたわけでもなく、思えるわけでもありません。

普通に考えれば分かることですが、強さの頂点にでも立たない限りは「誰かよりは強い」且つ「誰かよりは弱い」という立ち位置になるわけで。

そんな中で「強く在りたい」とか「強く在れない自分は×だ」なんて。なんとまぁ、滑稽な話でしょう。

これは諦めなのかも知れません。けれど、40年以上あれやこれやに揉まれて来たからこそ感じること、納得出来ることがあるような気がして来ます。

 

そして冒頭の夜。

超絶最強鋼鉄メタルを存分に浴びていた私は、確かに「強さ」に触れていました。

その瞬間の私の心は間違いなく「強さ」を共有化して、その瞬間だけは強く在ることが出来たし、少しだけエネルギーを分けてもらって、この週末までたどり着きました。

これで、良いのかも知れません。

「強い物/強い者」はあちこちに居てくれます。

自分は弱くても良い。強さが必要な時は、強い力を借りれば良い。

情報が持ち切れないから、ネットにアクセスするように。

遠くまで歩けないから、車を使うように。

心に足りない物も、自分以外の何かで補えば良い。それは何も悪くないのでは?

「僕は弱いかも知れないけど、僕たちは強いよ」ある漫画のセリフです。

来日Live、最強曲NEMESIS冒頭でのアンジェラの雄叫び。We!Are!One!

 

「私」が強くなくても良い。

「私達」が強ければ、それで良いのでしょうね。

決して新しい発見ではなく、何かが変わるわけではありません。でも少しだけ、愚かに迷い続ける自分自身を俯瞰して見られたような気もします。

漫画バガボンドで武蔵からにゅるっと「俺は強い」が生えて来て「俺の中に我執はあるとして。こうして眺められるようにはなった」あんな感じ。

 

「私達」にあてはめるのは、私+誰か、家族、仲間、チーム、集団、企業、国家、人類あたりが健全なんでしょう。

でも、私の様な孤独なド陰キャの方でもご安心ください。「私達=(私+メタル)」の定義は人類誰でも可能ですからね。おススメですよ。

消えていくあの日と全裸の私

私、毎日全裸になるタイミングがあるんです。

ごめんなさい、ちゃんと真面目な話なんです。

皮膚がとても弱いもので、シャワーを浴びた後のスキンケアが欠かせず、全身に保湿クリームを塗って、炎症が出ているところにはピンポイントで薬を塗って。そんな作業がルーティン化しておりまして。

これが最近のように「墜ち気味」な時は、全裸のままでぼ~っとしてしまうんです。寒いのにね。

まぁ、そんなにぼ~っと出来るのも今だからこそ。独り暮らしじゃなかったあの頃は、こんな事は出来なかったな~、なんて思ったんですよ。そこで電撃が走るのです。

 

あれ?あの頃...どうしてたっけ?

 

保湿の仕方や使う薬が変わることはあれど、私のこの特性は働き出した頃には確立されておりましたから。ずっとこのルーティンはあったはずなんです。でも、夫婦で暮らしていたあの頃、この作業をどうしていたか...てんで思い出せないのです。

まてまて。こうなると一事が万事。色々なことに思いを馳せてみます。

いつもどの部屋で寝ていたっけ?(季節や気分で変わったりしてました)

そもそも同じ部屋で寝ていたんだっけ?(闘病時は別室でした。コロナもあったしね)

いつも同時に寝るぞ~!と寝室に向かっていたような気もする。

朝ごはんはどんな物を食べていたっけ?

行って来ますとただいまは、いつも欠かしていなかったような。

うーん、今一つハッキリとは思い出せない。

 

〇〇へ出かけたとか、△△な出来事があったとか、イベント的な物事、強い感情を抱いた場面は、今も色濃く思い出すことが出来るけれど。

何よりも大切だった、平穏な日々のルーティンにあたる部分の記憶が、かなり薄れてきていることに気が付きます。

ある程度は自然なことで、仕方のないことだとは解っているんです。いわゆる「闘病生活」が始まる前、平穏でいつも通りの暮らしがあったのは、何ともう6年も前のこと。

 

6年前の生活の「細かな部分のこと」なんて、忘れていたって当たり前です。

でも、私にとっての6年前の「細かな部分のこと」とは、恐らくこの先も含めて人生で一番幸福に包まれていた日々。

その思い出が、極々自然の流れに任せて、少しずつ風化して、おぼろげて行って、消えて行く様を直視してしまった瞬間。しばし呆然自失としてしまいました。

凄く哀しい!という感情ではないんです。

とても残念だ!という感情でもなく。

激しい感情は何一つなく、沈んで行く夕日を見つめるような、遠くの星を眺めるような。何か大切なものを見送るような。

静かだけれどとても深い喪失感や諦めの感情を、じっくりと噛み締めてしまいました。

 

