39歳の若さで岸信介改造内閣の郵政大臣に
田中が政治家として官位栄達をきわめる道のスタート台は、昭和32年7月の岸信介改造内閣での郵政相としての入閣にあった。このとき田中は39歳で、大臣としては史上もっとも若い年齢であった。
岸信介は、鳩山一郎首相が総辞職したあとの自民党総裁選で石橋湛山と争い、7票差で敗れている。ところが石橋首相は就任から40日足らずで病に倒れ、首相を辞任する。そこで岸がほぼ既定の事実として首相に就くことになった。
岸は第一次内閣では石橋内閣を継ぐかたちになったが、改造内閣では自らの思うような人材配置を行った。外相に日商会頭の藤山愛一郎を据え、田中を郵政相に抜擢したのも、自らが「東條内閣の閣僚」であったという事実が国民には不評だったために、そのイメージを刷新する役割をふたりの閣僚に与えたのである。
「300万円をリュックに詰めて行った」
田中は、すでにこのとき当選5回を誇っていたから、当選年次から見れば、入閣はとくべつ不思議ではなかった。しかし、田中の政治家としての経歴に疑いをもつ者は、「田中は大臣のポストをカネで買った」と噂した。そのカネも、自らが経営にあたる企業の会計からだされたのではという噂が常につきまとった。
本書でしばしば引用する『ザ・越山会』には、この期からの田中の支持者だったという老人の言が紹介されている。それがあまりにもなまなましい証言なのである。
「岸内閣改造の前、田中は『岸にいくらゼニを持ってったらいいかな』と相談した。『300万円でどうだ』と話が決まった。まだ五千円札もない時代だ。小さなリュックに札を詰めて行った」
このころ地元に戻った田中は、古くからの支持者には「おれはカネで大臣になった」と堂々と高言していたという。田中がどのような意味でこのような言を口にしたかは定かではないが、心を許した支持者の前ではつい本音を洩らしたのかもしれない。
こうしたカネでポストを買ったという話は、昭和30年代(この時代だけではないが)には決して珍しくない。真偽は不明としても充分にありうる話であった。