そして我に返ります。

冒頭からお話している通り、この時私は保湿をするために全裸で佇んでいるのです。

この寒い1月に。

暖房なんか付けずに。

体感にして、小一時間。

風邪ひくわ。

「風邪ひくからそんな恰好でいつまでもおったらあかんのやでぇ!」

と怒ってくれる、大切なひとが居たあの輝かしい日々は、もう地平線の彼方へ消えてしまっておりましたとさ。

おしまい。

ほりにしは美味い。エアフライヤーも素敵。だが月曜日、てめぇはダメだ。

ほりにし、美味しかったなぁ。

作戦通りですよ。ちょっとした新しいチャレンジをして、ちょっとした楽しい時間を過ごす。ありきたりな日々を彩り、繰り返しの日々を少しでもグレードアップする。

「月曜日~金曜日~土日」「地獄~解放~ささやかな幸せ」のエンドレスワルツを少しでも底上げして行く。

作戦通り。上手く行きました。

だからさぁ、もうちょっとだけ月曜日へ向かうこの「嫌さ」、軽減してくれません?

エンドレスワルツを抜け出すのは無理だと諦めましたよ。

せめてもの抵抗、というのが大前提ではありますよ。

けれど、もうちょっと...こう、手心というか...なんというか。勘弁してよ。

 

というか、みんな本当にこの苦痛に耐えて生きてるのか...すげぇな。

サザエさん症候群なんていう言葉があるくらいだから、月曜日が嫌でしょうがないのは人類共通のはず。人それぞれとは言え、世間一般と比較したくなってしまうのが人間の性というものです。

ここでふと思ったのです。ひとと比較は出来ないとはいえ、比較出来たとしたら、自分はどうしたいのだろうか?

 

自分の辛さ≒皆さんの辛さ。

みんな辛いのに頑張ってるんだ、お前だけ楽したいなんて言うんじゃないだろうな?ってなわるな。

自分の辛さ<<<皆さんの辛さ。

お前よりも皆さんの方が百倍辛いんだ。お前だけ楽したいなんて(ry

自分の辛さ>>>皆さんの辛さ。

そんなしんどいのお前だけだぞ?うわー可哀想...ってかお前何なん?

ダメだ、勝ち筋が見えない。

 

あ~ぁ、結局は諦めしかないのか。解っていたこととは言え...

そうこう言いながら今日もほりにしに逃げて行きます。

半額お値引き品の鳥手羽を冷凍していた物にほりにしとレモン汁をすりこんで少し寝かせてからエアフライヤーにぶち込む。

ほりにしくん!いや、ほりにしさん!君凄いね。

まるでちょっとお洒落なグリル店で提供される一品かのような味わい。いや、そんなお店に行ったことはないんだけれども。

しかし、この二日間でほりにしの実力を知ったわけですが、エアフライヤーのポテンシャルを思い知りましたね。

ポテトフライもどきやお惣菜の温め直しにばかり使っていましたが、肉や魚料理も全然行けるなぁ。

 

なんだかんだ言いながら。

あれやこれやとくだらないことを考えながら。

ぼちぼち美味しいもの食べて。

良くも悪くも担う仕事が待っていて。

今のところはインフルにもコロナにも襲われてはいないし。

まぁ、良しとするか。するしかないよねぇ。

ほりにしよ!おめぇの力を魅せてみろ!

てなわけで。

念願のほりにしを手に入れたぞ!という場面で次回へ続いた昨晩。本日はほりにしの実力を確かめねばなりません。

外に何かを食べに行く、新しい体験を探しに行くのも楽しいですが、こうして家の中で新しい世界と向き合うのもまた、楽しいものですよね。

基本的に、新しい出会いや挑戦にはワクワクの裏に一抹の緊張や不安のような「負担」が存在するのも事実。新しいことをするって、しんどい面もありますからね。

それがどうでしょう?家の中で新しい味に出会おうとするこの行為。昨日も申し上げましたがローリターンかもしれないけれど、実にローリスク。純粋に小さなワクワクを楽しめる。ありがたいものです。

 

さて、まずはその実力の一端を垣間見なければなりません。どうやってほりにしを喰ろうてくれるか...まずは小手調べ。というか、味見です。

シンプルな目玉焼きにひと振り。事前調査としては上等でしょう。

ひと口食べて見ると...うん。美味しい!

塩味はもちろんのこと、数々のスパイスから立ち上る薫りと味わい。これがまた突拍子も無い異国の薫りなんかではなく、あくまで私達日本人にも馴染みのある、素直に受け入れることが出来る程よい風味。

なるほどなるほど...これは聴きしに勝る実力。それにしてはちょっと高価過ぎないか?と思うところはあれど、美味しいことは間違いない。

 

さて...今夜は何を焼いてやろうか...

そう舌なめずりをしながら行き付けのスーパーを徘徊するド陰キャ中年。さぞ気持ち悪いオーラを放っていたことでしょう。

そんな私の目の前に飛び込んで来る食材...そう、またしても鯛の切り身なのです。

お刺身も、鯛めしも、ホイル焼きも、とにかく鯛の薫りが大好きな私。

しかし鯛!腐っても鯛!やっぱり立派な切り身はそれなりのお値段がしてしまうもの。だからなのか?意外とお値引き半額に売れ残ったりしていることも多く。そんな売れ残りの鯛様と出会い、またしても謎の親近感を覚え、カゴに入れる私。

 

そして出来上がったのがこちら。

今回はエアフライヤーを使ってみました。

軽く塩を振って寝かせて余計な水分を抜き、軽くオリーブオイルを塗り、ほりにしをふりかけてエアフライヤーで調理。

160℃で10分、優しく火を通し。

200℃で10分、皮をぱりっと焼き上げる。

いやこれ...旨いな!

ほりにしの賑やかな薫りが鯛独特の薫りと喧嘩しないか、少し不安だったんですが、そこは全く心配ありませんでした。

鯛は鯛でしっかりと自己主張する薫りを出し。

ほりにしはほりにしで、決して食材を塗りつぶさないくらいの程よい風味。

パリパリの皮をいただき、現れたふわふわの身にも軽くほりにしをふりかけて頂く。

まるで高級な鉄板焼きで鯛の焼物を頂くかのような錯覚を起こすほど、これまた絶妙な味わいを魅せてくれました。

40年以上生きて来て、鉄板焼き屋さん?には行ったことなんてありませんがね。

 

こうして早めの夕食を終え、その模様を記事に書き、ちびちびとお酒を頂く。

こうして終わって行く土曜日。

特別な幸せはないけれど、小さな初体験をして。

さぁ、人生はエンドレスワルツ

次は来る翌週へ向けての絶望と向き合う時間だな...(;゚д゚)ゴクリ…

エンドレスワルツ

歴史とは、戦争、平和、革命が絶えず続く永遠のワルツなのでしょうか。

ごめんなさい、ガンダムWの話ではありません。

個人的にはトールギス推しでした。あの無骨でマッシヴなMS。良きです。

 

さて、私のエンドレスワルツは、何とも情けないもの。

月曜:苦痛。

金曜:解放。

土日:内省とささやかな美食。

苦しんで、解放されて、ぐちぐち言いながらちょっと楽しんで、また苦しむ。

いや、まぁ、格好悪いけどさ。これは結構あるあるではないでしょうか。

あゝ 私が 幸せにあるのは 苦しみの故に©人間椅子

しんどい時間はなくならず、そこからの解放こそが幸せ足りえる世の中。苦しみをなくしたい!という願いは叶わないのでしょう。

ならばこそ。このワルツから抜け出すことは諦めても良いのではないでしょうか。

終わらないワルツを受け入れて、少しでも良い音色を奏でられるように。少しでも良い時間が楽しめるように。ワルツのクオリティを上げて行くことに尽力する人生も、悪くはないのかも知れません。

 

結論:QOLを上げたいね。

 

めちゃくちゃに普通の結論なんですが、それがここ最近のテーマであります。

この新しい生活を、新しい人生をちゃんと維持しつつも、少しでも面白い時間を増やして行く。新しい体験を増やして行く。

大きなイベントなんて要らないのです。

素敵な新体験なんて求めなくても良いのです。

居心地の良いルーティーンを引き裂く必要なんてありません。

ほんの少しの刺激を。ほんの少しの出会いを。

ということで、遂に手を出したのがこちら。

噂には聞いておりました。

肉でも焼いてふりかけるだけでヤバいことになるというオールマイティスパイス、ほりにし。

旨い旨いとは聞いていましたが、実際に売っているところを目にすることもなく。どうしても食べたい!というところまでの欲求が生まれることもなく、今日まで生きて来た私。

ふとした瞬間に出会い、目に入り、ノリと勢いで入手してびっくり。

結構お高いんですね、これ。

 

これはもう、支払ってしまった対価に見合うだけの喜びを欲してしまうのが人情というもの。

今週末は、何かとあれこれを焼いて。

何かとほりにしをふりかけて。

吉と出るか凶と出るか。ローリスクローリターンの平和な博打と行きましょう。